Ep. 31 零れ落ちる本心

 社交界でも完璧な令嬢と名高いカナリアが、聖女メリアに入れ込み腑抜けたと噂のリヒトを切り捨てた。そんな大事件が、同じく王族であるイグニスの耳に入らないわけがなく。

 ジェイドの報告でイグニスが駆けつけた時には既に茶番も終幕で、全てを言い切ったカナリアが孤独に舞台から降りた所だった。




 ひとり会場をあとにし、人気の無い通路に差し掛かった所でスイッチが切れたように傾いたその身体を後ろから抱き止める。気を失い蝋人形のように白いその顔に、怒りやら悲しみやら不甲斐なさやら、渦巻く感情が爆発しそうになりそうなのを抑え込みながら、イグニスはカナリアを抱え上げた。


「マーガレット、ユーリ、居るんだろ」


 振り向きもせず呼び掛ければ、背後の柱の陰から二人が姿を現す。悲痛な表情のマーガレットが、イグニスに抱えられたカナリアの様子に更に涙ぐんだ。


「あぁお嬢様、どうしてこのような事に……!」


「まだリヒトとの正式な婚約解消が済んでいない今、俺がカナリアの身体に触れるのは不躾だとわかっているが……とてもじゃないがこのまま返すわけにはいかないからな。申し訳ないが、このまま別室に運ばせて貰う。妙な誤解を生まないよう二人も来てくれるな」


「はっ、仰せの通りに」


「はい。お気遣い痛み入ります、イグニス殿下……」 

 

 今にも泣き出しそうなマーガレットにハンカチを渡す己の執事を横目にしながら、イグニスが問う。

 

「他の従者は来ていないのか?」


「今宵はお嬢様が敢えて私以外は皆帰らせましたので、馬車の御者が控室にいるのみで御座います」


「そうか、わかった。では事の次第の伝達はこちらからしよう。ユーリ!」


「万事整っております」


 頷いたユーリが魔力を帯びた羊皮紙を入れた封筒に真紅の蝋を垂らし、こちらに差し出す。イグニスがそれに印を押すと封筒は小鳥に姿を変え、バーナード家へと飛び立った。
















ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 目が覚めると、そこは王宮の来賓室だった。始めてイグニスと会話したあの部屋だ。


 一体何故と考えて自分が倒れた原因を思い出して跳ね起きたカナリアに、マーガレットがすかさず温かいタオルを差し出す。


「マーガレット……」

 

「ーー……お加減は如何ですか?お嬢様」


 全てを知りながらも、主が触れられたくないならばと深く尋ねないまま労ってくれるその態度に心底感謝した。とてもでは無いが、今はまだ気持ちの整理がついていなかったから。


「私、廊下で気絶してしまったのよね……。今夜はけじめをつける日だったこともあって貴女以外は誰も連れていなかったし、どなたが運んでくださったのかしら?後日お礼とお詫びをしないと……」


「要らねーよ、こんな時くらい少しは周りに甘えたらどうなんだお前は」


「イグニスっ……様!」


 いつの間にか軽食と飲み物片手に現れたイグニスが、苦笑混じりにそのトレーをベッド脇のミニテーブルに乗せながら壁際を見やった。


「安心しろ、従者はユーリとマーガレットしか居ない」


 “完璧令嬢”の仮面は外して良いと暗に言われて息をつく。












「イグニスが運んでくれたのね、ありがとう。でも貴方、今夜の夜会は欠席していたのにどうして……」


「驚かずに聞いてくれ、実は俺ここに住んでるんだ」

 

 真剣な顔で冗談を返されて思わず吹き出したカナリアだが、同時に考えてみれば彼の耳に入らない訳はない位の大事をやらかしたのだと改めて実感する。


「しかしまぁ、派手にやったらしいな。根回しは大丈夫なのか?」


「当然よ。両親の許可だってもちろん獲得済だわ」


「そうだろうなぁ」


 この数カ月の間に、バーナード公爵家がリヒトの不貞や聖女メリアの目に余る振る舞いについて暗部に見張らせていたのは把握していた。同時に王室との繋がりが崩れても領地の財政が崩れぬ様、商会のやり方を工夫したりとテコ入れを行っていた事も。場合によっては国家反逆の前触れにも取られかねないその状況をイグニスが静観したのは、カナリアが“婚約破棄それ”を選ぶであろう事に薄々気づいていたからだった。


 そもそもバーナード公爵領の技術力はカナリアが前世の知識を用いて色々開発していた為に他の追随を許さぬ域に達しており、おいそれと代打を見つけられる状況でないことも良かったのだろう。今夜の夜会にて一部始終を目撃した高位貴族の半数近くがバーナード公爵家につく姿勢を見せているようだ。


「なんにせよ、リヒトとメリア嬢もここまで来たらお咎めなしとはいかないだろう。そこから異常に気づいて陛下が精密検査を許可してくれると良いが、歴史の闇が絡む以上期待はしない方がいいな……」


「端から当てにはしていないわ。例え操られていたにせよ、散々コケにされた分はきっちり自分でお返ししないとね」


「おーおー、逞しい事で」


 不安や悲しみがないわけでは無いが、落ち込んでいる場合じゃない。そう意気込みお暇しようとしたカナリアの前に、ワイングラスが差し出される。


「えっ、何?」


「今ここから出たら針のむしろだぞ、丁度夜会が終わった頃合いだからな」


 言われて時計を見ると確かに、丁度皆が帰路につく時間帯であった。


「バーナード公爵家には連絡してあるし、帰宅はもう少し時間をずらすと良い。とりあえず一区切りついたって事で、一杯どうだ?」


 酒が名産で冬の寒さも厳しい我が国では、飲酒は16歳から可能だ。だからまぁ良いかと、煌めくグラスを受け取った。


「本当は自分が飲みたいだけなんじゃないの?」   


「はは、そうかもな」













 数十分後、決して強い酒な訳ではないのだが酔いが回ったカナリアは、これまでのリヒトへの思いもメリアへの不満も、軒並みイグニスにぶちまけた。

 ところどころ要領を得ない話もあったが、それでもイグニスは一切遮らず、否定もせず、カナリアの気持ちを受け止めてくれる。そのお陰で、ずっと抱えていたモヤモヤがずいぶん、軽くなった。


「はぁ……スッキリしたわ」


「それは良かった」


 一瞬沈黙して、最後だからとカナリアが小さく零す。


「こんな終わりになってしまったけどね、私……リヒト様の事ちゃんと好きだったのよ」


「……あぁ」


「だから、……だからこれ以上嫌いにならない為に終わりにしたの。終わらせるしか無かったの」


 意地でも泣くものかと唇を引き結んで震えるその肩に手を伸ばしかけて、一瞬躊躇って。数秒空中で迷ったイグニスの指先がカナリアの目尻に滲んだ水滴を拭った。


「もういいから、ちゃんとわかってるから……な」


 穏やかにそう言われ、堰を切ったように溢れる涙が止まらない。カナリアが泣き止むまで、イグニスはずっとただ背中を擦ってくれていた。







「お嬢様、クロウ様がお迎えにいらっしゃいました」


「まぁ、お兄様が?心配をかけてしまったわね……。流石にもう帰らないと」


「大丈夫か?」


「えぇ、今夜は目を冷やしてから休むわ。いつまでも落ち込んではいられないもの」


 リヒトとメリアを“鏡像”から解放し、しでかしたことの理解をさせなければまだ終わりではない。


「リヒト様を正気に戻す手立てだけじゃなく、本当の私を正面から愛してくれるお相手も探さないといけないわね。そう簡単には信頼出来る人なんて出会えないでしょうし、そもそも家格だって色々と関わってくるから、正直気は進まないけれど」


 万が一周りの都合で元鞘にされたら困る。となるとやはりカナリアの次の相手は必須な訳で、冗談めかして零したカナリアの頬に、そっとイグニスが手を当てる。


「へぇ、だったら俺が立候補しようかな」


「ーっ!!!?」


 ギッと、軋む音がしそうなほどあからさまに固まってしまった。いつもなら『馬鹿な冗談言わないの』と、そう流せたのに。

 どうしても、声が出てこない。


「……なんてな。さ、帰るんだろ。門までは騎士団長に送ってもらうようにしてあるから。ユーリ、そこまでご案内しろ」


「かしこまりました、殿下。さぁカナリア様、こちらへ」


「あっ……」


 目に見えて困り果てたカナリアに小さく笑って、イグニスが離れていく。何か声を掛けたかったがユーリに帰路を促され、短い挨拶を残すので精一杯になってしまった。
















 カナリア達を無事見送ったユーリが来賓室に戻ると、窓際でグラスを傾けていた主君がこちらに振り向いた。


「……カナリアは?」


「きちんとバーナード公爵家の馬車でご帰宅なさいましたよ。だいぶ動揺しておられました、の言葉に」


 若干の非難が滲む指摘に、イグニスはグラスの中身を一息に煽る。

 

「……酔ってたんだよ、お互いにな」


「ザルの癖してなに言ってるんですか、たかだかボトル一本ではほろ酔いにすらならないでしょうに」


 再び外に顔を逸らした主君の表情はわからない。


 『まぁ、今夜はそういうことにしておいて差し上げます』とだけ言い残し、ユーリはそのまま退室した。



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