6.明星

「で? この馬車はどこへ向かってるの?」


 リュシアーナはまるでひとり言をつぶやくように、シャラスフェリアに問いかけた。


 神殿が用意した馬車は思いのほか高級で、ゆれもそれほどひどくない。


「どこへ行きたいですか?」


 シャラスフェリアがリュシアーナに問いかけた。

 しかし、その顔には、まるでリュシアーナの答えが分かっているかのように、自信に満ちた笑みが浮かんでいる。


「遠くへ。まあ、どこでも良いわ。付き合ってくれる約束でしょ?」


 つっけんどんなリュシアーナの言葉に、シャラスフェリアはうれしそうに微笑んた。


「なら、どこへ行くかはリュシアーナ様が決めては?」


「【魁たる光の神】に聞いて頂戴」


 シャラスフェリアが祈る。


「国境を越えて、西へ」


「ほんとに聞いたの?」


 シャラスフェリアがニッコリと作り笑いを浮かべた。


 神官が黙して語らぬとき、それは嘘をつかずに済まそうとするときに他ならない。

 神官は嘘をつくと、神に嫌われて恩寵が使えなくなるといわれている。


 リュシアーナは窓の外から夕暮れの空を見上げた。


「覚えてる? 最初に会ったときのこと。私が愚痴った言葉」


「貴族なんてつまらない? ですか?」


「そう。そしたら、あんたが──」


「冒険者なんてどうです? 誰でもなれますよ? 魔物相手に魔術撃ち放題ですよ?」


 シャラスフェリアが満面の笑みを浮かべ、最初に会ったときと同じ、いたずら行為に誘うような口調で言った。


「悪魔のささやきだったわ。私の心の中を読んでいるみたいに。あれも恩寵か何か?」


「さあ? どうでしょう?」


「ま、いいわ。どっちにしろ、決めたのは私だし」


 我ながら実に下らない理由だ、とリュシアーナは思う。


 父に言ったら怒るだろうか、呆れるだろうか。


 いや、おそらく涙を流して笑うだろう。

 誰に聞いても、リュシアーナの気性は父譲りなのだから。


 ストルンドにはきっと理解されない。

 馬鹿にしたような目をリュシアーナに向けるのが関の山だ。


 それでも、リュシアーナは自分の心に正直に生きると決めた。

 誰になんと言われようと、自分の信じるものを信じる。


「王子様は、少し可哀想でしたが」


「ふん。良いざまよ。冤罪王子とでも呼ばれて、せいぜい肩身の狭い思いをすればいい。今のところ、王子はあいつだけだし、廃嫡はいちゃくにもできないでしょ。だから、逆に針のむしろよ。ざまぁ見ろ! いずれは冤罪王ね。……いいわね、冤罪王。なんか強そう」


「別に、あの王子様は、リュシアーナ様に何もしてませんよね?」


「してるわよ。精神的苦痛を与えられたわ。何あれ? 王妃から私を守ってるつもり? 余計なお世話よ。ちゃんちゃらおかしいわ」


 幼いころのリュシアーナは、彼に対して親愛の情を抱いていた。


 だからこそ、あのころの自分はストルンドに随分と遠慮のない言葉を投げかけたものだ。

 まだ幼く、相手を見極めることを知らなかったころの自分をリュシアーナは覚えている。


 成長したリュシアーナはストルンドに感情をぶつけることはなくなった。

 リュシアーナにそれを強いているのが自分だと、ストルンドは最後まで気づかなかった。


 結局、ストルンドは他人を見下すことしかできなかったのだ。

 父親である王を見下し、母親である王妃を見下し、そして、リュシアーナを見下そうとした。


 対等でありたいと思うリュシアーナと、他人を自分の下に置こうとするストルンドの溝が埋まるべくもなかった。


 哀れなことだ。

 他人を見下そうとしている人間ほど、はたから見れば自らの愚かさを喧伝けんでんしているようにしか見えない。

 すべての人間を見下しているつもりで、その実、すべての人間から下に見られているという事実に気づかない。


 ふと、ストルンドが自分を見つめるときの顔を思い出して、リュシアーナは悪寒に震えた。


「それに、あの目。ああ、思い出しただけで寒気がする。絶対にろくなこと考えていない目だわ。まるで、鳥かごの鳥を見るような目。うんざりだわ。誰が飼い殺されてやるものかっての!」


「なるほど。では、リュシアーナ様はこれから自由な空へ羽ばたかれるのですね」


 シャラスフェリアがふざけて言った。


 リュシアーナもそれに答えて、わざと芝居じみた声色で宣言する。


「そうよ。世界は広大だわ。どこへ行こうと私の自由よ! ……って、だから結局、この馬車はどこへ行くの?」


「とりあえず、失われた神の謎を求めて、西の国の辺境などはいかがでしょう?」


 シャラスフェリアが悪巧みをするときの笑顔で答えた。

 卒業パーティーを前に、二人で散々計画を練っていたときに見せていた笑顔だ。


「ふーん。ま、いいわ。辺境なら、迷宮があるわよね。魔物相手に魔術打ち放題。うーん、楽しみ」


 手をすり合わせ、にまにまと笑うリュシアーナ。

 その顔はすでに伯爵令嬢のそれではない。


「では、今から私たちは冒険者です。私のことは神官のモナとお呼び下さい」


「モナ? シャラスフェリアがどうして、モナ?」


「シャラスフェリアは、私の親代わりとなって下さった神殿長様の家名です。私も家名が必要なときには名乗らせていただいてます。聖女候補が平民丸出しの名では格好がつきませんでしょう?」


「それ偽名にならないの? 神官は嘘がつけないんでしょ?」


「私は『シャラスフェリアとお呼び下さい』と言ったまでですよ?」


 シャラスフェリアがニッコリと笑った。


「あんたねぇ、ホントいい性格してるわ。私の方はリュシアーナだから、ルシアかルキア……いいえ、ラキアが良いわ。よろしくね、モナ」


「ええ。よろしくお願いします。魔術師のラキアさん」


「魔術師ラキア。いい響きね。気に入ったわ!」


 そこにはすでに、伯爵令嬢リュシアーナも、聖女候補シャラスフェリアもいなかった。

 二人は今から、魔術師ラキアと神官モナ、旅の伴侶だ。


「さて、辺境には面白いことが待ってるといいわね」


「田舎ですから、あまり期待はしない方がいいですよ?」


「そお? なんか、モナといれば退屈しなくて済みそうな予感がするのよね」


「奇遇ですね、私もです」


 二人はお互いの顔を見て、声を上げて笑いあった。


 空に導きの明星が輝く夕暮れのことであった。


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悪役令嬢な伯爵令嬢がヒロインな聖女候補のせいで冒険者になる話 神門忌月 @sacred_gate

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