迫る魔物

 爺さんから仕入れた大量の荷物は、懐収納になんとか収まった。

 あたしはビチョビチョの服を簡単に絞って、水辺から離れる。あの爺さんが新しい服やら靴やらを仕入れてくれるまでは、いまの野良着とエスパドリーユ(というか天然素材の地下足袋というか)で過ごすしかない。


 街道らしきものを見付けたが、追っ手が掛かっている可能性を考えて少し山に分け入ったルートを選ぶ。季節的なものか気候的なものか土に養分が足りないのか、植生は薄く下生えもまばらで、それほど鬱蒼とした感じはない。遭難しないように、街道が目に入る距離を保って進む。まずは身の安全が最優先事項だ。急ぐ旅ではないのだから、焦ることもない。

 それ以前に、目的地もなければ行く当てもないんだけどな。

 兵士や暴漢や大型の野生動物、あるいは魔物が現れたときのためにレバーアクションライフルのマーリンには357マグナム弾、リボルバーのレッドホークには38スペシャル弾をフル装填しておく。まだ実感はないけど、から出して発射するまでの数秒が生死を分けるのだ。何度も繰り返し確認して身体に覚えさせる。


 森が深くなってきたところで、兎が跳ねているのを見付けて足を止める。

 無益な殺生をする趣味はないけど、せっかく銃と弾薬を揃えたんだ、ここは非常用の食肉確保だろ。友好的な地元民と接触したときには物々交換できるかもしれないし。焼いて塩振って食う、みたいな状況なら動物より魚の方が良いんだけど。

 まずは獲物と周囲の状況を確認。獲物を仕留めたは良いけど横にいた肉食獣に襲われたなんてシャレにならんしな。

 兎との距離は十メートルほど。周囲に他の生き物は見当たらない。元いた世界で見たのよりひと回り以上大きく、サイズは芝犬くらいある。こちらの気配に振り返った顔は目付きが鋭く、あまり可愛いという感じはしない。ペットにするわけでもなし、撃つのに余計な感情に流される必要がない見た目なのは助かる。

 懐から出した銀のルガー・ラングラーを構え、撃鉄ハンマーを起こして慎重に狙いを付ける。この銃、ここまで愛用してきたレッドホークと違ってただ引き金トリガーを引いただけでは発射されないのだ。西部劇時代のロマンだかマナーだかにより、一発ごとに撃鉄を起こす必要があるという無駄に面倒なクラシック仕様。爺さんから聞いた通りの作法で照準を定め、引き金を絞る。


「キュン!」


 パシンと小枝を折るような銃音が鳴ると、兎は跳ね上がって悲鳴を上げる。逃げ出して数歩を進んだところで力尽きて転がり、何度か後脚を蹴る動きを見せた後に痙攣して静かになった。


「すまん、ウサギ。その肉、無駄にはしないからな」


 血抜きして皮を剥ぐ流れなのだろうけど、悠長に解体している余裕はないので後回しにして丸ごと懐に入れる。

 22口径の弾薬は爺さんの説明通り、実に使いやすく当てやすい。音も反動も最小限ながら威力はそれなりにあり、中型犬サイズの生き物くらいなら仕留めるのに苦労はなさそうだ。


「問題はどうやって肉を切り分けるかだな……」


 正直、気は進まない。爺さんから受け取った食料があるうちは、スプラッタな作業をする気にはならない。ここは問題を先送りにしよう。あたしは銃の練習を進めながら、収納魔法の限界を探ることにした。

 木の間隔はまばらな森だけど、直射日光も人の目も避けられる。狩りをしながら半日ほど進むと、岩場の陰に隠れられそうな隙間を見つけた。近くに湧き水の流れる水場があって、周囲の見通しも良い。ここなら敵が来たとしても対処しやすそうだ。しばらく体力回復することに決め、岩場の隙間に毛布を敷いて寝床を作る。

 拠点を確保したので翌日から、サクサクと兎狩りをこなした。襲われない相手だと無駄に緊張しなくて済むから良い。ちょっと慣れてくると、逃げる獲物の頭部を撃ち抜くことができるようになった。さらに慣れてくると、逃げられることなく接近して目玉を撃ち抜けるようになる。ラングラーの不便な再装填にも、ずいぶん慣れてきた。一発ずつチマチマ抜いて込めてとやってるよりも、シリンダーを抜いて再装填後に填め込む方が楽で早い。

 ロマン? 知るか。


 結局その岩場には、二日ほど滞在した。雨も降らず気候も過ごしやすかったのが幸いして、身体を休めることはできたと思う。

 その間に仕留めた兎は十二頭にもなった。耳が短く目付きが鋭く筋肉質で獰猛そうな顔をしたこいつらは、どう見てもとカウントする気にはならない。増え続ける持ち物は小型物置くらいの容積にはなったと思うけど、懐収納から溢れる様子もない。さすが魔法、便利なもんだ。

 狩りで銃に慣れつつ、自分の身体能力も確かめる。瞬発力や跳躍力は上がっているものの、重い物を持つ力はあまりない。試しに棒を振ってみたけど、剣や槍は無理だな。たぶん子供の遊びにしかならない。

 腹が減ったら携行食と缶詰を食べ、ゆっくり睡眠を取って英気を養う。う〜ん、スローライフ。思ってたのとは、ちょっと違う気もするけど。

 幸か不幸か、危険そうな生き物とは出会わなかった。いっぺんだけ、少し離れた場所を野犬か狼の群れが通り過ぎるのが見えたが、少なく見積もっても二十頭はいたので手を出さずに隠れてやり過ごした。あんなのと銃撃戦を繰り広げたところで、何の得もない。狼肉なんて美味いとは思えないし、皮とか売れるとしてもお尋ね者のあたしには売り先がないしな。


◇ ◇


 三日目の朝、あたしは慣れ親しんだ岩場を離れた。街道に出て、そのまま北を目指す。もう隠れて歩くのにも飽きたし、街道から逸れ過ぎないように調整しながら歩くのにも疲れてきた。もし追っ手に見付かったら、そのときはそのときだ。


「……って“そのとき”、来んの早えぇな」


 進んでゆく先で、複数の人間たちが争うような音が聞こえてきていた。金属音と怒号と悲鳴。ここは近付くべきではないのだろうけど、谷間になっていて迂回する方法がない。この場で待っているべきなのだろうかと思いつつ、追われる身としては明るいうちに可能な限り距離を稼ぎたかった。木や岩や斜面で身を隠しながら、音のしている方へと慎重に進む。


「おおおぉお……ッ」

「死……っねぇッ」


 あまりに陳腐なシチュエーションに、あたしは呆れて首を振る。谷間の奥で、いかにも小金を持ってそうな商人の馬車が、絵に描いたような盗賊集団に襲われていた。

 足止め用に盗賊たちが切り倒したらしい倒木が道を塞いでいて、馬車と馬には矢が刺さっていた。馬車から引きずり出されているのは中年男と若い男。このままここにいたら嫌なものを見ることになるかもしれない。女性が含まれていたら、もっと酷いことになっていたんだろうけど。


「だれか、助け……ぐッ」

「うるせえ! 今度ギャーギャー騒ぎやがったら殺すぞ!」


 助けを呼ぶ商人の声に、応える者はいない。馬車の横には御者か護衛らしき男がひとり倒れていて、もうひとりは今まさに斬り殺されようとしていた。残念ながら、あたしは助けられそうにない。助ける気も、あまりない。盗賊に対しても――少なくとも個人的には――何の恨みもないしな。

 できれば無視して進みたいところだが、避けられないのであれば漁夫の利として双方から金目の物を奪ってしまおうかとも思う。盗賊の数は、いま目に入るだけで五人。マグナム弾を消費するなら考えものだけれども、ラングラーの22口径であれば安上がりに済ませられる可能性もある。うん、クズだな。

 あたしが転移だか召喚だかでこの世界に引き摺り込まれて以来、こっちの人間には碌な扱いを受けてない。殺され掛けてる商人からしたら逆恨みかも知れんけど、リスクを背負って助けてやる義理もない。


「やっと見付けた!」

「ひゃッ⁉︎」


 いきなり背後から声を掛けられたあたしは、ビクッとして振り返りざま銃を向ける。そこには、見知らぬ美女が汗だくで立っていた。宝塚の男役みたいな、キリッとした濃い美貌。執事のコスプレみたいな黒いパンツに革靴。白いドレスシャツの胸元を開けて、巨乳……いや、爆乳の谷間を覗かせている。


「え……いや、誰」

「ぼくだよ。ほら、ジュニパー」

「うえぇッ⁉︎」


 なんだかピーっていう、人喰いの魔物馬? いわれてみればヅカっぽいところに面影があるような、ないような。


「アンタ女、っていうかメスだったの⁉︎」

「え? ああ、うん。そうだけど、いまその話は措いといて、お願い。話を、聞いてくれないかな?」


 そうだ、思い出した。水棲馬ケルピーだ。水に引き込んで溺れさせるとか聞いた気がするけど、いまの彼女からそういう魂胆は感じられない。そもそも水辺からは離れている。

 わずかに警戒しつつも、話を聞くくらいならと首を傾げて先を促す。


「いま、ミュニオが……この先の街で捕まってる」

「ええと……それって、あのちっこいエルフのことだよね?」


 ジュニパーは頷き、泣きそうな顔であたしを見た。捕まったって、また人買いか? 今度助けてもまた捕まるんじゃないかと思わないでもないが、馬美女の様子が少し変だ。


「このままだとあの子、殺されちゃう」

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