(回想)濁流

 砦の周囲には、待避壕と土壁が縦横に走っている。囮の馬車が脱出したのは、そのなかに用意された抜け道。重量のある車輌が通行できるのは、実質そこしかない。

 そして、その道は直後に土魔法で吹き飛ばされた。


「攻め手が装甲車輌に乗ってるとわかって選んだ手だとしたら、悪くないな。問題があるとしたら、自分らも逃げられんってことだけだ」


 ヤダルが他人事のように笑う。ハイダル王はハンヴィーを停車させ、ドアを開けた。


「ちょっと待て王様、どうする気だ」

「悪因を断ちます。ヤダル殿とミスネル殿は、こちらでお待ちください」

「しかし」


 わたしが止めようとすると、いつの間にか王の傍に立っていた護衛のフェルが静かに振り返る。


「ご心配なく。王には擦り傷ひとつ付けさせたりはしません」


 フェルはふわりと幸せそうに笑う。双子の姉妹である彼女たちは、エルフには珍しいくらい感情が豊かで朗らかだ。任務でハイダル王から離れることになった側は驚くほど無感情無表情になるという噂を聞いたが、いささか信じ難い。


「おふたりには、ここまで十分にご尽力いただきました。ですがこれは、わたしたちがやるべきこと。かつてやり残したことなのですから」


 そういって、ハイダル王とフェルは敵陣へと歩いてゆく。まるで自分の家に帰るかのように、迷いも緊張もなく。


「ま、大丈夫だろ。“ぺーぺーしゃー”もあるんだしさ」


 運転席のヤダルは、呑気に手を振って見送る。

 たしかに、彼らが愛用の短機関銃サブマシンガンを携えている限り、十や二十の兵士など脅威でもなんでもない。わたしが不安なのは、それ以上の敵が待っていた場合のことだ。

 その不安をヤダルは察したらしく、振り返って笑った。


「王様が危ない、って話じゃねえよな?」

「聞いた話が本当なら……たぶん危ないのは、わたしたち」


 彼女自身も、わかっているのだろう。エンジンは切らず、運転席でハンドルを保持しシートベルトも着用したままだ。わたしたちは黙って耳を澄ませる。上手くいけば良いななどと、心にもない願望を吐くのはやめた。


「なあ、さっき王様さ。あの……イーケルヒ、とかいったか」

「ええ。ソルベシアから落ち延びた、生き残りの国。ハーフエルフの国というか、混血の国というか……」

「その辺の事情は、あたしにはよくわかんねぇ。でも要は、イーケルヒの連中にとってソルベシアってのは、あたしたちにとってのケースマイアンなわけだろ?」

「それは……」


 肯定もし難いが、否定もし切れない。かつて人間に滅ぼされ、魔王に導かれて奪還を果たした亜人の楽園。

 その楽園もまた、ゆっくりと揺らぎ始めているが……


「誤解すんなよ、あたしは顔も素性も知らんイーケルヒの連中に肩入れする気はないさ。ただな……かつて放逐された故郷が、いまなら手に入るってとこまで来てんだろ?」

「そうね。彼らから見れば、無主地あきやになったも同然」

「ああ。きっとあいつら、根絶やしにするまで止まらんぞ」


 四半時ほど経って、パチパチと弾ける音が聞こえた。サブマシンガンが放つ拳銃弾の発射音だ。発射間隔が近い。それはすぐに静かになった。


「襲われかけて一蹴した、ってとこだ」


 その後に単発の銃声が、ほぼ等間隔で響く。とどめを刺してる。もう危機は去ったのだと思いたいが、胸騒ぎが収まらない。それはどんどん強くなる。

 悪い予感ほど当たるものだ。それは既に、確信に近かったのだけど。


「ミスネル、銃座から撤退支援を頼む。ハイダルたちを拾ったら、すぐ逃げるぞ」

「逃げるって、どこに? なにがあったの?」

「見ろ」


 ヤダルはハンヴィーを発進させ、路面が許す限り正門に接近する。揺れを感じたと同時に、砦の真ん中で緑のもやが上がった。次々に弾けて膨れ上がり、城壁内部がみっしりと樹木に満たされる。


「あたしさ、最初はずっと与太話だと思ってたんだ。こっち来てからは、ホラだったら良いなって思うようになった。でも……ホントだったんだな」


 崩れ落ちる砦から走り出る人影があった。溝や土壁を飛び越えて駆けてくるふたり。フェルは迫る追っ手をサブマシンガンで撃ち倒し、ハイダル王はこちらに手を振って逃げろと叫ぶ。

 彼らの後ろからは城壁を崩して溢れ出した緑の大波が、のたうち回る龍のようにグングンと迫っていた。


「……あれが、“恵みの通貨”……」

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