猟犬

次郎

夕暮れの狙撃

 若狭に程近い、越前の南部の街道を、一人の僧侶らしき若者が歩いている。

 夕刻の細い街道は人通りもなく、その若者の伸びきった影と草むらだけがゆらゆらと揺れている。まだ暑さの残る秋の道端は、虫の音がけたたましく響き、若者の足音も風の音も聞こえなかった。

 そんな街道のそばの林に、火縄銃を構えた男がいる。その男もまた剃髪であり僧体であった。

 その後ろには、数人の帯刀した侍がいる。


「三郎、肩の力を抜け。なあに、人気のないこの道じゃ、おぬしが外せば斬りかかるまでよ」

 

 侍の一人が押し殺した声で呟いた。三郎と呼ばれた若い男は、少し頷いて銃を握り直し、呼吸を整えようとした。もう手のひらの汗を拭く時間もなく、あとは息を吐き、引き金を引くだけである。

 三郎は、事前に決めていた十三間程(20数メートル)の目印にのみ集中し、時を待つ。

 街道を歩く、僧侶らしき若者の歩みはゆったりしており、その時までの間は実際より長く感じられた。やがて若者の足が目印にかかり、三郎は躊躇なく引き金を引く。

 けたたましい虫の音を切り裂いて、轟音が鳴り響き、影を引きずっていた若い僧は人形のように倒れた。

 侍の集団は瞬時に抜刀し、駆けて倒れた僧を取り囲んだ。撃たれた僧の手が、二度三度と宙を舞い、地面に落ちる。

 侍の一人が少し間をおいて息を確認したが、横たわる僧は目を見開いたまま微塵も動かなかった。

 遅れて駆けてきた三郎も、僧の顔を覗きこむ。しかし、夕陽と木陰の影響で僧の表情はよくわからない。


「でかしたぞ、三郎。仕留めておる」

 

 その侍衆の主、滝川一益がそう言って三郎の肩を叩いた。三郎は肩を震わせて返事をしようとしたが、喉の奥が乾ききって声が出ない。火縄銃の鍛錬は十分に積んでいたはずであったが、人を撃ったのは初めてであった。


「どうじゃ、初めて人を撃った気持ちは」


「……よく、わかりませぬ」

 

 滝川一益の問いに、三郎はかろうじてそう答える。


「おぬしは今、この男を一撃で仕留めた。しかし、もし外していたらどうなるか? もしこの男が、剣術の達人であったなら……あっという間に間合いを詰められ、死んでいたのは三郎、おぬしであったやもしれぬ。よいか、決して己の腕を過信してはならぬぞ」


 一益はそう言って、頭を下げる三郎から銃を受け取り、その腹に触れるほどに銃口を押し付ける。


「銃を外さぬもっとも良い方法は、こうやって至近距離で撃つことじゃ。一流の鉄砲撃ちは、一発必中であらねばならぬ。たとえ離れた敵を撃ちぬける腕があろうとも、必中でなければそれは真の一流ではない。心しておけ」


「……心得ました」

 

 一益は、そう答えた三郎に満足そうに頷き、今しがた息を引き取った僧をもう一度見つめた。


「よいか三郎、この坊主に手を合わせよ。そしてこの坊主のことは忘れるのだ。そして今からおぬしがこの男に成り代わり、苑也となるのだ」

 

 滝川一益は三郎にそう言い聞かせながら、自らも手を合わせた。三郎は、苑也と呼ばれていた屍の瞳に魅入られたように、ただ茫然と見つめていた。

 一益は手のひらで苑也の瞼を閉じて、三郎にもう一度手を合わせるように促す。

 苑也の周りを囲んでいた侍達は刀を収め、屍を調べ始めた。


(このようなことで心を乱してはならぬ。これからが、これからが肝心なのだ)

 

 三郎はゆっくりと目を閉じ、自らに言い聞かせながら手を合わせた。今日のことはまだ始まりに過ぎない。この若者にとっては、これからが本番なのだ。


「書状はあったか?」

 

 しばらくして一益が、屍を調べていた侍に問い掛ける。


「あるにはあったのですが……」

 

 侍は首をかしげながら膝をつき、屍の懐から取り出した物を一益に差し出した。

 書状や地図に混じって、きらりと光る物がある。一益はそれを手にとって、沈みゆく夕陽にかざした。


「これは……十字架ではないか」

 

 一益は眩しげに目を細めながら、驚きの声をあげた。夕陽に照らされて輝く黄金のそれは、間違いなく切支丹がもつ十字架であった。僧体の人間には似つかわしくない代物である。

 一益は、いくつかの書状に素早く目を通し、そのうちの一文に目を留めた。


「形見とあるが……これだけか?」


「書状と地図以外は、これだけにございます」

 

 念押しした一益は、十字架を裏返したり回したり、間近で食い入るように見つめたりしたが、鈍く光るその鋳物は、何の変哲もないただの十字架のようであった。


「するとこれが形見、というわけか……しかし……」

 

 一益は首をかしげて、横たわる僧体の男を見つめた。眠っているようにみえる屍の下に、血だまりが広がっている。

 十字架は夕陽に照らされながら、ただただ鈍い光を放ち続けるだけであった。



 大坂に威容を誇る石山本願寺は、戦国時代有数の宗教都市である。

 本山である石山本願寺を中心とする寺内町は、堅固な土居や濠で囲まれ、その姿は巨大な城であった。

 その摂津大坂の地は、貿易都市である堺や京の都、西の山陽道を結ぶ陸の交通の要地であり、その付近にある港湾は、瀬戸内海の水運の要地であった。

 その天下有数の要衝を抑える石山本願寺が時の権力者と衝突するのは、ある意味必然であったといわねばならない。


 元亀元年(1570年)、石山本願寺の法主、顕如は、瞬く間に畿内を制した戦国大名、織田信長を仏敵とみなし、全国の門徒に激をとばした。

 もともと上洛してきた信長に対して、王法異本、すなわち王の治世を助けることを前提に、友好的に接していた顕如であったが、室町第十五代将軍、足利義昭を奉じて畿内を制圧しようとする信長は、その将軍の威光でもって本願寺に政治的、金銭的に圧力を加えていた。

 その圧力は、最終的に石山本願寺の破却、立ち退きにおよび、信長との調和を模索していた顕如も遂に蜂起を決意せざるを得なかった。

 世にいう石山合戦の始まりである。


 甲斐の武田信玄、近江の浅井長政、越前の朝倉義景、そして信長と敵対するようになった将軍足利義昭らと連携し、信長を窮地に陥れた本願寺ではあったが、頼みの綱であった武田信玄が元亀四年(1573年)に病死し、浅井、朝倉も各個撃破されて滅亡すると、形勢は信長に有利となった。

 それでも石山本願寺は、旧朝倉領越前で起こった一向一揆や、伊勢長島の一向一揆を統率して勢力化し、頑強に抵抗した。特に長島の一向一揆は、幾度となく織田勢を撃退し、大きな損害を与えたが、天正二年(1574年)信長は、八万を超える大軍で長島を攻め、これを壊滅させた。

 信長は降伏を許さず、城を焼き討ちして、立て籠もる門徒ら二万人を焼死させたという。この凄惨な仕打ちに、門徒らの士気は大きく下がり、翌年には越前の一向一揆も平定され、顕如も和議を模索せざるを得なくなった。

 当然、和議は織田方に有利なものとなったが、畿内の共闘勢力が一掃され、単独で織田勢と戦う事はできないと判断した本願寺は、これを受け入れざるを得なかった。

 天正三年(1575年)十月、石山本願寺には不本意ながら、この大坂の宗教都市にはつかの間の平穏が訪れていたのである。



 戦国時代、この国に伝来した鉄砲は、武士の戦を大きく変えることになった。

 尾張から現れた戦国の革命児、織田信長は、この最新兵器の有効性に着目し、他の大名を遥かに凌ぐ鉄砲を保有することになるが、彼が鉄砲に執着したのは戦術的な観点やただの好奇心だけではなく、自らがその脅威にさらされ続けたからに他ならない。

 それは集団的、組織的な鉄砲の運用というだけでなく、たった一人の銃撃によって総大将が殺され、すべての戦局が覆るという狙撃の脅威でもあった。

 この時代で、信長ほど火縄銃に狙われた人物はいなかったのかもしれない。

 元亀元年(1570年)五月、信長は近江の千種街道で、鉄砲による狙撃を受けた。

 撃ったのは、杉谷善住坊という鉄砲撃ちである。

 十二、三間程から放たれた二発の弾丸は信長を掠めただけで、大事には至らなかったが、信長の怒りは凄まじく、徹底した捜索が行われ、捕らわれた善住坊は鋸挽きの刑に処された。

 鋸挽きの刑とは、生きたまま首から下を土中に埋められ、切れ味の悪い竹の鋸でゆっくり首を切断されるという処刑方法である。

 信長がこのような残忍な処刑を選んだのは、見せしめの要素が多分にあり、それは、信長にとって狙撃が大きな脅威であることを意味していた。

 信長を撃つ者。

 それは、この国の命運を左右する者だったのである。

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