Ep.20 陰謀

 朝から城下には露店が立ち並び、街中には賑やかな音楽が響き渡り、空には魔術で作り出した幻獣が飛び回る。

 いよいよ演劇祭当日がやって来た。


 純白の滑らかなシルク地に金糸の繊細な刺繍を施された衣装を身にまとったカナリアが、らしくもなく不安げな様子で姿見の前で自分の姿を何度も確認している。


「ねぇマーガレット、本当に変な所は無い?こんな聖女みたいなドレス、私には似合わないのでは無いかしら……」


「いつもはどんなお召し物も颯爽と着こなしていらっしゃるのに、本日はずいぶんと弱気ですねお嬢様」


 『珍しい』と、本音を隠さず明け透けに呟く侍女にカナリアは苦笑する。

 本来ならばヒロインが演じる筈であった“聖女”の役に、“悪役令嬢”である自分が収まるこの気恥ずかしさと不安はとうてい説明して伝わるものでは無いだろうと。


「ふふ、お嬢様が緊張なされている姿を見るのはリヒト殿下との初の顔合わせの際以来ですね。ご安心下さいませ、いつもと変わらずお綺麗ですよ、容姿・・は」


「ちょっと、貴女はどうして毎回最後の所を強調するのかしら!?」


「あら申し訳ございません。長年お仕えしている私としましてはお嬢様がいかに残念……いえ、無垢な御方かを知るあまりつい本音が。何分、正直者が私の長所なものですから」


「主人に敬意もなく毒を吐けるような無神経な長所なら今すぐ捨ててらっしゃい!」


 小道具のファー付き扇子でバシンとテーブルを叩いて抗議すれば、マーガレットは冗談ですと小さく笑った。


「何が冗談よ、こっちは本番間近で緊張してるって言うのに意地悪なんだから」


「申し訳ございません。でも、力は抜けたでしょう?」


 姉のように優しい笑みでそう言われて、抗議の勢いが落ちる。確かに、普段となんら変わらないやり取りに緊張が紛れたのも事実だった。


「そうね、貴女の無礼は今に始まったことじゃないしね」


 仕方がないから許してあげるわと笑うカナリアに微笑み返すマーガレットが、自身の耳に光る真珠のイヤリングにそっと触れながら言う。


「大丈夫ですよ。胸を張って行ってらっしゃいませ、お嬢様。あの日、身寄りを失くした私を母の形見のこの耳飾りと共に買い取って頂いた瞬間から、貴女様は私にとって世界で一番美しい御方です。容姿はもちろん、どんなに苦手なことにも逃げずに立ち向かい続けられる、その心も」


「ーっ!マーガレット……」


「何より、お嬢様の歌が破壊音波でなくなるなど神でも不可能だった神業!ここまでやったのですから、何も心配はいりませんよ!」


「本っっっ当貴女って正直者ね、いっそ清々しいわ!!」


 ちょっと感動した私の気持ちを返せと言いたい。全く、常に一言多い侍女である。


「イグニス様には本当に感謝しなければいけませんね」


「そうね。今日はまだお会いしてないけれど、本番が終わったら改めてお礼をしないと。……あら?そう言えば、まだお茶が届いてないわね」


「あぁ、例の薬湯ですか?」


 昨日『更に効果が増すように薬草を割増して作らせるからな!』なんて張りきっていたくせに、まさか忘れたのだろうか。いや、飲みたくないと言えば飲みたくないので別に良いのだが。でも、約束を破る相手じゃないと信じているので少し気になったのだ。


「来賓室に王族の皆様もお見えの筈です。私がイグニス様の執事に確認して参りましょうか」


「そうね、本番まであと一時間も無いし……お願い出来るかしら」


「かしこまりました」


 来賓室は控え室からかなり遠い。マーガレットの戻りを待つ間と再び台本確認に戻ろうとしたカナリアだったが、そこで控え室の扉がノックされた。

 マーガレットがこんなに早く戻る筈もないし、控え室は舞台関係者以外立入禁止だ。一体誰だろうかと不審がりつつも、侍女が不在の為仕方なく自分でノックの主に声をかける。


「はい、どなたかしら?」


「やぁカナリア。僕だけれど……開けて貰えないかな?」


 扉越しでも聞き間違えようが無い、中性的な優しい声。慌てて扉を開けた。


「リヒト様!どうなさったのですか!?」


「本番前にすまないね。兄上から届け物を預かってきたんだ」


「イグニス様から?これは、もしや……」


「薬湯だよ。喉に良いんだって?僕も少し貰おうかな」


「ーっ!!?だっ、駄目です!!これはまともな歌声を持つ人間には過ぎた薬ですから!!」


 リヒトが軽く揺らしていた見慣れた水筒を思わず引ったくる。

 午前中のリハーサルで耳にしたリヒトの演技と歌声はそれはそれは美しく非の打ち所が無かった。そんな彼に、わざわざこの苦行を与えてなるものかと。


「ふふ、冗談だよ」


「笑い事じゃありませんわ。それにしても意外ですわ、イグニス様がリヒト様に頼みごとをされるだなんて」


「あぁ、薬湯を煎じるのに時間がかかったせいで届ける前に君が会場に来てしまったからね。控え室には関係者以外入ることが出来ないから、困っていたのではないかな」


 なるほど、言われてみればその通りだ。それは悪いことをした。今イグニスの方に向かったマーガレットにも、無駄足を踏ませたことを後で謝らなければ。


(何よもう、王族ならちょっとの無理くらい通るのだから、自分で来てくれれば良いのに)


 緊張している教え子に顔ひとつ見せに来ないだなんて。とモヤついた気持ちが浮かんだが、軽く首を振ってそれを振り払う。

 気軽にこんな頼みを出来るようになったなんて、意外と王族兄弟の仲は少しずつ縮まっているのだろうか。だとしたら、とても嬉しいことだと。


「リヒト様にもわざわざご足労いただきまして、申し訳ございませんでした」


「おや、おかしなことを言うね。寧ろ、リハーサルではゆっくり見られなかった婚約者の美しい衣装姿を見ることが出来て得をしたくらいだよ?白いドレスは初めて見たけれど、よく似合っているね」


「なっ……!?ほっ、誉めても何も出ませんわよ!」


 婚約してから長い付き合いだが、リヒトからこんな直接的な言葉を受けたのは初めてだ。真っ赤になり思わずそっぽを向いたカナリアにクスクスと笑うリヒトが、余裕の笑みのまま踵を返す。


「じゃあ、僕も支度があるから戻るけれど。色の濃い薬湯だし、飲むときは汚さないよう衣装は脱いでから飲むんだよ、いいね?」


「ふふ、そんな粗相は致しませんわよ」


 らしくもなく、保護者めいた忠告までして去っていく婚約者リヒトを見送り、扉を閉める。


 衣装は見た目は豪奢だが、意外と作りは単純で一人でも脱ぎ着が出来た。彼にはあぁ言ったが、リスク回避の為衣装は脱いでからティーカップに薬湯を注ぐ。


(色はいつもと同じね……、匂いはキツいけれど)


 だが、ずっと飲み続けてもう耐性もついた。さながら青汁の宣伝の女優になったつもりで、カップの半分位を一気に飲み干す。


(うっわぁぁ……、苦い!苦すぎて身体が痺れてきた……!でも、しっかり飲み干してイグニスに本番で成果を、見せ……て…………あ、あれ…………?)


 普段から更に五割増しの苦味に、口の中から始まった痺れが手足、そして頭へとじわじわ広がっていく。これはまずいと思う間もなく、カナリアの身体は誰もいない控え室の床へと崩れ落ちた。



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