北へ

「お、おおおぉ……⁉︎」

「動いた、動いた……の、ぎゃンッ」

「むぎゅ」


 走り出して早々、起伏に乗り上げてガクンと派手に車体が震えた。助手席で跳ねたミュニオがジュニパーの胸に挟まる。この爆乳水棲馬ケルピーってば、ちょっとしたエアバッグより包容力ありそうだ。それを横目で見つつも、あたしは微塵も余裕がない。アクセルを踏みつけながらシフトチェンジのタイミングを計る。


「ふんぬぁッ! 二速!」


 ギアがゴリッて、ゴリッていったよ、いま⁉︎ 大丈夫か、あたしのランクル(荷台付き)⁉︎


「しぇ、シェーナ⁉︎ “えんじん”、すごい音してるの、“ごごーっ”て!」

「わ、わかってる! 待って待って、もうチョイ、で……」


 ある程度スピードが出てきたら素早くクラッチを踏んで、すかさずアクセル少し戻して、優しくシフトレバーを……って三速どこだよ⁉︎ 真っ直ぐ走らすだけなのに、やること多過ぎだろ⁉︎ だいたい、こっちは足二本しかないのに何でペダル三つあんの⁉︎ シフトレバー以外にも何か変なレバーもあるし!


「ね、ねえミュニオ、それ、3てどっち側に書いてある? 前? 横? 後ろ?」


 助手席の前にある金属プレートにギアの図が書いてあったのを思い出し、運転中で見えんのでチビエルフに訊いたのだが。


「シェーナ、ごめんなさいなの。この字、わたし読めないの」


 そうか。この世界と文字が違うんだ。転移者特典か知らんけど、あたしはこっちの言語や文字を何となく雰囲気で理解できてたから忘れてたわ。走り出す前に見とけって話なんだよな。見たけど忘れた。で、三速探してレバーを前に入れても後ろに入れてもゴリッていうから二進にっち三進さっちもいかなくなった。くだらないダジャレみたいだ。

 シフトレバーの先っちょの丸いとこに……なんていうの? シフトパターンギアを入れる方向が書いてあるんだけど、磨り減ってほとんど読めんのだこれが。爺さんは動線がH型になってるとかいってたけど例によって聞き流してしまったため順番は覚えてない。端に赤い字でR――たぶん後退用リバース――って書いてあるのだけは読み取れたから、そこにだけは動かさんとこうと肝に銘じる。三速の位置を確認するためだけに、ようやく速度が乗ってきたのに停車してイチからやり直す気にはなれない。こんな上り坂の途中で止まったら発進できる自信がない。レバーの先をチラチラ見てはみたものの、そんなん判読できるはずもなく。


「右右みぎ、曲がってってるぅ……そっち路肩崩れてるよ、ちょっとシェーナ⁉︎」

「たぶん三速は、こっち……よし入った!」


 ゴリゴリゴリィ……ってひどい音してるし。ホントこの調子だと、運転上達する前に車が壊れそうなんだけど。


「シェーナ、そのまま真っ直ぐなの」

「おっけー、そこ過ぎたら、たぶん平地だな」


 ようやく道路の起伏も緩やかになり道幅も広くなって運転に余裕が出てきた。速度が出過ぎないように注意する必要があるくらいだ。

 目の前にはカマボコ型のスピードメーター、その下に小さな油温計オイル水温計テンプ燃料計フューエル電圧計アンプのメーターが並んでいるが、そこまで見ている余裕はない。そもそも、いくつか動いてないっぽい。ゼロになってた燃料計は、指先で叩いたら思い出したように動き出した。


「ひゃー」


 緩い山道を登って降りて、灌木が点在するだけのだだっ広い平地に出る。ずっとすぐ近くに見えてたから、予定ではもっとすぐここに辿り着くはずだったんだけど。まあ、いい。ギアの位置も何となくわかった……気がする。クラッチもたぶん大丈夫。もうあたしとランクルに怖いものなんてない。坂道発進以外でな。


「ところでさ。あたしたち、とりあえず北に向かってるけど、どっか行く当てはあるのか?」

「身を隠せる、水場でしょ?」

「それはわかった。六百哩先のオアシスな。訊きたいのは、その後だよ」

「ぼくは、特にないかな。檻やら枷から逃げられれば、それで良かったし」

「わたしは……ええと、それよりシェーナは?」

「ないよ。行く当てもないし目的もないし、家族も家も故郷もなんにもない」


 正確にいうと、“この世界には”、だけどな。


「じゃあ、ひとつだけ……ふたりに、お願いが、あるの」


 ミュニオは、決心したように毅然と顔を上げる。


「わたしの、故郷に来て欲しいの」

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