Ep.13 女の涙はただじゃない
『導きの王子と癒しの聖女』
ある日の放課後。ロワゾーブルー王国に古くから伝わる伝記を子供向けの絵本にしたそれに目を遠し、カナリアはため息を溢した。
この世界は、火、水、風、土の基礎的な魔力と、そこから派生した十数種類の魔法により生成されている。しかし、多くの魔法が満ちてきたこの国の中でも、普通の人間には扱えぬとされる神の領域に入った術がある。それが、傷や病を治す力…RPGやファンタジー小説風に言うならば、“治癒術”だ。
何百年と続いてきたロワゾーブルー王国の歴史上、その神秘の力を賜った人間はたった一人しかいない。
ここまで書けばもう皆様察したと思うが、今しがたカナリアが読んでいた絵本に記された古の聖女こそがそうであり、その唯一無二にして絶対の力を受け継ぎ生まれてきたのが、ヒロインのメリア・シルフィードなのだった。
長ったらしくなってしまったが、ようは何が言いたいかと言うと。
(私……、結構詰んでない?)
と、言うことである。
淑女として、未来の王妃としての“教養”なら、絶対負けない自身があった。だが、ヒロインの“聖女”設定は言わばチートだ。しかも、政治的にもかなり価値が高いレベルの。だって、先代の聖女はこの国の初代王妃であると語り継がれているから。
(しかも、聖女と言うだけで民から慕われるのはもちろん、彼女は庇護欲を刺激して男性を虜にするのが上手い……。このままでは厄介よね)
カナリアの目から見ても、メリアの手腕は見事なものだった。入学してからまだたった半年しか過ぎていないにもかかわらず、既に攻略対象の7割はメリアに心を奪われている。
しかも厄介なことに、彼女の本命はリヒトのようなのだ。
クラスが同じになったこともあり、ことある毎にメリアはリヒトとカナリアの所に寄ってきてはやれマナーがわからないから見てくれとか、一緒に勉強して欲しいとリヒトにねだり、彼を掠め取っていく。
始めこそリヒトも断っていたのだが、傷を治された恩がある上に政治的にも価値が高い彼女を無下には出来ず。極めつけにあの美少女に『私まだ貴族のこととか全然わかんなくて、リヒト様しか知り合いも頼れる方も居ないんです……』と潤んだ瞳ですがり付かれては、断りきれなかったと言うわけだ。断って泣かれたりしたら、流石に外聞が悪いから。
まだ覚醒前で聖女”候補”なのにこんなに横暴では先が思いやられる。なにか解決策が見つかりはしないかと“聖女”に関する書物を図書室に漁りに来たものの、めぼしい情報はなかった。
「仕方がない、この本は戻して何か別のー……きゃっ!」
「うわっ!!?」
もう少し別の方向からアプローチしてみようか、と立ち上がって振り向いたカナリアは、丁度奥の本棚の影から出てきた他の生徒とぶつかってしまった。
「もっ、申し訳ございません。わたくしったら余所見をしていて……って、イグニス!」
「カナリア!?いや、俺の方こそ悪かった。借りたい本がいろいろあってまとめて詰んだら前が見えなくなっちまってさ……ごめんな」
頬をかきながらそう笑うイグニスは、以前より少し落ち着いた雰囲気になったような気がした。
(この資料、国政や税率、国の貧富の差や食料問題なんかの内容のものばかりだわ。最近勝負の頻度が少し減ったと思ったら……その分の時間を勉強に回してたのね)
高等科に上がってから、イグニスの評判は上がってきている。傲慢な振る舞いは減り周りを尊重出来るようになったし、以前はリヒトと張り合い彼のやるのと同じ分野しか勉強しなかったのが、今は積極的にさまざまな分野の知識を学んでいると。
『リヒトに勝つためだけじゃなく、俺も仲間や民の役に立つ知識や力を身に付けたいと思ったんだ。お前みたいに』と微笑むイグニスの成長ぶりに驚いたが、同時に何故だかライバルとして鼻が高いような気持ちになった。
床に散らばった本を二人で拾ってイグニスの手に乗せれば、彼の顔より高いくらいの量だ。いっそ感心すらしてしまう。
「邪魔して悪かった。じゃあ次の勝負の日に」
そう言い残し、イグニスが一歩踏み出した。
……ら、なぜか今拾ったばかりの本がまたバサバサっとバランスを崩して彼の手から落ちた。
仕方がないのでまた一緒に拾う→イグニスが歩く→また崩して拾うのこのループを三回ほど繰り返した後、イグニスが『あーもう!なんでだ!!』と柱に額をつけて項垂れた。
(それは……貴方が不器用さんだからじゃないかな……)
こう言う、優秀なくせに意外と不器用な一面があるのがイグニスの可愛い所である。
くすりと漏れた笑いを誤魔化し、仕方ないから一緒に運んであげますかと、彼の借りた本を半分抱えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本の運び先は、二人の王子に学園からそれぞれ与えられている専用の執務室だった。
整頓されたテーブルに本を置いてようやく一息つくと、さりげなく目の前にティーカップが差し出される。
「どうぞ、カナリア様」
「あら、ありがとう。いただきますわ」
お茶を淹れてくれたのは、昔からの専属だと言うイグニス付きの年若い執事だ。
礼をのべてカップに口をつけると、柔らかなカモミールの香りが広がった。
「美味しい……。でも、茶葉が名産の我が国でハーブティーなんて珍しいわね」
「えぇ、殿下が『最近カナリア嬢はリヒトと聖女殿のことで気疲れしているようだ』と気にしておいででしたので、気持ちが和らぐお飲み物が良いかと取り寄せ……」
「ユーリ!!!」
主人であるイグニスに鋭い声で名を呼ばれ、執事は全く悪びれない笑顔で『大変失礼いたしました』と言い残して退室していった。
それをじと目で見送って、イグニスが気まずそうにくしゃりと前髪をかきあげる。
それから、急に真剣な眼差しで話を切り出した。
「リヒトが何を思っているのかはわからないが、最近の聖女とあいつの距離は異常だろう。メリア嬢は他の婚約者がいる異性とも平気で至近距離でスキンシップをはかり日常を過ごしている。と彼等の相手の令嬢達から苦情も来ているが……お前は大丈夫なのか?」
「ーっ!」
やはり心配してくれていたらしいイグニスに聞かれ、カナリアは『平気よ』と微笑んだ。
イグニスが『嘘をつけ』とばかりに両目をすがめる。
「さっきの図書室での姿を見るに、とても平気には見えないがな……。リヒトに文句……は、流石に言いづらくても、涙の一粒も見せてやればあいつも驚くんじゃないか?」
「あら、嫌よ。泣いたりしたら私があの子に負けたみたいじゃない。私は、魔法以外のことならあの子はもちろん誰にも劣らない自信があるわ。誰が泣いてやるもんですか!」
『私の涙は高いのよ』と、そう勝ち気に笑って言い切ったカナリアにイグニスが目を見開き、そして小さく吹き出した。
「ははっ、流石だな。男前過ぎて惚れそうだ」
「あ、もう素晴らしい婚約者も居ますし間に合ってます」
「知ってるよ冗談だよ真面目に返すな友達でも傷つくから!……まぁ、冗談はさておき」
すっと伸びてきたイグニスの手が、カナリアの頬に触れる。屈託のない、真摯な眼差しが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「お前は、良い奴だ。始まりは俺からふっかけた喧嘩だったが、お前は表ではへりくだって裏で俺を馬鹿にするんじゃなく、いつも正面から本気で、対等に勝負をしてくれた。気高いが情のある人柄も、時期王妃として身に付けてきた男でもくらいの高い教養も唯一無二の素晴らしいものだと思う。だから、負けんじゃねーぞ」
その言葉が、少しすさみかけていた心にしっかり、響き渡った。高い地位にいけばいくほど言葉には裏しかないような貴族社会に居ながら、イグニスの言葉には本当に裏表がない。
だからこそ、彼の声には“信じたい”と思わせる何かがあるのかもしれない、と感じて、無意識にふっと唇が綻んだ。
そうだ、自分は確かに、ゲームでは悪役令嬢だ。だが、それがなんだ。
今のカナリアは、婚約者の背を追い回してばかりで色ボケした、悋気にまみれた馬鹿で無力な娘ではない。
(そうよ。今の私は、陛下はもちろん、多くの貴族から認められる聡明で優秀な完璧令嬢であり、リヒト様に一番ふさわしい婚約者。そして、ここに居るイグニス・ロワゾーブルー王子のライバルだわ!)
やられっぱなしも泣き寝入りも、自分の性には合いやしない。イグニスとの会話でそれが再確認出来た。
「よし、そうと決まれば、あの聖女候補に正々堂々と皆の前で勝って見せるわ!……と、言いたいところだけど、何で勝負したら平等に戦えるかしら」
ヒロインのメリアは平民で、貴族ばかりのこの学園には入ったばかりだ。そんな彼女に貴族流の内容で勝負を挑むのはフェアじゃない。
“悪役令嬢”と言うシナリオに打ち勝つ為にも、卑怯な勝ち方はしたくなかった。
「正々堂々としていて、メリア嬢でも挑戦できて、かつ皆の前でハッキリ決着が着く内容か……。なら、丁度いいものがあるぜ?」
悩むカナリアの目の前で、イグニスが一枚の羊皮紙を広げニヤリと笑った。
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