Ep.15 この世に完璧なんてない
『国立魔術演劇会の舞台で主演を勝ち取ることが出来たら、恋人役として一緒に舞台に立って欲しい』
放課後のバーナード公爵家。二人きりの自室にて珍しく緊張した面持ちでカナリアは、美しい所作で紅茶を味わっているリヒトにそう切り出した。一瞬首を傾いだ婚約者の姿を見つめながら、ゴクリと息を飲む。
ずいぶんと長く感じた沈黙のあと、リヒトは穏やかに微笑んだ。
「わかった、約束するよ」
「ーっ!よ、良いのですか……!?」
「あぁ、構わないとも。君から僕になにかをねだるなんて初めての事だしね?」
その答えにどっと肩の力が抜けてソファーに姿勢を崩した。存外、緊張していたらしい。
珍しく淑女らしさを欠くカナリアの様子を見てリヒトがからかうような笑みを浮かべる。
「但し、もちろん君が本当に実力で主演に選ばれることが出来たらの話だけどね?今年の演目は丁度聖女伝説の逸話だから、既にメリア嬢を主演にと推す声も多いと聞く。あとたった一月足らずの短い期間で、彼女に盲信している高位貴族の子息達を含め反対勢力を黙らせることが出来る自信はあるかい?」
「ーっ!もちろんです。卑怯な真似は致しません。誰が見ても素晴らしいと思わせるような完璧な主役を演じて見せますわ!」
ヒロインの名前に一瞬ドキッとしたが、それが寧ろ気合いに変わる。力強く宣言したカナリアに、リヒトは『期待しているよ』と微笑んだ。
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そして1ヶ月後。学園側からの素行、成績による得点で既にメリアに大幅に差をつけていたカナリアは、舞台監督達の前で行われた本当の台本を使用した演技力審査……すなわち、オーディションでも見事な主人公を演じきった。それはもう、生まれたときから自分はこのシナリオの主人公の女性であったかのように自然に。
それはそうだ。普段から“完璧な淑女”を演じている彼女にとって、最早演じることは息をすることに等しいのだから。
そうして、カナリアは誰にも文句のつけようがない実力で見事主演の座を勝ち取ったのである。
と、言うわけで、今日はリヒトに主演合格の吉報が記された羊皮紙を見せびらかしに王宮までやって来たカナリアであった。
「リヒト様!ご覧下さい、無事国際魔術演劇祭の主演に選ばれましたわ!!」
その言葉にリヒトは一瞬きょとんとし、それからカナリアが出した羊皮紙をしっかり読み込んで、微笑んだ。
「おめでとうカナリア、君なら心配はないと思っていたけど流石だね。大したものだよ。約束通り、僕も精一杯君の相手役を勤めさせてもらおうかな」
「ありがとうございます!それでですね、既に台本も届いておりますので、その……」
「ん?」
少し尻込みするように言い淀んだカナリアに、先を促すようにリヒトが笑ったまま首を傾ぐ。意を決したようにカナリアはリヒトに台本を差し出した。
「か、完璧な舞台にする為にも、よろしければ週に少しでも良いので一緒に練習するお時間を頂けませんか!?」
「えっ……?」
驚いたように、リヒトから笑みが消えた。そして、すぐに申し訳なさそうな表情に変わる。
「ごめんね。国際魔術演劇祭は国事だから、僕もこの期間はなにかと忙しくて……その要望には答えてあげられそうにないな」
『本当にごめんね』と、麗しい顔で悲壮な表情を浮かべられてはわがままは言えない。カナリアは慌てて首を横に振った。
「謝らないで下さい!ち、ちょっとした思い付きの提案でしたの、リヒト様が気に病むことはございませんわ。わたくしなら一人でも、皆を感動させられるような演技を極めて見せますとも!」
「ありがとう、君のような頼もしい女性が僕の婚約者で本当によかったよ」
初めて言われたその言葉にカァッと頬が熱くなった。うつむいたカナリアにくすりと笑い、リヒトが立ち上がる。
「じゃあ、時間だから僕は行くね。あぁそうそう。今年の舞台の目玉のひとつは、主演が演じる聖女による聖歌の独唱だとか。君の歌声は聴いたことがなかったからね、楽しみにしているよ」
「はい!……え?せ、聖歌……!?」
「うん。楽譜も台本にあるのではないかな」
『じゃあね』と去るリヒトの背中を見送った一分後。王宮の中庭でカナリアはガクリと項垂れた。
「歌、歌があるなんて聞いてないわよ!どうしましょう、どうしたら……!」
あたふたしつつも歩き方だけは優雅に、とりあえず帰るために王宮を歩き続ける。渡り廊下に差し掛かったその時、微かに耳を掠めた旋律に足が止まった。
(歌声だ……、男性のようだけど、とても綺麗……。王宮に仕える楽士か誰かが歌っているのかしら)
人を惹き付ける力強さがあるが、どこか懐かしさを感じさせる優しい歌声だ。導かれるように音源を探したが、あと少しでたどり着きそうだと思ったところで歌声が止んでしまう。あぁ、と思わず廊下で立ちすくんでしまった。
「仕方ない、これ以上の長居は流石に無礼だわ。帰らないと……」
「先程から無断でうろついているのは誰だ!?」
「きゃっ!」
踵を返した瞬間、バンッと開いた扉と罵声。驚いて身構えたが、見えたのはよく見知った顔だった。
「イグニス!……様、ごきげんよう」
「なんだ、カナリアか。なんで……あぁ、今日はリヒトとの茶会の日だったな」
えぇ、と頷いた時、飛び出してきたイグニスの背後の部屋にピアノがあるのが目にはいる。そして、思い出した。
ゲームでのイグニスがヒロインと恋に落ちるルートでは、彼が聖女の重責に押し潰されそうなヒロインを寝かしつける為に子守り歌を歌ってくれるスチルがあったこと。そして、その声が素晴らしく美声であったことを!
「ったく、あんな王宮の端まで公爵令嬢が一人でうろうろするなよ、危ないだろ。じゃあ気をつけて帰っ「イグニス!……様!今から少しだけお時間頂けます!?」はぁ!?いやまぁ確かに暇だし構わないが一体何事……おい、ちょっと!?」
一応王宮内なので誰に聞かれているかわからない。と、取って付けた敬語でイグニスの言葉を食い気味に遮ったカナリアが、彼の腕を引っ張って家に向かう馬車に力付くで押し込む。
「だから一体何だって言うんだ!!」
「いけばわかります。よし、いいわ。出してちょうだい!」
そう困惑するイグニスを華麗に無視したカナリアの掛け声で、馬車は無情に走り出した。
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バーナード家に誘拐ーー……もとい、強制的に招待されたイグニスが通されたのは、以前ピアノ勝負などで使用していた音楽室のような役割の部屋だった。
なぜだか神妙な顔で狼狽えている使用人達が居るその部屋に入るなり、カナリアが両手でガシッとイグニスの手を掴んだ。
「イグニス!お願いがあります!」
「ーっ!?」
手を繋がれたまますがるような顔つきで距離を詰められれば、彼女の名の由縁でもある
ゾクリと、繋がれた手の先から全身に広がるような甘い痺れに、思わずたじろいで視線を逸らした。
一体どうしてしまったんだ、自分は。と、浮かんだ疑問を振り払うように一度小さく頭を振った。
「……っ、わかった。わかったから、とりあえず手を離せ。掴んでなくたって逃げやしねーよ」
「本当!?約束よ!」
「あぁ。あ、でも極端に権力に関わるような話とかは無しだぞ!あくまで私的な範囲しか聞かないからな!」
「わかってるわ、大丈夫!簡単な事だから!」
とにかく手を離して欲しくて投げ槍に承諾するなり、カナリアがパアッと笑顔になり、片や控えていた使用人達からは落胆のような声が聞こえてくる。
普段は仲良く明るく働いているバーナード家使用人達には珍しいその姿にイグニスが首をひねった向かいで、カナリアが備え付けの自動演奏機の前で真剣な表情になる。
「イグニスには、私の歌を聴いてみてほしいの!」
「……歌?」
なんだ、真剣な顔で何を言い出すのかと思えば……と、苦笑したイグニスの前で、カナリアが演奏機の再生ボタンを押す。
瞬間、窓から一番遠い壁際に控えていたカナリアの専属侍女・マーガレットが、サッと取り出した耳当てで自身の耳を塞いだ。
「は?おいマーガレット、一体何を……」
そう問いかけるより先に、流れていた聖歌の前奏が終わる。カナリアが、大きく息を吸い込んだ。
その直後、部屋中の窓がビシリと割れた。
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