仏の町

 雲一つない秋空の下、三郎は僧童の二助とともに、石山本願寺の寺内町を歩いている。

 石山本願寺に来てから十日程が経ち、三郎にも徐々にその全貌が見えてきた。 


――この国の富の大部分は、この坊主の所有である。


 石山本願寺の法主顕如ことを、本国ポルトガルへの手紙にそう記したのは、イエズス会の宣教師、ガスパル・ヴィレラである。

 この国の富の大部分とは、随分過剰な表現ではあるが、これがあながち大袈裟とも言えない程に、石山本願寺は巨大な財力を有していた。

 その財力がつくる大坂の本願寺城は、まさしく巨大な城塞であり、堀や土豪だけでなく、周辺の川も整備して、防御施設のひとつとしていた。 

 その寺内町は、石山本願寺を取り囲むように配置されている寺内町だけでなく、摂津、和泉、河内などの寺内町とも連携して、成り立っていた。さらに、多数の支城を持っており、戦の際にはそれら支城と連携して、強固な防衛網を形成できるようになっていた。

 石山本願寺は、ただの仏教寺院ではなく、政から軍事、経済活動にいたるまで、巨大な国家そのものだったのである。

 下間頼廉の甥、苑也に成り代わった三郎は、頼廉に初めて会った次の日、その家族とも対面した。

 長男の頼亮は、京の寺におり不在であったが、頼廉の奥方とその次男、宗清は、三郎を温かく迎えた。

 しかし頼廉の父、頼康は、三郎を一瞥しただけで何も言わず、それ以来、三郎と顔を会わすことはなかった。

「実はな、父上にはおぬしを引き取ることを、最後まで御納得していただけなかったのだ。此度は儂の一存でな……」

 頼廉はそう言って、苦い表情を浮かべた。頼康は、すでに家督を頼廉に譲っており、家のことは頼廉が取り仕切っている。

「まあ、懸念いたすな。父上も、おぬしの母を可愛がっておったからの……いずれはおぬしのことも認めてくれよう」

 頼廉はそう言って、三郎の背中を軽くを叩いた。それは、自らに言い聞かせているようでもあった。

 

 頼廉は、今後の三郎の身の振り方をまだ決めていないようであった。

 三郎はここ数日、二助を案内役に寺内町を見物していた。

 三郎が、頼廉の屋敷に住むようになってから定められたことは、毎朝、屋敷の阿弥陀如来像に手を合わせることと、決められた時間、写経をすることだけであった。頼廉や頼康は、坊官として石山本願寺本山にいることが多く、三郎は多少の雑用をするだけで、あとは自由であった。

 そこでここ数日は頼廉の許可をえて、寺内町を見物していたのだが、三郎にとってはもちろんそれだけではない。諜報の一環として、これほど都合のいいことはない。


「噂に聞いたことがあるのだが・・・この石山本願寺が戦になると、紀州から雑賀衆という、砲術に秀でた門徒達が援軍に来るというが、二助は、彼らを見たことがあるか?」


 寺内町の西町を歩いていた三郎は、隣りを歩く二助に尋ねた。石山本願寺に来てから、雑賀衆について尋ねたのは、これが初めてである。


「先月までは、寺内町でもよくお見かけしましたよ。御屋敷の方にも、旦那様を訪ねて来た方が何人かいらっしゃいました」


 二助は、こうやって寺内町を散歩するのが楽しいらしく、笑顔でそう答えた。歳は十一と言っていたが、年齢の割にはしっかりした雰囲気がある。


「ほう、御屋敷にもいらっしゃっているのか……ちなみに、その方々は何と仰る御方かな?」


「えっと、私が存じ上げているのは、鈴木様と仰る方だけでございます。他の方々のことは存じ上げません」


 鈴木氏と言えば、雑賀惣国の五組の一つ、十ヶ郷の中心的な一族である。

 当然、雑賀衆においても、中核を担っているはずであり、その一族の人間が、頼廉の屋敷を訪れるのは、何ら不思議はない。


「おお……そう言えば、私はここに来る前、雑賀孫市なる人物の噂を聞いたことがあるぞ……何でも大層な射撃の名手とか。そう言った御方が、伯父上に会いに来たことはなかったか?」


「雑賀孫市と言う人の噂は、私も聞いたことがございますが、御屋敷に来たというお話は聞きませんね……私も、見たことはございません」


 二助は、三郎の質問に特にいぶかる様子もなく、そう答えた。


(……孫市ほどの名声ならば、雑賀衆の中でも重要人物のはず……法主の懐刀、とも言われる頼廉の屋敷に来る可能性は高いはずだが……雑賀の孫市、ということならば、まず孫市という名前にのみ重点をおくべきか)


 雑賀衆は、いくつもの豪族の共同体であるらしく、三郎が事前に聞いていた鈴木氏や土橋氏以外にも、力をもった豪族が存在するようだった。そもそも孫市が、その雑賀衆の頭目ともいえる存在なのか、それとも有力豪族の一人なのか、はたまた一鉄砲撃ちに過ぎないのか、それすらも定かではない。


(なんにしても、二助に尋ねたぐらいでその正体がわかるなら、それこそ御仏の奇跡、というやつだろう)


 三郎は、そう心で呟いたが、自らの中から御仏などという言葉が浮かんできたことに驚いた。毎日の写経のせいであろうかと、わずかに苦笑する。


「あ……苑也様、御覧ください。風流踊でございます」


 二助のその声に、三郎は二助の指さす方向を見つめた。

 その町の通りには、華やかな衣装で着飾り、笛や太鼓に合わせて皆で踊っている一座の姿があった。その周りには多くの人だかりができており、人々を楽しませていた。

 織田方との和議が成り立って以降、こういった旅の一座が寺内町に来ることも、よくある光景のようであった。


(こういった者達に交じっていれば、寺内町まで入るのは容易かろう)


 三郎は、間者らしい視点で一座を眺めた。おそらく、寺内町にはもうかなりの間者が入っているのだろう。


「苑也様、もっと前で見ませんか?」


 そう言って、二助は三郎の前に出た。風流踊に随分と気を取られている。


「そうだな、もう少し前で見ようか」


(……少し動いてみるか)


 三郎は適当に返事をしながら、少しづつ後ずさりをした。二人で行動していたのでは、あまり疑われるような行動はできない。幸い二助は風流踊に夢中であり、今の内に、単独で寺内町を探索したいところであった。

 三郎は、二助が観客の輪に入ったのを確認してから、ゆっくりと細い路地から別の通りへ移動した。あとで再び合流する時は、人混みにはぐれて道に迷った、とでも言えばよい。

 三郎は、先程までとは打って変わり、町を食い入るように見回す。

 後で密書に書きつけるために、しっかりと記憶に留めようとしていたのだ。

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