命の森アールカン

 泥沼な盆地を抜けるのに、小一時間ほど浪費した。

 ミスネルさんによれば、最初の休憩地点である森の入り口までは、あと五キロ弱三哩ほど。簡単に車体を確認して、そのまま進むことにした。

 様子見がてら走らせた限り、特に変な音もしないし動きに異常もない。ブレーキにも問題ない。それ以上のことになると、車に詳しくないあたしにはよくわからない。

 ほとんど濡れも汚れもせず駆け抜けたヅカ水棲馬ケルピーは、優雅にたてがみをなびかせながら並走してくる。


「シェーナ、大丈夫ー?」

「けっこう車体に泥ついたけど、特に問題なさそうかな。目的地に着いて、水場があったら洗おう」

「ぼくも手伝うよー」


 長くて緩い傾斜を登り切ると、緑の広がる草原に出た。そこそこ視界は開けているが、あちこちに小さな茂みや林がある。車の近付く音に、草の間から丸っこい生き物が顔を出した。


「あれは……ウサギ? でも耳が短いな」

「草原ネズミね」


 うそん。ムッチャ大きいんだけど。ミュニオがうずくまったくらい……人間の小学生くらいのサイズだ。

 ミスネルさんによれば、水場が近くて昔から農耕が盛んなこの辺りでは、飼育してたりするそうな。


「畑の雑草を食べてくれるから役にも立つし、肉や毛皮も取れる」

「え……ネズミ、食べるの?」

「ネズミの仲間っていうだけで、汚くないし、飼うと人懐っこくて可愛いのよ?」


 そうかもしれんが、ネズミといわれると怯む。人懐っこいというのも食うには逆に抵抗がある。

 さらに近付くと、草原ネズミの姿が見えてきた。のんびりした表情のそれは、カピバラみたいな感じ。カピバラはネズミ色だったけど、こっちは茶色っぽい。逃げる様子もなく、キョトンとした顔でこちらを見送る。


「草原ネズミって、美味しいの?」


 ミュニオがミスネルさんに尋ねる。そこはあたしも、気にはなっていた。

 ただ食べたいかというと、それほどでもない。


「野豚なんかに比べると、脂の乗りも滋味あじも薄くて、すごく美味しいってわけじゃないわね。でも、野豚を仕留められるひとなんて限られてるし、飼うのも育てるのも難しいから」


 家畜としては、草原ネズミの方がずっと重宝するそうな。

 そのまま草原を進むと、地平線の端に大きな木々の塊が見えてきた。


「ミスネルさーん、あれが森ー?」

「そうよ、アールカンの森。帝国軍の前線基地、アールカン砦があったところ」

「……ん?」

「ソルベシアの王族が持つ力で、侵略者を飲み込んで森に変えたの。あれが、その一部」


 ミュニオが、小さく息を呑んだ。

 あたしはどういうリアクションをして良いやら迷うが、ミスネルさんはミュニオの手を取って優しく語りかける。


「大丈夫よ。それは、ただの力。暴力や、権力や、財力、あなたたちの武器と同じ。扱いを誤れば害にはなるけど、無闇に怖がるべきじゃないし、忌むべきものでもない」

「ミスネル、さん。わたしは……」

「ミュニオちゃんが、機能特化エルフアノマラスだっていうのは、なんとなくわかる。前に一度、あなたの同族に会ったことがあるから」


 それは、ソルベシア王家の人間か、傍流イーケルヒ王国の人間か。

 どっちにしろ同じ血筋の本家分家くらいの違いみたいだけどな。


「そのひと、いまは」

「海の向こう、わたしたちのいた北の大陸で暮らしているわ。ソルベシアから逃れたひとや、その末裔たちと一緒にね。父祖の地を見限ったのか、次の世代に託したのかは、わからないけど」


「ミスネルさん、ずいぶん詳しいな。それは、本人から聞いたの?」

「いいえ、ここにいたの。わたしもヤダルも」

「「え?」」


 荷台を振り返ったが、ヤダルさんは寝てた。ミスネルさんが嘘を吐くとは思えないから、疑ってはいないが。


「ソルベシア王国の後継者、ハイダル・ソルベシア王子の遠征に参加して、“恵みの通貨”という凄まじいばかりの奇跡の力を……あるいは震え上がるほどの災厄を、目の当たりにしたの」

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