第5話 朝のひととき
朝の掃除を終え、ダイニングでテレビをつけながら新聞をチェックする。キッチンからは小気味良い音が聞こえてくるが、キッチンにいるのは明だ。
普通こういうのは可愛い女の子なんじゃないですかねぇ。
なんて心の中で愚痴っていると桐生さんがやってきた。
「ドア越しに軽く声をかけてみたんだけどね、まだ眠っているようだよ」
朝の挨拶もそぞろに、九条さんの様子を告げてきた。
「昨日中々寝付けなかったのか、ぐっすり眠る事が出来ているのかはわからないけど、ね」
まるで俺を試すかのように二の句を告げる姿は、昨日の俺達の会話を見ていたんじゃないかとすら思えてしまう。それとも単純に九条さんを心配しているだけなのか。
「どちらにせよ、本人が起きるまではそっとしておいて上げてください」
「もちろん、そんな野暮な事はしないよ」
「ならいいんですけど」
そう言いながら俺は席を立ち、キッチンへ向かう。逃げた訳じゃない。飲み物を用意するだけだ。
「桐生さんはどうしますか?」
「では珈琲をもらえるかな」
「かしこまりました」
桐生さんが買ってきてすぐに飽きた道具を使って珈琲を淹れる。明の邪魔にならないように、キッチンの隅で。あの人はいろんな物に興味を持つ割りに直ぐに飽きるところがあるからな。このキッチンにもそれで寄贈された物がいくつかある。物置にはもっとある。珈琲の機材だけでも色々あるからな。
桐生さんは自分は飽きてもう殆ど使わないくせに珈琲自体は好きだからよくリクエストされる。自分では淹れないけど人が淹れたのは飲む厄介な人だ。俺はこのミルで豆を挽く感覚も、挽いている時の香りも好きだからいいんだけど。
「お待ちどおさまです」
「とんでもない、ありがとう」
淹れた珈琲を持っていくと、桐生さんは嬉しそうに受け取った。
「やっぱり、大和くんが淹れてくれた珈琲が一番美味しいよ」
「そりゃどうも」
一口飲むなりそう呟いた彼女の魂胆はわかっている。褒めて俺をいい気にさせてまた淹れさせようって言うんだろ。お見通しだよ。
「お世辞じゃないさ、君が淹れてくれた物しか飲みたくないくらいだよ。特に、モーニングコーヒーはね」
またこの人はいい加減な事を言う。普段自分で淹れる時はインスタントでも平気で飲んでる癖に。
「はいはい、珈琲位言ってくれればいつでも淹れますよ」
俺も大概チョロイな。
「それは嬉しいね」
堪え切れなかったのか、肩を震わせながらクックッと笑い声を漏らしながらこちらを見る桐生さんは、いつもよりも余計にニヤニヤしているような気がした。
「ったく……」
隙あらば人をからかってくるな、この人は。嘆息しながら俺も暖かい珈琲を口にする。
うん。実際のところ珈琲の違いなんてよくわからないけど、自分で丁寧に淹れると一際上手く感じるな。
「こうして明くんの作る朝食の音をBGMに、大和くんが淹れてくれたモーニングコーヒ-を共に飲む。実に幸せな事だ」
いつのまにかテレビは消えていた。桐生さんは目を細め、噛み締めるように呟いた。
「本来、明くんは休日は台所に立つ義理はないのに私達の為に食事を提供してくれている」
そう、明の仕事は平日限定だ。だと言うのにあいつは休日もなるべく食事を作るようにしてくれている。
「大和くんだってそうだよ。この珈琲を淹れる義理なんてないのに、私の為に淹れてくれる」
ちょっと並べられると俺の方はささやか過ぎませんかね。
「かも知れないね。でも、そのささやかな物も積み重なれば大きくなる。君自身は然程気にしていなくても、私達は感謝している事は沢山ある」
「そうかな」
「そうだよ。それに、この珈琲には君が思う以上の価値が、私にはあるんだ」
そう言いながら、コーヒーカップを口元に運ぶ桐生さん。
「私は他人が気にしない事でも、色々と気にするタイプだろう?」
「そうだね、面倒なこだわりがおおいからね」
「ふふ、でもそのこだわりを覚えてくれて、気を使ってくれるのはとても嬉しいんだ」
楽しげにそう言い、パチリとウィンクをする彼女は認めたくは無いが様になっていた。悔しいから反応したくないけど、どうすれば良いかわからんからとりあえず珈琲を飲む 。
「だから、大丈夫だよ」
ふと、桐生さんの声色が変わる。これまでのからかう様な楽しさは鳴りを潜め、優しく良い諭すような暖かい声で俺に言った。
「君が君らしくしてくれていれば、彼女はきっと大丈夫」
桐生さんははっきりと断言してくれた。
「それに君だけじゃない、私だって明くんだって君のお爺さんだっている。葵ちゃんや水上のお婆さんだっているでしょう」
「そうだね、そうだったね」
桐生さんに気を使われてしまうとはな。態度に出ていたのだろうか。
「ありがとう、桐生さん」
「何。これも年長者の務めさ」
そう言うと、いつもの彼女に戻ってしまったようでニヤりと笑った。
少し気恥ずかしくて、なんと言って良いかわからないし、下手な事を言えば照れてるのがバレてそれをからかわれてしまうだろう。
だから俺に出来るのは無言で珈琲を口に運ぶ事くらいだ。そんな俺を見ている桐生さんの表情は、どこか楽しげなのは気のせいではないだろう。
珈琲を飲み干し、後片付けを終えた頃、ダイニングのドアが開いた。今この場にいないのは一人だけなので、そちらに目を向ければ当然。
「おはようございます」
此方を伺うような、少し照れ臭そうな声で朝の挨拶をする九条さんがそこにいた。
「おはよう、九条さん」
「おはよう、よく眠れたかい?」
「おはようさん」
三者三様の挨拶を返す。九条さんにとってはこの家で過ごす初めての朝だ。少し緊張しているようにも見える。
「ちょうどよかった、そろそろ呼びに行こうかと思っていたんだ」
「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたか?」
「いや、もう直ぐだけどまだ出来てないからな。良いタイミングだったぞ」
恐縮そうに聞いてくる九条さんに明がフォローする。だがあいつの事だ、九条さんが来てから料理が仕上がるように調整していたのだろう。
「じゃぁ、出来上がっているものから運ぶから九条さんも手伝ってくれないかな」
そうお願いすれば、笑顔で頷いてくれた。
「そうだ、九条さんは飲み物は何が良いかな」
「お飲み物ですか?」
「そう、何か飲みたいものある? 何もリクエストがない人には俺が飲むものと同じものを淹れるようになってるけど。今日なら緑茶だね」
「明くんが料理を担当するように大和くんは飲み物を担当しているのさ。緑茶紅茶烏龍茶珈琲何でも美味しく淹れてくれるよ」
「そんなに種類があるんですか、すごいです」
九条さんが褒めてくれる。それだけ飲み物が豊富なのは桐生さんが買って来るからなんだけどね。
そして明が冷蔵庫を開けて確認してから「今日なら牛乳とオレンジジュースもあるぞ、あと水」と冷たい飲み物の補足をしている。
「えっと、今日は私も、高崎さんと同じものを頂いてよろしいですか?」
沢山選択肢を出してしまったが、九条さんは俺と同じものをチョイスした。和食には緑茶派なのか考えるのが面倒になったのか、それとも気を使って人と同じ物にしたのかはわからないが。何となく最後の様な気はするけど。
「うん、わかった」
オーダー、全員緑茶。
さっき珈琲を飲んだけど、俺は緑茶も好きだ。昔婆ちゃんがよく飲んでたし、俺にも淹れてくれたから。美味しい淹れ方を婆ちゃんに教わったけど、婆ちゃんのお茶には勝てなかったと思う。でも、そんな俺の淹れたお茶を婆ちゃんは一番美味しいと喜んでくれたものだ。
茶の葉が開くのを待つときは、いつも婆ちゃんの事を思い出してしまうな。
お茶を持っていけば、食卓の準備はもう整っている。ふっくらと炊き上がったご飯はまるで宝石のようにキラリと輝いている。漬物は水上の婆ちゃんが分けてくれたぬか漬け、これだけで白飯何杯でも食えるとはうちの爺ちゃんの言だ。味噌汁は王道の豆腐とワカメ。そして芋とごぼうの煮物にほうれん草の胡麻和え、焼き鮭という素晴らしいラインナップだ。理想的な一汁三菜と言って良いだろう。休みの日は普段よりも朝食が豪華で良い。
皆席に着いたね。それでは皆さんご一緒に。
いただきます。
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