迫る暗雲

「あたしにはボンヤリしか見えんけど……砂嵐とか?」

「たぶん、違うの。地面は揺れているけど、空や風のは聞こえないの」


 運転中なので、双眼鏡を使うわけにもいかない。いったん停止して……いや、そうしたところでジュニパーとミュニオが裸眼で得られる情報より劣る。それなら移動および回避を優先した方がいい。


「必要なら、これ使って。その真ん中の丸いとこ回すとピントが合う見えかた変わるから」


 運転しながら、ミュニオに双眼鏡を渡す。“ひゃあ”とか“うー”とかリアクションの後で、静かになった。エルフの驚異的視力を底上げすることはできたようで、返答が返ってくる。


「ひと、だと思うの。馬車と、馬に乗ってるの」

「騎馬……敵か?」

「まだ、わからないの」


 帝国軍が来るとしたら、南側うしろからじゃないかと思うんだが。連絡用の通信機エルフみこさんが、どの程度の範囲と密度で配置されているのか聞いてなかった。いや、“聞かないようにしてた”が正しいか。聞いてしまえば、助けて回ることにもなりかねない。そんなヒーローキャラバンみたいな真似をする趣味も余裕も、あたしたちにはない。出来なきゃ出来ないで、なんとなく気に病んだりするのも嫌だ。他人の事情には可能な限り首を突っ込まない方がいいのだ。


「……それがわかってて、このザマなんだけどさ」

「シェーナ、なんかいった?」

「なんでもない。あれが何かは、わかりそう?」

「敵意と悪意が、から伝わってくるの」

「半分?」

「もう半分は、恐怖と絶望。……誰かが、誰かに追われてるみたいなの」


 その誰かって、誰だ。陽炎越しとはいえ山だと見間違えたくらいのシルエット。あれが移動する集団だとしたら、かなりの規模だ。それだけの大集団を追い立てる何かがあるってことなんだけど。

 あたしたちの、行先に。やめてくれ。


「少しだけ西側ひだりに逸れてるね。ぼくたちに向かってきてるわけじゃないみたい」

「了解、じゃ東側みぎにやり過ごそう」


 双眼鏡はミュニオから返された。より遠くを見ることはできたけど、不自然な歪みで酔ったっぽい。


「どうかされましたか」


 マナフルさんが、荷台から不安そうな声を上げる。ああ、ごめん存在を忘れかけてた。


「何か来る。敵じゃなさそうだから、このままぶつからないように避ける」

「見えてきた、あれ……やっぱり馬車だね」


 ジュニパーが左の彼方を見ていう。あたしの目では、相変わらず“陽炎のなかにあるモヤッとした茶色い何か”としか認識できない。


「なんでもいいよ。敵じゃなきゃ、こっちも手は出さない」

「あ、うん……ええと」

「……あ、あのね、シェーナ?」


 オズオズという感じで、ジュニパーとミュニオがあたしに声を掛けてくる。この子犬のような表情には見覚えがあった。コルタルで捕まってるミュニオを助けてって懇願してきたときのジュニパーも、穴熊に襲われてるエルフやら、砦のエルフを助けてたいって話になったときのミュニオも。こんな顔してたな。


「懲りないのな、ふたりとも」

「……そうなの」

「ごめん」

「謝んなよ。わかってる、“もしかしたら嫌な思いするかも”も込み・・で、助けたいんだろ?」

「うん!」

「あ、あのねシェーナ。わたし、わかったの」

「ん? わかったって、なにが?」

そうして・・・・欲しかったんだな・・・・・・・・、って」


 ミュニオの言葉は足りないけど、あたしもジュニパーも、理解してしまう。そうだ。あのとき求めていたもの。追い詰められて困って苦しくて辛くて怖くてどうしようもなくて。そんなときに、必要だったもの。求めていたもの。

 見たこともない、存在しなかったものに、自分自身の幻想でしかない理想に、自分がなろうとしてる。

 代償行為なのかもなって、冷めた自分が頭の片隅で笑う。


「なってやろうじゃねーか。なあ、ジュニパレオス・・・・・・・

「御意」

「???」


 疑問符を頭に浮かべるミュニオに、あたしは説明してやる。ハンドルを西側ひだりに切って、迫る茶色い陽炎に向かってランドクルーザーを走らせながら。

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