第3話

 地下階層14に降りたのは一年ぶりだった。


 ナユタと放れて一年はなる。

 彼女と別れて正解だったのだろうかと悩む日もあった。


 けど、ナユタがいて利点だったことはお金の管理と選択肢を与えてくれるという点だけが唯一の楽しみだったことに気づいた。


 ナユタがいて、初めてお金の大事さや物を買ったり人に聞く時の選択肢。「これにしよう」、「あれにしよう」、「私はこれが気に入っている」、「カナタにやるよ」、「カナタが気に入れば私も気に入る」。そんな懐かしい会話が随分と昔のように感じる。


「――カナタか」


 久しい声が聞こえ振り返った。


 そこにいたのは髪が少し伸びたナユタの姿があった。


「ナユタ…」


「深くもない階層に降りてきたのは久しいな。あー…別れて一年がたつのか。」


 ナユタの背後には筋肉マッスルの男性とフードを被った男性、猫耳のフードを被った少女が立っていた。


「その子たちは?」


 背後にいる人達に指さした。


「ああ、一年前の捜索願いの依頼で一緒になった仲間さ。」


 仲間。そう言葉を聞いて胸が痛くなるような痛みを感じた。


「こいつらがいたおかげで、グリッドはせん滅し、行方不明者を保護し、依頼者からたんまりともらった。そのおかげで今じゃ、Cランク入りだよ。ほれっ」


 ここぞと言わんばかりにバッジを見せた。


 ”C”と文字が刻まれている。


「よかったな――」


「よかったって…?」


 カナタのセリフに遮るかのようにナユタは一変した。

 ナユタの表情がゆがんだ。みるみる怒りが表しているかのような髪が逆立っていく。


「誰のせいでこうなったと思っているんだ! カナタ! あのときお前も来ていればこんなことにはならなかったんだ!!」


 みるみると姿を変えていく。

 まるで異形の姿だ。手足が二メートル以上に伸びていく。首も伸び、まるで蜘蛛のようだ。身体がすっかりとブクブクに膨れ。胴と体と個別になるようにそれぞれ大きさが異なる風船のような体付きになる。


 目は真っ赤に染まり、もはや元の人間の姿をしていなかった。


 突然の変異に驚いたのか、後ろにいた三人は即刻逃げ出した。


「ナユタ殿!!?」

「なんなのこれ…化け物…」

「おい、話しを聞いていないぞ。ナユタ! お前、化け物だったのかよ!」


 泣きながら走る猫耳フードの少女は一目斬に逃げ出す二人に押され、その場に転がり込んだ。


「あイテッ! もう、みんな酷いよ…」


 倒れたまま、顔を上げた。

 すると目の前で殺されている二人の姿があった。


「嘘だよね…カイリ…リョウ……」


 手を伸ばすも彼らには届かない。

 ゆっくりと引くかのようにナユタだった異形の下へ引っ張られていった。


 背後へゆっくりと振り返る。

 そこは、今まで見たこともないグリッドが二人をむしゃむしゃと食べている姿があった。


「うげぇ~」


 その場に胃の内容物を吐き出した。先ほど食べたリンゴがまるで酸っぱくシャリシャリに崩れたものとなって吐きだされていた。

 涙と鼻水とヨダレがいっぱいになり、目の前に吐しゃ物が広がる。


 彼女の視界はもはや、仲間という背中の姿はなく真っ暗闇に包まれた大きな空間の中で、自分の吐しゃ物の臭いしか残されていなかった。


「カナタ!! お前のせいで私は、グリッドに襲われ、意志をもったまま怪物へと変貌した。カナタ! お前を殺すために、私はずっとお前が降りてくるのを待った。あのとき、私を助けたように……もう一度助けてくれると信じて…」


 カナタとナユタが出会ったころの記憶が蘇る。


 それは一年前の出来事がきっかけだった。


 グリッドに襲われていた探索者一行。

 冒険者の一団はすでに逃走しており、その後の行方は他の冒険者が発見し、保護されていた。逃げ出した冒険者から事情を聴き、探索者の救援へ向かっていた。


 当時は、グリッドを倒すすべはあった。

 千年前にリセットが残してくれた魔術(ユクロ)があったからだ。


 魔術(ユクロ)は、思いを投影し形にする。想像したものを実体化、具現化することができる。いまの時代では作ることができない遺品となってしまった。


 魔術(ユクロ)を使って襲われている赤髪の女性を助けた。間一髪だった。他の探索者たちは全滅しており、彼女だけが唯一の生存者となってしまった。


 この戦いで魔術(ユクロ)は壊れてしまい、使い物にならなくなってしまった。おかげで、容易に探索する気持ちは失い、魔術(ユクロ)を失った現在、再び地下に潜るという勇気がわかなかった。


 彼女は『カナタとなら一緒にやれる』と言っていたが、それは魔術(ユクロ)を見て、言っていただけにすぎない。魔術(ユクロ)を失くなってしまったいま、カナタは戦う術を持っていなかった。


――現在。彼女の記憶のなかは魔術(ユクロ)で戦うカナタの背中があった。数体ほどのグリッドを相手に引けも取らずに懸命に戦うカナタを『私の勇者様』と信じてならなかった。


 『この人がいれば、私は負けない』と、ナユタは探索者を止め、冒険者になったのもカナタの影響があってこそだった。

 そのこと(戦えないこと)を知らないナユタは、カナタの非戦闘にいら立ちを覚えていたのは仕方がない事だった。


「私の英雄であり私の勇者様だった。あのとき、戦っていたカナタを見て、私も冒険者に憧れ、冒険者になった。カナタと一緒にいれば、負けないし現に10階層までだったけど探索もした。グリッドと戦う姿を間近で見ながら何度もその戦いぶりを覚えようとした。なのに…どうして…」


 ナユタが涙目に悲願した。


「カナタ、私を殺して。こんな醜い化け物の姿のまま、仲間を殺したくない。…いえ、私はすでに殺してしまっている。空腹が収まらないの。グリッドって空腹が常に付き纏われるの。人間以外を決して喉を通らない。人間を食わなければ、より一層醜い姿に変わっていってしまう。意識を保つだけでせいっぱいだった。人間だったころのナユタの姿のまま冒険者として活躍したかった。それが、今では思ってしまう。カナタ…グリッドどもを皆殺しにして。私のようにこれ以上の被害を出さないで…」


 カナタは飛び込んでいた。


「うわあああああ!!!」


 これまでになかった表情を見せ、大声を上げながら落ちていた剣を拾って振りかざしていた。


 ナユタは何もせず微動だにもしなかった。


『これでようやく楽になれる』そう信じて悩まなかった。


 カナタが剣を舞、手足を切り落としていく。真っ赤な血の痕はない。緑色の血が周囲へ飛び散る。


「ナユタああああ!!!」


 最後のトドメにカナタの首を切った。


 グリッドは心臓を貫くか首を切り落とさなければ倒せない。

 心臓の位置を自由に移動するため、首を落とすしか方法がなかった。心臓を貫くよりも首を切り落とした方が早い。世間ではそう言われてはいるが、人間がグリッドになった後は心臓の鼓動を止めなければ、グリッドの前の姿に戻すことはできない。


「はぁ、はぁ…ナユタ……ごめん、ごめんなさい」


 緑色の液体が半径五メートル以上に飛び散り、その現場は異様な光景に包まれていた。鉄臭い臭いはなく蜂蜜のような甘い香りがつつまれていた。


「あ、あの…」


 猫耳フードを被った少女が現場を収めたカナタの下へ駆け寄ってきていた。

 カナタとナユタの関係を案じてか、それ以上踏み入れることはしなかった。


 代わりに声と周囲編の以上に気づいた人たちに説得するため、少女が代わりに説明していたのを忘れてはいない。


 少女が弁明しつつ、カナタのことを気遣ってくれていたのだ。

 

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