第6話 家事手伝い
明の作った朝食に舌鼓を打っていると、九条さんが感心しましたと言わんばかりの表情で褒めちぎった。
「本田さんはお料理がとてもお上手なのですね」
「そうか? これくらい、毎日作ってれば出来るようになるさ。口に合ったのなら何よりだけどな」
お世辞抜きで上手いと思うけどな。栄養バランスもしっかり考えてくれるし。ただ、16歳の男が作る料理じゃないとは思う。
「謙遜するなよ、同い年でこれだけできる奴ってあんまいないと思うぞ」
「ふふ、所謂料理男子という奴だね」
俺も桐生さんも明の料理には感謝している。ここぞとばかりに援護しておいた。
「まぁ……先生が優秀だったからな」
「先生、ですか?」
「あぁ、大和の婆さんだ」
「高崎さんの?」
「そう、前に死んじまったけど、俺に料理を教えてくれたのは婆さんなんだ」
そういえばそうだったな、今じゃ明が台所にいるのが当たり前だけど、少し前までは婆ちゃんがそこにいたんだ。
「明は中学に上がった頃から、婆ちゃんの手伝いで料理を覚えていったんだよ」
「懐かしいねぇ、ショタ明くんが一所懸命にお手伝いを頑張る姿。今でも脳裏に焼きついているよ」
「直接は1年位しか教われなかったけど、マメな人だったから。料理日誌とレシピをノートに書き残していてくれたんだ」
「そして明くんはその形見を頼りに先代の味を追い求めている。と言う訳だね」
「あぁ、大和も爺さんもあんな大切な物を俺に預けてくれたんだ。婆さんの弟子として頑張らなくちゃな」
そう言った明の目には確かな決意が宿っていた。きっと、形見を自分が受け取った事に今でも引け目を感じているのだろう。
確かに婆ちゃんが若い頃からコツコツと書き続けてきたノートは俺達にとって大切なものだ。レシピという意味だけでなく、婆ちゃんがどんな想いで料理を作っていたのか、どれだけ家族を大切に思っていてくれたのかも書き綴ってあるのだから。
爺ちゃんと婆ちゃんが下宿を始めてからずっと書き綴ってきたノートが大切だからこそ、一番活用できる明に受け取って欲しかったんだ。俺も爺ちゃんも明に渡す事は当然だと思っている。むしろ渡さなかったら天国の婆ちゃんに叱られる。でも、明自身には少しだけ重荷にもなっているのかも知れないな。
明自身もノートをつけているけど、読めば常に試行錯誤を続けているのが良くわかるから。こつこつと長い時間をかけて、古い婆ちゃんのノートをダメにしないように手書きでレシピを書き写したのも知っている。
そんな努力をする明だからこそ、皆納得しているのに。明だけは未だ納得できていない。
「婆ちゃんが残してくれたものをムダにしないようにと努力を惜しまないでいてくれたから、こんなに美味しい料理が作れるんだな」
「うん、包丁の入れ方一つを見ても細部にまで気を使ってくれているのがよくわかる。そういう心配りはお婆さんそっくりだ。」
そんな明にはもっと自信を持って欲しいから、俺と桐生さんはいつでも素直にアイツの料理を褒めるんだ。
「九条、勘違いするなよ。婆さんの料理はもっと美味かった。二人は俺に気を使ってるんだ」
これだもんなぁ……。確かに微妙な違いはあると思うが、レシピに忠実かつ丁寧に作っているから充分再現できている。「
「あの、私も本田さんのお料理はとても美味しいと思いますが」
ほら、九条さんもこう言ってくれてるぞ。
「そりゃぁ俺も上達した自覚はある。でも、婆さんの域にはまだまだ遠いんだ」
ダメだこら。桐生さんの方に目をやれば肩を竦めて静かに首を振っている。
「そりゃ婆さんは何十年も家事を行っていた大先輩だ。そう簡単に追いつけるとは思っちゃいねぇよ。でも、少しでも追いつきたいんだ。レシピと台所と、婆さんの意思を受け継いだんだからな」
「ありがたいけど、あんま気負い過ぎるなよ」
「わかってる、別に気負ってるわけじゃないんだ。俺自身がもう一度婆さんの料理を食いたい。だから再現したいってのもあるんだ」
「ったく、そう言われたら応援しない訳にはいかないだろ」
「全くだね。思い出の味を渇望してしまう気持ちはよくわかる」
そう、俺も桐生さんも婆ちゃんの料理は大好きなんだから。明の料理も大好きだけど、それはそれ、これはこれ。
そんな事を言っていると、クスクスを可愛らしく九条さんが笑っていた。
「皆さんに好かれている、素敵なお婆様なんですね」
「あぁ、自慢の婆ちゃんだよ」
「本当に素敵な人でね、私もあやかりたいものさ」
俺達の語りから婆ちゃんの良さが九条さんに伝わってしまったようだ。桐生さんもしみじみと懐かしむように肯定してくれている。この人も婆ちゃんには懐いていたからな。
明はさっき熱く語っていたのが今になって小恥ずかしいのか軽く肯定しただけで何も言わない。箸を持つ手の動きがいつもより速いから照れ隠しでそうしてるのがバレバレだけど。
「こんなに美味しいお食事に、そんな素晴らしいお話があったのですね。素敵です」
ニコニコと語ってくれるけど九条さん、明の奴もっと照れちゃうから勘弁してやってくれ。ただでさえ速くなっていた手の動きが更に加速した。
俺や桐生さんが同じ事言ったら悪態の一つもつくんだろうけど、善意丸出しの九条さんだからな。明には何もできない。俺もできない。桐生さんはそんな明を見て楽しそうにしてるから頼りにならない。
朝食が終わると、昼食の要否だけ確認して明は部屋に引っ込んでしまった。こんな時でも昼食は用意してくれるのが奴の良いところだな。
昼までどうするか……。
「あの、高崎さん」
「どうかした?」
今日の予定を考えていたら、九条さんに呼び止められた。
「その、何か私にもお手伝いさせて頂く事って、できませんか?」
「手伝い……」
「はい、頑張りますので!」
うーん、どうしよう。一応俺も明も仕事でやっているしあまり手伝わせるのも悪い。かと言って断るのも気が引ける。九条さんはむしろやる事があった方が喜ぶかもしれないから。
「あんまり気を使う事もないんだけど」
「いえ、私に出来る事であれば、お役に立ちたいです」
一応控え目に断ってみたが、やる気に満ちたお言葉を頂けた。ここであんまり渋ると今度は逆に迷惑をかけてしまったと思い込むかもしれないし、何かやってもらうとするか。
「じゃぁ、九条さんには少しずつ色んな事を手伝ってもらっても構わないかな?」
「色々な事、ですか」
「うん、俺もまだ九条さんがどんな事が得意かわからないし、九条さんも家がどんな事をやっているかわからないでしょ」
「仰る通りです」
「だからさ、九条さんに余裕がある時だけでいいから、誰かを手伝ってくれると助かるな。そうやって少しずつ、お互いのことを知っていけたら嬉しい」
「高崎さん……」
俺の言葉に感動したみたいだな。目がウルウルと輝いていてる。可愛い。
「はいっ私、頑張りますね!」
「うん、とりあえずこれから掃除をしようと思ってるんだけど……」
「是非お供させてください」
わかりきっていた事を質問しようとしたが、言い切る前に答えが返ってきた。頼もしいお手伝いさんが出来たものだ。
「掃除については、俺が担当しているんだけど……基本的には毎朝少しずつ掃除してるんだ。それに加えて今みたいに時間がある時にしっかりと掃除をするって感じかな」
「立派で広いお住まいですが、隅々まで清潔に保たれていると思っておりました。高崎さんの心遣いあってのものだったのですね」
面と向かって言われると照れるな。
「俺だけじゃなくて、住んでる皆や手伝ってくれる人達のおかげでもあるんだけどね。今の九条さんみたいにさ」
「ふふ、私もお役に立てるのなら、光栄ですね」
掃除道具を握りしめて張り切る九条さんは、なかなかどうしてよく似合っていた。
今日はダイニングの掃除をすることにした。一応手順を説明して、一緒に掃除を始めたかが彼女は手際よくテキパキを動いてくれた。
「九条さん手際がいいね」
「そうですか? ありがとうございます」
「それに何だか楽しそうだ」
「実は私、お掃除好きなんです」
「それは良いことだ」
それは見てると伝わってくるよ、楽しそうにニコニコしてるし。掃除自体が好きなだけなのか、仕事を振られた事も嬉しいのかはわからないけど。
俺が何も言わずとも丁寧に掃除してくれているけど、彼女の手つきは慣れたものだ。
その動作に迷いはなく、動線にも無駄がない。どう動くのが効率的なのかが体に染み付いているのだろう。頭の中では次にどうするか常にシミュレート出来ているのかな。お嬢様っぽいと思ってたけど、以前から掃除はよくしていたのかも知れない。
何故か、掃除をする彼女を見ていると婆ちゃんを思い出す。懐かしいような寂しいような不思議な気持ちになるな。いや同い年の女の子にそんな事を思うのは失礼か。
九条さんが手伝ってくれたおかげで、ダイニングの掃除は思っていたよりも早く終わった。花の女子高生が家の掃除に文句を言わないどころか嬉々としてやってくれるなんてな。
「ありがとう、おかげで助かったよ」
「いえいえ、私でよければいつでもお手伝いしますよ」
「それは心強いな。お礼と言ったら何だけど、お茶でも淹れるよ」
我が家ではなるべく働き詰めないのがモットーだからな。10時と3時におやつをとることも珍しくはない。
さて、と準備しようと思ったら桐生さんがやって来た。
「おや、これはちょうど良いところに来たようだ」
白々しい事この上ない。仲間はずれにする心算もないけどさ。
「うん、ちょうどお茶にしようと思ってところだよ。桐生さんもどう?」
「お供しようじゃないか」
最初からそのつもりでいただろ。九条さんに笑われてるぞ。
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