Ep.21 悪役令嬢の涙
(私はどうしたのだろう、ものすごく頭が痛い……)
身動ぎしただけでグワングワンと響く頭痛に顔をしかめつつも、カナリアはうっすらと目を開く。まず視界に飛び込んで来たのは、青白い顔をして自分の顔を覗き込んでいる両親の姿だった。
「お母、様……、わたくし、一体……?」
「あぁカナリア!目が覚めたのね、良かった……!」
安堵の表情の母に抱き締められながら、混乱した頭で記憶を辿る。そして、舞台本番間近の控え室で途絶えた記憶と、既に日が落ち切った窓の外の景色を見て青ざめた。舞台の開始時刻は、午後の2時からだったはずだ。
「お父様、お母様、演劇祭は!?舞台は、どうなりましたの!?」
「……っ!」
「ーー……」
抱き締めてくれる母にすがり訊ねたカナリアから視線を逸らし、両親が頭を振る。神妙な顔をした父がベッドの脇に屈み、カナリアの手を取った。
「カナリア、落ち着いて、自分を責めずに聞きなさい」
そう、あくまで優しい声音で念押しした父が、カナリアが本番直前に倒れた事、すぐにリヒトが呼びつけた王室の医師に見せたが『過度の疲労による失神』と判断され起こす事が出来なかった事。そして、舞台は急遽代役として指名された女子生徒が出演し、とっくに終わってしまったことを説明してくれる。カナリアは愕然と、母の胸にもたれ掛かった。
「そんな、わたくし、何て失態を……!」
青ざめているカナリアの背を擦りながら、母が舞台後に催されている夜会ではカナリアの兄達が来賓へのフォローに回っているから今は身体を休めるように言うが、とてもそんな気にはなれない。自分がしでかした失態の大きさとそれの後始末に向かってくれた兄達への負担への罪悪感の事ももちろんだが、“舞台直前の控え室で倒れる”と言うこの展開に覚えがあったのだ。
背筋に伝う冷や汗と悪寒は、嫌な予感のせいなのか、はたまたまだ体調が悪いからなのか。その判断もままならないまま、背筋を伸ばし父に頭を下げる。
「申し訳ございませんでした、お父様とお母様にもとんだご迷惑を……!」
「過ぎたことだ、顔を上げなさい娘よ。これはお前だけじゃなく、異変を察知出来なかった私達の責任でもある。ただ、今日お前の代役を務めた女子生徒には後日正式に謝罪と礼をしないといけない。確か名前は……」
「メリア・シルフィード。……聖女候補として特待入学した市街出身の女生徒ですわね」
そう言い切れば、知っていたのかと両親に不思議そうな顔をされる。その様子に、やはりかと嫌な寒気が背筋を走った。
(ルートに入った攻略対象との特訓を重ねて万全の体制で迎えた演劇祭当日に、“なんらかの要因”で意識を失い舞台に立てなくなってしまう。倒れるのは本来“
ゲーム通りなら、ヒロインであるメリアが悪役令嬢カナリアに監禁、もしくは薬を盛られて倒れるイベントだった。本来ヒロインが収まる筈だった舞台の主役に自分が収まってしまったことで被害者がヒロインから今のカナリアに変わってしまったのだろう。
「それでは、今、リヒト様は……」
「ーー……舞台後の夜会には主役二人がパートナーを組み出席する習わしだからな。今は代役のメリア聖女候補と夜会に参加しておられる。恐らく、今日中にこちらにお越しになることはないだろうな」
「そう、ですか……。リヒト様にも、後日きちんと謝罪しなければなりませんわね」
「か、カナリア、貴女が意識を取り戻す前にリヒト殿下も一度いらしたのよ。この医務室にまでは入らなかったけれど心配なされていたわ。数日はきちんと身体を休めるようにと仰られていたのよ」
父の説明にがっかりしたように見られたのだろう。慌てて取り繕うように補足してきた母に、少しだけ笑みを浮かべて頷く。
「わかっておりますわ、お母様。わたくしは大丈夫です。本当に、申し訳ありませんでした」
笑顔を取り繕って頭を下げる愛娘に、両親は悲しげに顔を見合わせたものの、彼女の性格上励ましても嫌がるだけだとわかっているのか何も言わなかった。ただ、『夜会が終わり次第一緒に帰るからそれまで寝ていなさい』とだけ言い残し、連れ立って出ていく。
この後二人もきっと、娘であるカナリアの失態について夜会で肩身の狭い思いをするに違いないのに、ただの一言も、カナリアを責めずに。
その優しさが、余計に、辛かった。
(私の馬鹿、ゲームのシナリオは知っていたのに、どうして当日の警戒を怠ってしまったの……!)
窓の外から聞こえてくる城下町の祭りの賑やかな声と陽気な音楽から逃げるように、毛布のなかに潜り込む。
出演した上で、実力不足で責められるならばまだ納得出来たが。あれだけ、長い時間を費やしてやっとここまで来たのに、
(リヒト様も、きっと呆れられたでしょうね……)
夜会といっても王家主催の物とは違い、抜け出す余裕が全くないわけではない筈なのに。倒れたカナリアの顔を直接見なかったり、意識が戻った事を聞いても音沙汰が無いのは、怒りを買ったからに違いない。
このイベントで“舞台に出演出来なかった” 場合は、相手役に選んだ攻略対象の好感度が足りていなかったと言う証拠でもあるから。
今までならば、それでもシナリオなんかに負けて堪るかと挽回の道を考えて自分を奮い立たせられるのに。体調が優れないせいか、考えれば考えるほど今は気持ちが沈んでいく。
部屋に灯された魔導ランタンの柔らかい明かりも、微かに耳を掠めるケルト音楽も、夜会会場の方から漂うワルツのリズムも、何もかもが痛くて仕方がなくて布団の中で耳を塞いだ。
が、その直後、不意にバタバタと誰かが廊下を走る足音が響いて来た。焦っているのかかなり荒いその足音に、非常事態かと起き上がり身なりを軽く整える。どんなに辛い時でも、弱っている情けない姿を他人には見せたくなかったから。
「おっ、お待ち下さい!お嬢様は先程意識を取り戻されたばかりでまだ体調も回復しておらず……ちょっと!!」
扉の外で見張りをしていたマーガレットの焦った制止の声を振り切り、足音の主が勢いよく扉を開く。息を切らしてそこに立っていた彼の姿に、カナリアは目を疑った。
「カナリアっ、大丈夫か!?」
「イグニス殿下!困ります、こんな所を誰かに見られては更にお嬢様の立場が……!」
「不躾なのは承知の上だ、すまない。だがこの棟そのものの人払いもしたし、父とリヒトには許可も取った。責任は俺が取る、大丈夫だ」
王子を無理には追い出せず口で退出を訴えるマーガレットに謝罪を述べつつも、イグニスは迷わず中に入ってきた。
ポカンとしたまま、淡い灯りの中でも煌めく深紅の髪を見上げる。
「イグニス、様……?」
「……俺一人だ、外面を作らなくていい。身体も起こすな、寝てろ」
壊れ物に触れるような優しい手付きで寝台に倒された。抵抗する理由も無いので、そのままポスンと布団に横になる。
マーガレットは観念したのか、一度深いため息をついてから廊下に戻っていった。
静寂の落ちた薄明かりしか無い部屋では、見上げたイグニスの表情はよくわからない。
「イグニス……、ごめんなさい。あんなに付き合って貰ったのに、最悪の形で貴方の協力を裏切ってしまって」
「ーー……」
横たわったまま述べた謝罪に、言葉は返って来ない。でも、イグニスが頭を横に振ったのはわかった。
「……倒れたのは、お前の責任ではないだろう。具合はどうだ」
「大したこと無いわ、今はもう、少し頭痛がするだけよ」
そう答えると、小さな小さな『良かった』と言う呟きの混じったため息が落ちてきた。
何て事をしたのだと責め立てに来たのではなく、心配して来てくれたのだろう。そう言う、優しい人だ。だからこそ。
(今は、誰よりも、リヒト様やヒロインより、貴方に会いたく無かったのに)
「なぁ、カナリア……」
「ふあぁ……、でもやはりまだ頭が重いわ。私も少し眠りたいし、イグニスも夜会の方に戻った方が良いわよ。もうすぐ花火も上がる時間でしょう?」
揺れる心境を悟られないよう、バレないように布団に潜り込みながら、わざとらしくあくびをして見せた。淑女らしからぬ振る舞いだが、彼の前では今さらだろう。
今は築き上げてきた完璧令嬢の見栄や、立場や矜持より何より、早くイグニスに立ち去って欲しかった。そうじゃなければ。
熱くなった目頭と、潤みきった視界を、あくびをしたせいだと誤魔化し切れないではないか。
(泣くな、失態を犯した私が、散々協力してくれたイグニスの前で泣く資格なんか無いのよ……)
『だからお願い。早く出ていって……!』
そのカナリアの願いが通じたのか、ため息混じりに肩を落としたイグニスがベッドに背を向ける。が、彼の向かった先は出入口の扉ではなく、ランタンの置かれた出窓だった。
そのままイグニスがランタンの灯りを消し、厚手のカーテンを閉める。表情所か相手の輪郭もわからないほど部屋が暗くなったのと同時に、外では花火の音が響き始めた。
「イグニス、あの……ひゃっ!」
コツコツと再びこちらに戻ってきた彼の意図がわからずに居ると、いきなり視界が完全に真っ暗になった。じんわり感じる温かさと嗅ぎ慣れた柑橘系の香水の香りに、イグニスの掌で目元を覆われたことを悟る。
「いっ、イグニスったら、淑女の視界を塞ぐだなんて王子としてあるまじき行いじゃなくて?」
「茶化すな。……全く、これだけ部屋が暗くちゃ互いの表情もわかりやしないな」
いや、わざわざ灯りを消してそうしたのは貴方ではないのか。そう突っ込みたいが、呟くイグニスの声音がいつになく妙に落ち着いていて、言い返せなかった。
静かな部屋に、ドォンと花火の発射音が落ちる。
イグニスはカナリアの目元を優しく覆ったまま、カーテンの閉めきられた窓へと視線を投げた。
「今夜は外もなかも酷く騒がしい、これじゃあ、些細な声なんて誰にも聞こえねーよ。だから、強がるな。泣いちまえ」
「……っ!」
何なんだ、ずるいじゃないか。一際花火が多く鳴り出した瞬間に、そんな囁きをされたら。もう、限界だった。
せきを切ったように、瞳から雫がこぼれだす。
部屋に響くカナリアの泣き声をかき消すように、外からは花火の賑やかな音が鳴り響いていた。
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