泥濘

「うへぁ……」


 緩やかな坂を越えると、先行していたジュニパーが稜線の向こうで立ち止まっていた。

 理由はすぐにわかったので、あたしたちもランクルを停車させる。


「けっこう凄いね、これ」


 ジュニパーは女の子たちを背に乗せたまま、困り顔でこちらを振り返る。

 坂を下った先は数百メートル四方の盆地で、一帯は干上がりかけの沼のようになっていた。


「沼……じゃないよな?」

「もとは湿地じゃなかったみたいなの。あちこちに残ってる植生は、乾いた土地に生えるものなの」

「どこからか水が染みてるのか……」

「シェーナ、あれ」


 ジュニパーが右手の奥に首を向けるけど、“あれ”が何を指しているのか、あたしにはわからない。


「あの上の線が凹んでるところ、見える?」

「……なんとなく」


 稜線の一部が崩れている。数百メートル先でも見えるくらいなので、かなり大きく崩れているんだろう。


「ミスネルさん、あの先って何かわかる?」

「渓谷につながった河原ね。東の山脈から流れてきた水が、南と西に分かれるところ。しばらく前に長雨があったから、そのときの水が流れ込んだのかも」


 河が氾濫したときに崩落部分から水が入ったのか。なるほど、理由はわかった。でも問題は、どうやってここを抜けるかだ。

 盆地を大きく迂回する方法もあるが、高くなった場所は岩場と崖だ。そこでも地盤が緩んでいるらしく植生ごと崩落した場所が見受けられる。どのみち車での移動は困難だ。降りて徒歩移動するにしても子供連れだとかなりの時間と危険が伴う。魔物や敵対する連中がうろついているから、暗くなるまでに目的地に着きたい。


「いっぺん収納して、ぼくがみんなを運んで、向こうで乗り換える?」


 それが安全確実なのは、わかる。でもジュニパーだけドロドロになるのも、違う気がする。行って帰って全員を渡すには、五、六回は往復しなきゃいけない。

 迷ってるあたしを見て、ジュニパーが首を傾げる。


「……どしたの?」


 彼女は気にせずやってくれるんだろうけどな。あたしが、嫌だ。

 “ツノの長い鹿”と出会った河のときにも、似たようなことがあったな。あのときは特に急いでなかったから、渡らずに水が引くのを待ったんだっけ。

 なんでか、ずいぶん昔のことみたいに思える。


「ここは、ランクルの力を信じてみよう」

「え?」


 あたしのなかの妙なスイッチが入った。どうせなら、みんなで行ってやる。

 どうしても無理なら、そのときはそのときだ。車が埋まったって収納すりゃいい。そんときゃ乗ってる人間はみんなデロデロだろうけど。

 みんなで行くんだ。成功しても失敗しても。


「こいつなら、行けるはず。いや、絶対に行ける!」

「わたしも、信じるの」


 ミュニオが助手席で、クスクスと笑う。ジュニパーも振り返ったままセクシーな流し目で微笑んだ。


「もちろん、ぼくもだよ。だってランクルは、ぼくらをここまで運んでくれたんだもの」

「ジュニパー、できれば埋まらずに通れそうなところを教えてもらえるか?」

「任せて!」


 ジュニパーは子供たちを乗せたままヒョイヒョイと地面の乾いた部分を飛び移り、こちらにルートを示す。


「シェーナ、ここまで真っ直ぐー!」

「了解、みんな掴まってなー!」


 ヤダルさんたち荷台の大人グループは、子供らが落ちないように腕を広げてサポートする姿勢になる。


「おいシェーナ、大丈夫なのか⁉︎」

「行けるはず。信じて!」


 半分自分にいい聞かせるように、あたしは荷台に叫ぶ。

 ランクルの車体が湿地帯に差し掛かった。あまり速度を出し過ぎないよう慎重に前進させる。タイヤはズルッと空転するけれども、すぐにタイヤが硬い岩か何かをつかんで前進し始めた。進行方向ではジュニパーがわかりやすく目印になってくれてる。迷うことはない。きっと大丈夫だ。


「ここでー、左ー!」

「お、おう!」


 ランクルが近付くとジュニパーはヒョイッと左方向に飛んで、また車が進むべき道を示す。

 なんかそういう虫いたな、日本に。小さい頃、理科の時間に聞いた気がする。


「そこ左側、ちょっと深いよー! 危ないから、もうちょっと右ー! そう……そのままー」


 ズブッと、車体が大きく沈む。ドアの下から少し水が染みてきてるけど、いまは気にしてる場合じゃない。

 アクセルを乱暴に踏んでもタイヤが泥を引っ掻き回すだけだ。最初は少し抑え気味に、ハンドルでを探りながら、引っ掛けたタイミングで踏み込む。


「いいよー、ここからしばらく下が硬いから、先行くねー」

「わかった」


 いわれた通りにハンドルを切れば、埋まることなく車は進む。運転に余裕が出始めたあたしの隣で、ミスネルさんが感心した声を出す。


「すごいわねジュニパーって、見えないはずの地形と地盤を読み取ってる。水棲馬ケルピーの能力か、彼女の才能か……」

「両方だと思うよ。それにあの子、すごい物知りで勉強家なんだ。この車の運転も、いまじゃあたしより上手い」


 シフトレバーギアを入れるレバーの横にあったトランスファーなぞのレバーも、道中ジュニパーがあれこれ試しながら機能を読み取ったのだ。ちょっとした整備も修理もこなす、男前なエンジニアである。

 そんな話をしていると、ミスネルさんはミュニオに目をやって、ふたりであたしを見る。

 なんかとした感じの笑顔で。


「なに、どうした?」

「シェーナ、気付いてる? ジュニパーのこと話すとき、あなた娘を溺愛する母親みたいな目をしてるの」


 いや、なんでや!

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