織田の間者

 織田信長の重臣、滝川左近一益は鉄砲の名手であった。

 その一益と、越前の街道で年若い僧を撃った男、三郎は、一益に古くから仕えた身分の低い奉公人の子であった。

 物心ついた頃には父はすでになく、母が死んだ後滝川家に引き取られ、住み込みの奉公人として仕えていた。それ以来、いつかは一益に恩返しをしようと武芸や学問に励んでいたが、中々その機会に恵まれず、時を過ごしていた。

 そんな三郎の夢は、いつか滝川家に武士として取り立ててもらうことであった。

 その三郎が一益から役目を命ぜられたのは、天正三年(1575年)の越前一向一揆の鎮圧の只中である。


「三郎、喜べ。おぬしに働いてもらう時が来たようだぞ」

 

 かねて、信長にその命をうけていた一益は、屋敷の一室に重臣らを集めて、その主命を伝えた。

 三郎は、この日が初めての軍議であった。その末席に座らされ、いきなりの一益の言葉に面食らいながら、その前に平伏する。


「上様より、直々の密命を仰せつかったぞ。三郎、雑賀孫市を知っておるか?」


 一益は、喜々として信長のことを上様と呼んだ。この主に忠実な男は、信長が足利義昭を追放したその日から、信長をそう呼んでいる。


「雑賀孫市と申せば……たしか、紀伊雑賀衆の傭兵の中でも、名うての鉄砲撃ちと言われるあの孫市でございますか?」


「鉄砲撃ちとは片腹痛いわ。石山本願寺に飼われている犬っころ集団の一匹じゃ」


 そう吐き捨てるように言ったのは、滝川一益の長子、一忠である。石山合戦が始まって以来、織田勢は雑賀衆に何度も手痛い目に遭わされている。いつしか織田方では、雑賀衆を犬やら畜生やらと呼んで、目の敵にしていた。


「仰せつかった密命とは、その雑賀衆の孫市のことよ。彼奴のこと、探って参れとな」


 一益は三郎にそう言って、にやりと笑う。一益にとっては、待ちに待った信長の命であった。

 雑賀孫市は謎に包まれた人物である。

 雑賀衆は、紀伊北西部を勢力圏にしている集団で、鉄砲傭兵で名高い。一時期は金銭次第で様々な勢力の傭兵として戦うこともあり、畿内の有力者であった三好氏との戦や、将軍足利義昭の上洛などで、織田方と共闘したこともあったが、少なくとも織田方の人間で、孫市と親しく交わった者はいない。

 雑賀衆に、孫市という凄腕の鉄砲撃ちがいるらしいということ以外、その正体は杳として知れなかった。

 しかし信長には、この孫市について看過できない話があった。


 元亀元年(1570年)、信長は石山合戦の初戦ともいえる野田城・福島城の戦いにおいて、再び火縄銃による狙撃を受けた。

 同年五月の杉谷善住坊からの狙撃以来、戦場においても、信長の最大の脅威は鉄砲の銃弾になっており、敵陣や敵城からの距離の取り方には細心の注意をはらっていた。

 しかし、この戦で、届くはずのない一発の銃弾が届いたのである。

 この時、信長は数名の家臣と共に戦場を視察していた。幸い、この銃弾は信長には当たらなかったが、近くで護衛していた馬廻の一人に当たり、これを一撃で即死させた。

 これは、銃弾は辛うじて届いたのではなく、高い殺傷力をもったまま信長近くに届いたという事を意味する。

 この一発の銃弾によって、信長は自身と本陣の位置を後方に下げざるを得なくなり、この合戦の間、常に狙撃の脅威にさらされ続けることになった。

 この狙撃をおこなったのが、当時もっとも近くの野田城にいた、雑賀衆の孫市だと風聞されているのである。

 しかしもっとも近いとはいえ、その野田城から信長までの距離は、百五十間を超えるとも言われていた。


「例の野田城から撃ったのが、まこと孫市というならば……上様にとっても我らにとっても、この上ない脅威となる。その孫市のこと、その射撃の腕前、さらにはそのような長い射程距離を持つ鉄砲が存在するか否か……奴の狙撃の間合いを探らなければならぬ」


 現在、石山本願寺勢の中核を担っているのは雑賀衆であった。再び本願寺勢との一戦があるとすれば、その脅威は取り除いておかねばならない。


「しかし父上、孫市のことならば、お味方の根来衆にお尋ねになればよろしいのでは?」


 そう言ったのは一忠である。

 根来衆は、紀伊の根来寺の周辺を本拠とする僧兵集団で、古くから近隣の雑賀衆との繋がりがあった。その根来衆の一部は、織田方に組している。


「無論、上様も根来衆のことは先刻御承知じゃ。しかし彼の者達も、孫市のことははっきりとはわからぬらしい」


 雑賀衆も根来衆も、傭兵的な側面を持つ集団としては、似通った存在ではあったが、両者には決定的な違いがある。

 それは、雑賀衆の中心は一向宗門徒であり、根来衆の中心は真言宗根来寺の僧兵であることだった。この違いが、雑賀衆が石山本願寺を助勢し、根来衆が信長に組する大きな理由であった。

 もっとも、どちらの衆も一枚岩ではなく、綺麗に両陣営に分かれていたわけではない。

 雑賀衆は、雑賀荘、十ヶ郷、中郷、南郷、宮郷の五つの地域から成り立っていたが、例えば、根来寺に近い中郷は、真言宗に帰依している者が多かったり、雑賀荘は浄土宗が多かったりと、その地域の有力な寺や土豪によって、勢力は複雑であった。

 現に野田城・福島城の戦いにおいても、雑賀孫市と目される人物が率いる雑賀衆とは別に、織田方に助勢する雑賀衆もおり、時には敵、時には味方と複雑に変化する雑賀衆の状況を諜報することは、根来衆にとっても容易いことではない。


「ただし、まったく手掛かりがないわけではない。その根来衆の一人が申すには、雑賀衆の鉄砲撃ちといえば、雑賀荘の土橋一族や、十ヶ郷の鈴木一族が有名であるらしい。それら一族の誰かが孫市を名乗っているのではないか、とな」


 雑賀衆の五つの地域、雑賀五緘のうち雑賀荘と十ヶ郷は、石山本願寺にもっとも友好的な地域であり、雑賀荘は土橋氏が、十ヶ郷は鈴木氏が中心となっているという。


「では三郎は、その雑賀の郷に忍びこむのでございますか?」


 三郎は平伏したまま、畳を見つめながら、一益と一忠のやり取りに耳をすませている。


「いや、雑賀の地に入るのは容易なことではない。三郎が入るのは……石山本願寺じゃ」


 雑賀衆に属する集落は、他者への警戒感がつよく、容易に他者をいれない郷であった。今までも、織田方では諜報のために、幾度となく間者を送っていたが、芳しい結果は得られていない。


「石山本願寺と申せば・・・門徒どもの集うあの根城でございますな。なるほど、確かにあそこならば門徒になりすませば、侵入は容易やも知れませぬ。商人の出入りも多く、行商で忍び込むこともできましょうな」


 一忠は、そう言って小さく頷いた。実際、すでに石山本願寺には、かなりの織田方の間者が入っている。


「確かに雑賀に比べれば、石山本願寺の寺内町は容易い。しかし、それだけではないぞ。三郎、牧野甚兵衛を知っておるか?」


 一益にそう言われ、三郎は面を上げる。


「お噂は何度もうかがっておりますが、お会いしたことはございませぬ」


 滝川一益の家臣には、諸国を巡りながら諜報活動をしている間者が数名存在するが、牧野甚兵衛もその一人であった。

 一益が厚い信頼を寄せる家臣の一人だが、三郎は直接会ったことはない。彼らのような間者は、他国の間者につけられて正体が露見するのを恐れて、滅多に本国に帰ることはなく、国外で伝令に情報を伝えるため、家臣のなかでも年若の者には馴染みがなかった。


「その甚兵衛が、面白い話を持ってきてな」


 一益はそう言って、僅かに身を乗り出した。

 話はこうである。石山本願寺に仕える坊官下間頼廉は、法主顕如の懐刀ともいえる存在だが、この頼廉には、長い間行方知れずの妹がいたという。

 この妹は、何らかの理由で父、下間頼康の勘気をこうむり、石山本願寺から出て諸国をまわっていたが、最近になって、越前にある石山本願寺ゆかりの寺に現れ、そこに身を寄せていることがわかった。妹には、すでに十六になるという息子がおり、その寺の住職は、その事の次第を石山本願寺の頼廉に伝えてきた。

 頼廉は、この妹やその息子と書状のやり取りをしていたようだったが、まもなく妹は病で亡くなり、その寺も焼き討ちにあって、息子も住職ともども行方知れずとなった。

 朝倉氏滅亡後の越前は、織田方と一向宗だけでなく、他宗派や国人衆も入り乱れての混乱となっており、それに巻き込まれたものであった。

 この妹の息子の名は、苑也という。


 結局、この苑也は寺が焼き討ちされた時には、寺の外にいて無事であったらしいのだが、寺が焼け落ちて身の置き所がなくなり、しばらくは近くの村で暮らしていたが、どうやら石山本願寺の頼廉の元に身を寄せることになったらしい。牧野甚兵衛の話では、近々、若狭のほうから南下して石山本願寺に向かうであろうとのことであった。

 甚兵衛は、もともと一向一揆の諜報のために越前に入っていたが、偶然逗留していた村で、近くに下間家ゆかりの人物が、寺から焼け出されたという話を聞きつけて、村人や寺にいた坊主から情報を集めた。

 織田方にとって、最大の敵である石山本願寺の要人に関する情報は、どんな話でも重要だったからである。


「今この時に、この話は天命であろう。よいか、三郎。若狭に入られる手前でこの苑也なる者を撃つ。そして、おぬしがその苑也となって、石山本願寺に入るのだ」

 

 頼廉と苑也の書状のやり取りは、越前の修験者によって行われていた。石山本願寺に、苑也の顔を知っている人物はいないはずである。


「わ、私が……お役目を……」


 三郎は、突然の話に混乱して、かろうじてそう返答した。


「父上、お恐れながら……三郎はまだ未熟にございます。此度のこと、いささか荷が重すぎるのでは……」


 三郎の動揺を察してか、一忠が一益に言上した。一忠と三郎は、幼い頃から兄弟のように育った仲なのである。


「三郎には、幼き頃より武芸から学問まで、厳しく学ばせてきた。技量において不足はなかろう。そもそも此度の謀では、その苑也なる者と年の頃をあわせねばならぬ。歳は十六、我が家中でもっとも歳が近いのが三郎じゃ。儂は適任と思うておるが?」


「確かに、年の頃と申せば、人は限られてくるやもしれませぬが……三郎はまだ、間者として働いたことはございますまい」


「その初めてが、此度でも問題はなかろう。これは、三郎にもよい機会ぞ。儂も若い頃は、自ら敵国に潜入し、調略したものよ。その経験は、我が血となり肉となっておる。それに、もはや一刻の猶予もない。早々にことを進めねばならぬのだ。よいな、三郎」

 越前の一向一揆を鎮圧すれば、次は石山本願寺と正面から戦うことになる。それまでに、雑賀孫市の脅威を取り除いておかねばならない。


「はっ、承知仕りました。雑賀孫市の事、かならず探って参ります」


 三郎はそう言って再び平伏した。二人の会話を聞くうちに、冷静になった三郎は覚悟を決めたのである。


「しかし父上、そもそも私は合点のいかぬことがございます。例の野田城からの狙撃、本当に雑賀孫市が撃ったのでございましょうか?優に、百五十間はあったやに聞き及びまする。とても必殺の距離とは…」


 そもそも滝川一益は、その鉄砲の腕を買われて信長に仕官しており、滝川家臣団も、鉄砲に関しては、織田家中随一であると自負していた。信長もそれを認め、合戦の際には、織田軍の鉄砲隊の中核を担ってきた。その滝川家の一忠からみても、雑賀孫市が野田城から狙撃したという話は、容易に信じることができない話であった。


「儂とて、にわかには信じがたい話じゃが……そういう話が流布している以上、万に一つということもある。雑賀衆は、自前で鉄砲をつくっておる。我らの知らぬ技術をもっておらぬとも限らぬ。たった一発の弾で、上様にもしもの事あらば、悔やんでも悔やみきれぬぞ」


 長篠の戦いの勝利や、長島一向一揆の鎮圧によって、信長は畿内における一時の危機を完全に脱しつつあった。しかし、信長に万一のことがあれば、全てが水泡に帰すのである。


「……それだけではない。おそらくこの命を仰せつかったのは、我らだけではなかろう。筑前殿や、惟任日向殿あたりも命ぜられておるやもしれぬ。遅れをとるわけにはいかぬぞ」


 筑前とは羽柴秀吉のことであり、惟任日向とは明智光秀のことである。どちらも現在の織田家中において一二を争う出世頭であり、一益の好敵手といってよい存在であった。特に羽柴家臣団の諜報能力は群を抜いて高いと言われており、信長も重宝するほどであった。


「よいか三郎、此度は、石山本願寺の奥深くまで入る絶好の機会じゃ。うかうかして、筑前殿や日向殿に先を越されるわけにはいかぬ。直ちに準備に取り掛かれ」


「はっ」


 三郎は平伏したまま武者震いした。一益に引き取られて以来、願っていた恩返しの機会が巡ってきたのである。

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