アイキャン・フライ
「あ?」
ナニぬかしてんだ、あのバカ。こっちの立ち位置を勘違いしてるみたいだな。どこのどいつが殺されようと知ったこっちゃないっつうの。
「ああぁッ!」
悲鳴の上がった方に顔を向け、状況を確認したあたしは思わず顔を
隠れてた馬車の下から引っ張り出されたのだろう。チビを捕まえているのは、卑しい笑みを浮かべた中年の女。たしか、あれだ。あたしがひとりで逃げようとしたのを咎めてきた
指揮官に
「近くに隠れてんのは、わかってんだよ! さっさと出てきな!」
いや待てコラ、なんでお前が“そっち側”にいるようなドヤ顔なんだよ。
馬に乗った指揮官が女の横で、高価そうな
「まずは、右腕を切り落とす! それでも出てこなければ、左の腕だ!」
やつらふたりとボロ雑巾がいる馬車のところまでは、距離にして十メートルちょっと。射撃に関してはド素人でしかないあたしが撃って、ババアに当たるかどうかは運でしかない。外れるだけならともかく、ほぼ同確率であのチビにも当たる。わざわざ救い出してやる義理はないとはいえ、この手で殺すのも寝覚めが悪い。
となれば、狙うべきは
「みっつ、数える! ……ひとつ!」
「当たったらごめんな……馬」
あたしは精一杯慎重に狙いをつけて、“レッドホーク”を発射した。
バンッ!
撃ち出された弾丸の飛んでゆく軌跡が、うっすらと見えた気がした。ふつうに考えたらそんなワケないんだろうけど、運動能力と反射神経が爆上げされてるいまなら有り得る話なのかもしれない。理屈はどうでもいい。タマは狙ったとこから少し逸れて、指揮官の股間に当たった……ように見えた。その弾丸が跳ねたか掠ったか、あるいは単なる驚きによるものか。馬は凄まじい
「……ッし! 良いぞ、ラッキーショットだ」
マグナム弾を使わずに厄介な甲冑付きを一匹、無力化した。地べたに転がったままピクリとも動かない指揮官を見て、ドヤ顔だった元美女はチビを放り出して逃げてく。
「あんだけ煽っといて、無事に済ませるワケねえだろうが」
その背中に、よく狙って一発。もんどり打って倒れた女はタマが肩に当たったらしく、身悶えながら反り返って甲高い悲鳴を上げる。即死じゃなかったのは残念だけど、治療を受けられるわけでもなし。どう考えても死ぬだろうな。
「あそこだ!」
幸先が良いんだか悪いんだか、二発でふたりを倒した結果、こっちの位置がバレて兵士たちは建物を包囲しようと向かってくる。ふつうの人間にも壁を登れるもんかは知らないけど、こっちからしたら逃げ道のない状況だ。
「弓兵! 屋根の上だ、火矢で
「応!」
ちょっと待て。なにそれ、ズリィだろ。ここの建物、壁やら基礎は石造りだけど、屋根はどれも丸太で組まれた上に藁だか茅だかが載せてある構造。つまり、火矢なんて放たれたら派手に燃える。
早くも詰んだわコレ。
「構え!」
いや、冗談じゃねえっつうの。あたしは必死に這って位置を変え、こちらに向けて弓を構えようとした兵士を狙う。
バンッ!
ああ、クソ。外れた。でもやっぱり、飛んでく弾道は見えた。そっから調整して銃口を少し下げ、二発目で弓持ちの兵士を射殺する。くにゃりと横座りみたいに倒れ込んだ男は火種を抱えたまま油壺を倒して静かに燃え始める。
「おい水ッ! 誰か水瓶を……」
「そっちは構うな! あるだけ盾を持ってこい!」
あの副官も、なかなかやるな。雪隠詰めにダメ押しで、こっちの弱点を指摘しやがった。あいつらの盾がどれほどの強度かわからんけど、撃ち放題で殺し放題って状況は望めない。だったら真っ先にあいつを殺そうと思ったんだけど、それを察したか副官は馬を操って隣の建物の陰に逃げ込む。
「ちぇ」
「オールグ、屋根に上がれ!」
「「え」」
副官に命じられたか建物の陰から蹴り出された小男と、あたしの声が重なる。
「賊を殺せば、金貨をくれてやる」
オールグとかいう小男は少し迷った後で、金貨の誘惑に負けたらしくこちらに向かってくる。両手にナイフみたいな小刀。駆けてくるそいつが顔を上げ、屋上にいるあたしと目が合う。銃を向けた瞬間、横っ跳びに転がって避け、物陰に消えた。ヤバいな。回り込んでくる気か。
「盾持ち、屋根に油壺を投げろ!」
「「応!」」
「おい女ども! お前らは下から燃やせ!」
「「はい!」」
なんだ、あいつら。ここぞとばかりに良い返事しやがって。屋根を移動して顔を出し、油壺を運んできた兵士を射つ。
バンッ!
壺は割れたが、映画と違って油に着火はしなかった。壺ごと腹を撃たれた兵士は油塗れで地べたに転がり、パタパタと足をバタつかせた後で動かなくなる。
ついでに残った一発で、松明を掲げた女たちを狙う。三人並んで向かってくる女たちの、真ん中のひとり。慎重に構えて、呼吸を合わせる。外れたとしても左右どちらかには当たるだろ。
バンッ!
「……ふぁッ?」
真ん中の女は珍妙な声を上げ、被弾した脇腹を押さえてクルクルと回り始めた。
「あ、ああ、あ、あああああぁ……」
苦悶の声は甲高くなって掠れ、すぐに
まあ、いいや。シリンダーを振り出して空薬莢を捨て、新しい弾薬を装填する。もういっぺん階下を覗き込んだときには、残る女ふたりは死体も松明も何もかも放り出し、どこかに逃げていた。
手持ちの弾薬は、あと四十四発。この危機を脱出できたら、金目のものくらい手に入るだろう。それか、失敗して死ぬか。どっちにしろ
「……ッ!」
腹這いになって周囲を探っていたあたしは、背後に気配を感じて横に転がる。いつの間にか、さっきの小男が目前に前で迫っていた。
「おい、オォールグッ‼︎」
ハッと息を呑んだのを見て、あたしは勝利を確信した。大声で自分の名前を叫ばれると、誰でも一瞬だけ動きが鈍るのだ。マウント取りが日常茶飯事のクソみたいな女子校で、会話の機先を制するための小技。動きを止めた小男オールグは鳩尾を38スペシャルに撃ち抜かれて、悔しそうに顔を歪めたまま屋根から転がり落ちていった。
「心配すんな、アンタの金貨はあたしがもらっておいてやる」
ドヤ顔でキメる間もなく、火矢が飛んできて屋根の端に次々と刺さった。抜いて消火を……と思ってはみたがあまりに数が多く、手を
もう無理だ。束の間の安全地帯は失われてしまった。
「いいぞ、そのまま押し包んで……」
いきなり副官が隣の建物から顔を出す。二階の窓。距離は五、六メートルほど。思ったより近い。相手は周囲の状況把握を優先したのか、おかしなことにあたしの方を見ていない。指差すように銃を向けて発射すると、左の鎖骨あたりに当たった。副官はキョトンとした表情のまま振り返って、どこか怪訝そうな顔をして崩れ落ちる。
ずいぶんと呆気ないけど、死ぬときって案外あんなもんなのかもな。
「あ、あたしの金貨」
散らばる金属音で、回収すべきものを思い出す。屋上で立ち上がって、素早く距離を測った。いまいる屋根は、早くも炎上崩落し始めている。ここで行かなければ逃げどきを失う。小刻みなステップでタイミングを合わせ、思い切り踏み込んで全身のバネを
「アイ、キャン……フライ!」
宙に躍り出したあたしは、ラグビーのトライでもするような姿勢で、開いた窓のなかへと転がり込んだ。
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