第7話 「未来の妹と遊べるなんてちょっと面白くなってきたじゃーん」

 ☆


「んー。じゃあさ。質問だけど、松潤って井上真央と結婚した?」

「おいおい、せっかく未来に来たってのに、思い付く質問がそれかよ」

 聞きたいことがあるの、なんて真剣な顔をしたから身構えたのに肩透かしだった。

「だって、自分のこととかは聞かない方がいいじゃん。未来が変わっちゃうーみたいな。……で? あの二人はどうなったの?」

「『花より団子』のドラマの二人だよね。懐かしいなぁ。確かに一時期付き合ってるって噂もあったね。でも、してないんじゃないかな。僕、あんまり芸能関係詳しくないからわかんないけど。とりあえず来年、嵐は活動休止するらしいよ」

「えー!! なんで?」

 目を見開いて素っ頓狂な声をあげる沙織だった。


 コンビニで夕飯の買い出しをした僕たちは夜道を並んで歩いていた。

 コンビニの中で沙織はおおはしゃぎだった。行ったのはLAWSONで、僕にとってはどこにでもあるいつも通りのコンビニでしかないのだが、沙織にしてみれば未来の世界のコンビニなのだ。

 まず入り口の自動ドアの上に垂れ下がっているアニメとのコラボや、アイドルの写真を見て「しらない人だー!」と大喜びし、雑誌コーナーのファッション誌を広げて流行りの服やら髪型やらを食い入るように見て、ドリンクコーナーやスイーツコーナーでも目を白黒させていた。


 ……で、一時間だ。

 コンビニで一時間。そんな奴がどこにいる。店員さんの目線が痛かったよ。


「でも、さっきコンビニの雑誌で芸能人の写真見て、驚いちゃったなぁ。大野くんなんておじさんじゃん」

「まあ、君の時代より10年以上経ってるんだから、しかたないだろ」

「それにEXILEがそんなに人気になってるってのもビックリしたよー。未来はマッチョブームなの?」

「メンバーもすごく増えてるもんな。僕は誰が誰だか全然わかんないけど」

「あとはモー娘ね。いなくなっちゃったんだねー」

「別にいなくなってはいないぞ。メンバーが変わってるけど、まだやってるはずだよ。そんな迂闊なこと言うと熱狂的なファンに刺されるぞ」

「まじ? 怖っ。て言うかさ。なーんか光輔くんも、流行にはついていけてないんだね」

 クスクスと沙織が笑うから僕は口を尖らせる。

「しかたないだろ。もう31歳だぞ。テレビ見て喜んでられるほど暇じゃないよ」

 一緒にテレビを見てあーだこーだ言う相手もいないんだから仕方のないことだ。部屋のテレビは朝の天気予報を見る時にしか、つけなくなってしまっている。

「ここが未来だなんて半信半疑だったけど、ああやって雑誌の陳列棚をまじまじと見ちゃうと、やっぱりここはわたしの住んでた時代とは全然違うんだなーってショックを受けちゃうね」

 ブカブカのジャージをもて余しながら前を歩く沙織の肩が何となく落ち込んでいる。


 SMAPも解散してるし、「笑っていいとも」も終わってるし。

 あ。でも徹子の部屋がまだやってる。

「ってか、黒柳徹子って何歳なの? 未来だし、もしかしてサイボーグ化とかしてんの?」

 んわけあるか。

「でも、たしかに芸能界とか、流行なんてのは移り変わりが激しいからね。10年も経てばブームなんて変わっちゃうんだよな。でも、いいこともあるじゃんか。コンビニスイーツはかなり充実してただろ?」

「ぷぷ。光輔くんがスイーツだって。ウケる」

「え、なんで?」

「スイーツなんて言い方、流行りものに飛び付く女子しか使わないよぉ」

「そ、そうだっけ? ま、まあ時代の流れだろ。いちいち気にするなよ」

「はーい。未来は面白いね。それにしても、いっぱい買っちゃって、なんかごめんね」

 僕は両手にパンパンになったビニール袋を持っていた。お菓子やら雑誌やらだ。

「いいよ。高校生とは比べ物にならないくらい金だけならあるからさ」

 とはいえ、酒を飲むくらいしかお金の使い方を知らない。情けない大人になってしまったものだ。

「ねえ、バンプは? BUMP OF CHICKENはちゃんと活動してる?」

 沙織が振り向いて立ち止まった。

「ああ、それは大丈夫だよ。アルバムも出してるし。今年も出すんじゃなかったかな」

「……よかった」

 沙織の表情が少し明るくなった。

「生きててさ、毎年ひとつずつ歳をとってさ。社会も政治も色々あってさ。でも好きなアーティストは変わらずに定期的に曲を出してたりとかすると、やっぱり嬉しいよな」

「うん。消費税が上がってんのはムカついたけど」沙織はこくりとうなずいた。

「間違いないな。ま、さっさと部屋に戻って、晩飯にしよう。まさかコンビニにあんなに長居するとは思わなかったから疲れたよ」

 苦笑しながら帰路を急ぐ。両手に持つビニール袋が指に食い込んで痛かったし。

 そんな時だ。


「……光輔さん?」


 背後から声をかけられた。

 振り向くと、そこには仕事帰りの雫ちゃんが立っていた。

「あっ。雫ちゃん」

「あの、その子はどちら様ですか?」

 僕の部屋着を来た女の子を見た雫ちゃんは怪訝そうに僕のことをジロジロと見た。


 ……しまった。これはまずい。


「えっと……」口ごもってしまう。

 雫ちゃんと沙織は実の姉妹だ。こっちの世界の沙織が21歳で死んだ時、雫ちゃんは確か高校生になったばかりだった。いくら時が経ったとはいえ実の姉の姿を忘れるわけはないだろう。例え、自分より年下の高校生の姿で現れたとしても。


 なんと誤魔化せばいいのだろう。それとも全部話してしまうか。いや、それは後々面倒なことになりそうだ。などと逡巡していると、隣の沙織が口を開いた。


「こんばんは。わたし、光輔くんの従姉妹のさやかって言います。今年から大学生なんですど、部屋が見つからなくて、少しの間だけ光輔くんの家でお世話になることになりました」


 すらすらと出てくる初耳な事柄にびっくりして沙織の顔を見る。キャップを深く被ってはいるが、堂々と胸を張って雫ちゃんの方を向いていた。

「そうだよね。光輔くん?」

 沙織がこちらを見て、にやっと笑った。

「そ、そうなんだ。叔父さんの娘で、突然でまいっちゃったんだけどさぁ」

 しどろもどろになりながらも沙織に話を合わす。

「ほんと、ごめんね光輔くん。アパートが見つかったらすぐに出てくからさー。そだっ。わたし見たいテレビがあったんだ。先に部屋に戻ってるねーっ」

 キャップを深くかぶり直した沙織は僕のポケットから部屋の鍵を奪うと、雫ちゃんに「すみません。失礼します」と丁寧に頭を下げて、部屋の方へ駆けていった。


「光輔さんの従姉妹……か。元気な子だね。女の子と歩いているからびっくりしちゃった」

 残された雫ちゃんは驚いた表情のままだった。

「ははは、ま、まあね。ずっと会ってなかったんだけどね」

 この話は深入りされるとボロが出そうだ。従姉妹なんていないし。そもそも、親父に兄弟はいないから叔父さんすらいない。

「そだ、雫ちゃんは今日はちゃんと仕事に行ったんだね」

 なので話をそらす。

 雫ちゃんはギクッとして目をそらした。

「ああ、えへへ。さすがに二連休には出来ないですよぉ」

「君ももう大人なんだから、もう少し責任感を持った方がいいぞ」

 わざと叱責するような口調で言うと、雫ちゃんは首をすくめた。

「わかってますよぉ。もう、こういうときばっかり年上ぶるんだもんなー、光輔さん」

「もう三十歳越えだからな」

 この数時間で心を何度もえぐられた言葉を自嘲気味に呟いた。

「生きているだけで、何にもしなくても年は重ねちゃうんですもんねー。困ったことですよ」

 シミとか気がつくとできちゃうんですよー、と雫ちゃんは悔しそうに言った。

「生きるってのは大変ですねっ」

 沙織の話題にはさせないようにして二人で階段を上って部屋に戻った。

 部屋の前で雫ちゃんに別れを告げようとすると、雫ちゃんは僕の言葉を遮るようにして、急に真剣な顔になって人差し指をピンとたてた。

「光輔さん。親戚とはいえ相手はまだ若い女の子なんですからね。変な気は起こさないでくださいよ」

「……雫ちゃん本気で言ってる?」

 僕がため息混じりに言うと、雫ちゃんはイタズラっぽく笑った。

「えへへー。光輔さんがそんなケダモノじゃないことくらいわかってまーす。でも、勘違いさせるような真似はダメですよー。年上のお兄さんに憧れるのはあのくらいの年頃の子のあるあるなんですから」

 あるあるなのか。知らなかった。

「はぁ。わかったよ気を付けるよ」

「じゃあまた。今度さやかちゃん……でしたっけ。彼女と三人でごはん食べましょー」

 過去からきた自分の姉だと気づくこともなく、楽しそうに手を振って雫ちゃんは部屋に帰っていった。


 なんとかごまかせたみたいだ。

 ホッと胸を撫で下ろして部屋に戻ると、沙織はコンビニで買った弁当をテーブルの上に広げていた。

「いやー、危なかったね、もう少しでバレるところだったね」

 キッチンペーパーでテーブルの上を拭きながら沙織が笑った。

「……彼女が誰か、わかったの?」

「あはは。まあね。だって光輔くんが雫って呼んだじゃん。けど、妹が年上になってるってのも変な気分だねぇ」

 けらけらと笑う沙織。図太い神経をしているなぁ。

「沙織の世界じゃ、雫ちゃんはまだ小学生とかだったよね?」

「そうだよ。四月から中学。まさかまだ小学生の妹が、あんなに大きくなってるなんてビックリだよー。化粧なんかしちゃって綺麗に可愛くなっちゃってさ。お姉ちゃんとしても鼻が高いよ」

 沙織は妹の成長を無邪気に喜んでいる。僕は冷蔵庫から缶ビールを取り出しながらそんな沙織の笑顔を複雑な気持ちで見ていた。

「でも、雫ちゃんは気づかなかったみたいだな。沙織のこと僕の従姉妹だって信じてたぞ」

「薄暗かったしキャップ被ってたから、わたしの顔が見えなかったんじゃない。高校生時代の姉がタイプスリップしてやってくるなんて思わないだろうしね……って、光輔くんビール飲むようになったんだ!」

 僕が持つビールを見て沙織は驚きの声をあげた。

「……へ? まあ、大人だからね」

 言ってる意味がわからず、曖昧に返事をする。

「すごーい。ほら、文化祭の打ち上げで公園でお酒飲んだときはみんなチューハイだったじゃん。ビールは苦くて美味しくないねってみんなで言ってたのにー」

「そんなこともあったっけ。そういえば不思議だよね。いつからビールが美味しく感じるようになったんだろ」

 苦くて気持ちが悪いと感じていたはずのビールも、今や必需品になっている。第三のビールや発泡酒の方が安いのだけれど、やっぱり一日の終わりはビールがいい。

「気がついたら好きになってたなぁ。毎日ボーッと生きてると、自分が変わっていく過程もわからないものなんだな」

「まあそんなもんだよねー。うんうん、光輔くんも順調におじさんに向かって突き進んでいるわけだ」

「おじさんっていうのはやめろ」

 苦笑いでビールを飲む。なぜか、いつもより苦く感じた。

「しかし、厄介なことになったなぁ。雫ちゃんさ、今度一緒にごはんを食べに行こうなんて言ってたぞ」

「ほんと!? 楽しそう! 行こう行こう!」

 ノリノリの沙織をみてうんざりしてしまう。

「なんでそんなに緊張感がないんだよ。バレたらどうすんだよ」

「大丈夫じゃない?」

「どっから来るの、その自信は」

「じゃあさ、明日、美容院行って髪型とかメイクとか未来風に変えるよ。そんで、こっちで流行りの服に着替えたら、絶対わかんないよ。うひゃー、未来の妹と遊べるなんてちょっと面白くなってきたじゃーん」

 まったく能天気なんだから。僕だけがはらはらしていて沙織は少しも不安はないようだ。

「だから、ちょっとお金ちょーだい」

 屈託なく笑って手を出す沙織。片方の眉をあげて睨んでみたけど結局は財布から万札を取って沙織に渡した。


 その夜。あの携帯電話をチェックしたがタイタンからの返信はなかった。どうなっているんだろう。何かトラブルだろうか。

 沙織は本当に帰れるのだろうか。宇宙の平和とか秩序とかそういうものは大丈夫なのだろうか。なんだか沙織のペースで物事が進んでるけど、いいのかなぁ。

 すやすやと眠る沙織の横で、僕の不安な夜は更けていった。



 ☆



「どうしたんすか先輩。今日はアンニュイな感じっすね」

 会社で後輩の優男、月形くんに言われて驚いた。

「え。そうかな、そんなふうに見える?」

「なんとなくっすけどねー。雨宮先輩がそんな顔してんの、なかなか見たことがないんで、なんかあったのかなーって」

 ちゃらんぽらんなくせに意外と鋭い男だ。でも、死んだ恋人が高校生の姿になって現れたんだよ、なんて口が裂けても言えない。病院送りにされてしまう。

「特に何もないけどなぁ」

「嘘っぽいっすねぇ。憂いの中にもほのかな幸福感が漂ってます。あ、もしかして女がらみっすか!? もー。ずるいんだから。自分だけじゃなくて、ちゃんとオレにも紹介してくださいよ!」

 また始まった。月形くんは本当に二の次には女だ。黙っていれば良い男なのにいつもオンナオンナって軽い感じで言ってるから女子からの評判が悪いのに、そういうことには全然気がついていないんだよな。

「……月形ぁ。女ってのはマメな男に弱いんだよ。お前みたいに大雑把で会議の資料も適当にごまかすような奴はモテねえぞ」

 後ろからやってきた井岡さんが月形くんの頭に書類の束をどさっと叩きつけた。

「いったーっ! 井岡さん、何するんすかぁ。暴力反対っ、パワハラですよぉ」

 月形くんは頭を抱えて情けない声を出すが、井岡さんは容赦がない。

「やかましい。お前、数字がめちゃくちゃだぞ。これ先月のデータを使い回ししてんだろ」

 書類の束を月形くんに押し付ける。

「いやそんなことは……あ、いけねっ」

「手を抜くな」

「す、すぐに修正しまっす。あはは、いやあオレとしたことが初歩的なミスを……では、先輩方失礼しまっす!」

 そそくさと去っていく月形くんを見送る。


「まったく、あいつは成長しねえなぁ」

 井岡さんが太い腕を組み苦笑いをした。

 月形くんが何かミスをやらかして、井岡さんが指摘するっていうのは見慣れた光景だ。会社に来ればいつもと変わらぬ日常が送られていてなんだか安心してしまう。

「雨宮、調子はどうだ。昨日よりかは、幾分顔色は良くなった……か?」

 井岡さんは四角い顔の眉間のシワを解いて僕の顔を見た。

「おかげさまでなんとか良くなりました。今日からはちゃんと働きますんで」

 井岡さんはやれやれとため息をついた。

「いや、お前は働きすぎなんだよ。残業なんてしないに越したことはないんだ。ほら、うちの会社でも働き方改革とかって部長が話題にしてたろ。これを機に残業はしないようにしてみろ。周りもサポートすんだから、一人で抱え込むなよ」

「でも……」

「お前がうちのチームの残業時間トップなんだよ。俺の評価も下がるんだよ」

「わかりました……。ありがとうございます」

「よし。じゃそういうことで。昼飯は何食う? 久しぶりにつけ麺でも行こうぜ」

 ころっと表情を変えて雑談。こうやって会社に来てみんなと話していると、昨日のことは夢だったんじゃないかと思ってしまう。


 家に帰れば誰もいない真っ暗の部屋が待っていて、昨日の出来事は疲れた僕が見た幻なんじゃないかって。

 タイタンからもメールもこないし。もし全部、僕の見た夢だったのだとしたら、それでいいのかもしれない。死んだはずの恋人が現れるなんてあり得ないことなのだ。


 そんなことも頭に浮かんだが、仕事を終えアパートにたどり着くと、三階の僕の部屋にはしっかり明かりがついていた。


 それを見て、なぜか安心している自分がいた。

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