遥かな楽園

来る・・? 行く・・ではなく?」

「わたしは、行ったことないの。でも、お母さんが、ずっと、ずっといってたの。“ソルベシアは永遠の楽園”“そこに行けば全てが叶う”って」


 なんだそりゃ。すげえな、ガンダーラか。いや、田舎の爺ちゃんの鼻歌以外にガンダーラの情報は何も知らんけど。

 聞けば、ミュニオの両親はいわゆる“攻撃召喚”の第一世代なのだそうな。自国に役立つ人材を異世界から引っこ抜く代わりに、迷惑そうな異世界人を敵対国に送り込むという嫌がらせだ。いちいち異世界から持ってくるのはコスト――恐ろしいことに魔力を持った生贄――が嵩むということで、安く使える亜人を攫って方々に転移で放り込むという……本気でアタマおかしい上に異常なほど全方位に迷惑な手法が常用されたのだとか。

 クソ過ぎる。帝国マジ滅びろ。


「で、ミュニオの母さんは攻撃召喚に巻き込まれるまで、その楽園で暮らしてたのか?」

「ううん、たぶん違う」

「違うのかよ!」


 運転しながら思わずツッコんでしまったが、なんだそりゃ。意味わからん。


「でも、確かにあるんだって。母さんも、仲間のエルフたちも、みんないってた。そこに行けば、どんな苦しみも悲しみも憎しみも争いもない、幸せな時間が永遠に続くんだって」


 おう、ますますガンダーラだ。あの歌の物語では、仏教聖典だかを取りに行かされんだっけか。日本人の大方と同じくあたしも自然崇拝アニミズムっぽい感じの無神論者なので、宗教あんまり興味ないんだけど。


「……だから、ふたりに、来て欲しいの。いっしょに、わたしの……わたしたちの、楽園・・に」

「へえ……面白そう!」


 おい、軽いなジュニパー⁉︎ あたしなんかは、そのキャッチフレーズみたいな美辞麗句が、まず胡散臭いと思ってしまうんだが。


「行くかどうかはともかく、その……ソルベシア、だっけ。エルフの楽園はどこにあるんだ?」

「北の果て」

「えらいザックリしてんな。こっちでいいのか?」


 あたしは進行方向を指す。地平線まで見えてるけど、わずかな起伏のなかに申し訳程度の灌木が散らばっているだけ。どこにも、何のランドマークもない。


「そう。“困ったら北に逃げなさい”って、母さんが」


 物知り魔物のジュニパーによれば、右手側ひがしに向かうと何千哩だか先に険しい山脈があってどん詰まりだそうだ。左手側にしは低い山地と荒野が交互に続いて、その先に魔物の棲む渓谷があって海に繋がる。こちらも数千哩先まで苦境のオンパレードだ。

 元きた方角である南には、あたしが召喚された――そして、スラムで逃げて隠れて捕まってを繰り返した――なんだかいう被占領地の旧首都がある。良い思い出が微塵もないクソ中のクソだ。その旧首都の南にいくつも帝国の占領地があって、さらにその先に帝国本土があるらしいが、知らん。そんなクソの本拠地になど向かう気はない。

 そして消去法により、逃げる先は北になるわけだけど、こちらもミュニオのお母さんが信じていた“楽園”はこちらも遥か先、数千哩の彼方だそうな。


「帝国の周囲に、他の国は?」


 あたしの質問に、ミュニオとジュニパーが目を見合わせる。


「あるけど、もうないの」

「え?」

「この大陸で、帝国以外に国はないんだよ。みんな帝国に侵略されて、滅ぼされたか属領になって二級住民として取り込まれたか、だね。ここも帝国に併呑へいどんされたけど、元々はペイルメンていう小さな王国だよ」


 ここが国か。乾いた赤土だけが続く起伏のない平地に、わずかな灌木が点在する。王国の痕跡なんて、見渡す限りなんにもない。集落も見当たらず、まず人工物が視界に入らない。


「なあ、ジュニパーって七歳なのに色々と詳しいけど、その情報はどこで覚えたんだ?」

「最初に、ぼくを捕まえたのは帝都の賢者見習いだったから。賢者の暮らす屋敷で飼われて、毎日毎晩お話とか議論とかいっぱい聞かされて、いつの間にか頭に入ってた」


 “門前の小僧習わぬ経を読む”、だっけ。情報の洪水のなかにいれば、本人の意思と関係なく情報通になるわけだ。


「……ねえシェーナ、ちょっとだけ右に向かってくれるかな」


 ジュニパーが遠くを見ながら、こちらに頼んできた。あたしの目には、なんも見えないけど。この爆乳水棲馬ケルピーは珍しく真面目な表情で遠くを見据えている。


「なに、敵? 増援? 新手? でも、さすがにここまで回り込んでくるには早くないか?」

「わからない。……けど、悲鳴みたいな声がしたんだ」

「そうか? あたしには、なんにも……」

「血の匂いと争いの気配もする」


 いや、そうだとしても何でわざわざそちらに自分から近付くかな。追われる身なんだから、ここは無難に避けて通過するべきだろうに。


「なあ、ジュニパー?」


 あたしは、当たり障りのない表現でどう伝えようかと迷う。嫌な想像が頭に浮かんでしまったのだ。もしかして、この魔物は食事・・が必要なのではないかと。

 ケルピーが人を喰うって話が本当だとしたら、下手に止めるとこっちに矛先が向きかねないのでは?


「お前の……なんていうか、生理現象を邪魔するのもなんだし、行ってきなよ。あたしたちは、ここで待ってるからさ」

「え? 生理現象って? 違うよ、気になってるのは、お手洗いじゃなくて……」


 いやいや、遠慮しなくていいんだぞ? 少なくとも、あたしはカニバリズムに手を出すつもりはないからな。

 あたしの懐疑的な視線に気付いたのか、ジュニパーがコテンと首を傾げる。


「なんでシェーナ、急に“話のわかるひと”みたいな感じになったの?」

「え、いや……あたしは、案外こう見えて話のわかる……」

「……もしかして、ぼくを置いてこうとか、思ってない?」

「お、オモッテ、ナイヨ? 気のせい、デスよ?」


 ヤバい、こいつ勘は鋭いんだよな。魔物が敵を襲って貪り喰ってる間に逃げよう作戦だったんだけど。さすがに肉食魔獣と旅するのとか怖いし。たぶん夜に安心して眠れない。


「シェーナ、ごめんなさい。わたしのせいなの。わたしが水棲馬ケルピーの話したから、誤解させちゃったの」


 誤解? それは、どっち方向に?


「エルフは、血の匂いに敏感なの。でも、ジュニパーと知り合ってから一度も、血の匂いがしたことはないの」

「……ジュニパー、人を喰ったりは?」

「しないよ。いままで、食べたことないし。ずっと人間に飼われてきたから。水棲馬ケルピーとしては、おかしいのかもしれないけど」


 人喰いの魔物で菜食主義者ベジタリアンって、そんなもんいるのか。もしかしてふたりともベジタリアンかと思って、肉はダメなのかと確認してみる。


「ううん、食べられるよ。シェーナにもらった携行食ごはんにも入ってたでしょ?」

「いわれてみれば、そうか。入ってたな、謎肉」

「わたしも、大丈夫なの。野菜や果物や木ノ実は好きだけど、帝国ここだと高価で買えないの」


 特にベジタリアンってわけじゃないのか。気になって聞いてみると、帝国の内陸部で安い食材といえば、低品質な脂肉と豆と雑穀なのだそうな。その結果、社会的に虐げられた亜人連中ほど肥満しがちなのだとか。

 エラい世知辛いな、異世界。エルフなのにアメリカ人みたいだ。


「シェーナ、そこで止めてくれる?」


 ジュニパーの声で、あたしはランドクルーザーを灌木の陰に寄せて停車させた。一瞬ブレーキ操作に手間取り車体がガクガクしかけるが、クラッチを切って回避。念のためエンジンを切る。

 ヒョイヒョイと遮蔽物を縫って駆けていったジュニパーは、すぐに戻ってきて前方を指す。


「やっぱり、争った跡があったよ。塚になった巣穴の入り口があったから、成体の冥府穴熊タナトスバジャーだと思う。痕跡だけで、死体も怪我人も獣も残ってなかったけど」

「血の匂いがする、けど……人間のじゃないの。襲われたのはエルフなの」


 周囲を見渡しながら空気の匂いを嗅いでいたミュニオが、苦しそうな顔であたしを見た。


「……きっと、穴熊追い込み猟バジャーディギングをやらされてるの」

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