第4話 彼女は流川沙織。13年前からやってきた高校三年生の頃のあなたの恋人です。
次の日、通勤鞄に赤い携帯電話を忍ばせて僕は職場に向かった。
あのメールに従うつもりはなかったが、だけど、メールの主が指定した噴水のある公園という言葉がいつまでも頭に残っていた。
メールが誰かの悪戯だとしても、僕が沙織にあの公園で告白をしたことを知っている人間は少ない。
しかも、よくよく考えてみれば、一番初めに疑問に持つべき当たり前のことを僕は忘れていた。
それは、僕だってメールアドレスは変更している、ということだ。
あの頃は機種変更する度にアドレスを変えるのがなんとなく習慣になっていたし、ガラケーからスマホに変えたときにはキャリアのアドレスなんか使わなくなって、今は「Gmail」のアドレスの方をメインに使うようになっている。まあメール自体を使う機会はLINEの登場でかなり少なくなってしまったけど。
だから、例え沙織のアドレスからでなくたって、あの携帯電話の昔の僕のアドレスになんかメールが届くわけがないのだ。
試しにスマホのGmailから昔のアドレスにメールを送ってみたが、当然のごとく送信エラーで戻ってきた。じゃあ、いったいあのメールはどうやって送られてきたのだ?
「どーしたんすか雨宮先輩。昨日より一層顔色が悪くなってますけどぉ」
朝礼前の空き時間。メールのことを考えていて、月形くんに話しかけられても、すぐに反応できなかった。
朝、起きてからも電車で出社している最中も、頭の中は不気味なメールのことでいっぱいだった。
「おい、雨宮。大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか」
僕の様子を見て、後から出社してきた井岡さんも心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「あ、すみません……大丈夫です」と、言いかけて、僕は思った。
そうだ、こんな奇妙な出来事を自分一人で抱え込んでいるから、混乱してしまうのだ。月形くんはパソコンに詳しいし、井岡さんは僕より博識だ。こんなわけのわからない出来事も、何か現実的な説明や理屈をつけて笑い飛ばしてくれるかもしれない。
せっかくあの携帯電話も持っているのだから、いっそメールを見せて相談してしまおうか。僕の知らない新手の詐欺かもしれないし。
「それが……。ちょっと見てほしいものがあるんですが……」
僕は二人に背を向け、デスクの脇に置いていた鞄の中をまさぐった。
しかし、そこで、異変に気付いた。
「あれ、おかしい……」
何もなかった。今朝、たしかに鞄にいれてきたはずの携帯電話が見当たらなかった。
「なんだ。どうしたんだ?」
井岡さんが不思議そうに僕を見る。
「なんすか? ラブレターでももらったんすか?」
背中を丸めたまま固まっている僕に月形くんがヘラヘラと声をかける。
嘘だ。なんで何もないんだ。全身から血の気が引いた。全部僕の思い違いだとでもいうのか。夢でも見ていたというのか。そんな……。
「い、いや。なんでもない。なんでもないです」
怖くなって僕はすぐに鞄から手を離した。
……嘘だろ。たしかに鞄のなかにいれたはずなのに。
不思議そうに顔を見合わせた二人だったが、朝礼が始まってしまったので、その一件はなんとなくうやむやになった。
午前の事務作業も、午後の会議も何も頭に入ってこなかった。
昼食後、一人になれるタイミングで僕はもう一度、鞄を開いてもみたのだが、やっぱり携帯電話は影も形もなかった。
「おい、どうした雨宮。顔面蒼白だぞ」
夕方、営業から帰ってきた井岡さんに話しかけられても、一瞬反応ができなかった。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。すみません」
「あんまり大丈夫そうには見えねえな。早退するか?」
「いえ、本当に大丈夫です。ご心配かけてもうしわけないです」
「そうか。ならいいんだけどよ……。あとちょいで定時だし。今日もさっさと上がれよ」
「でも……」と言いかけたが、仕事に集中できていないのは事実だった。こんな状態の人間が職場にいる方が皆の士気が下がる、と井岡さんは言いたかったのかもしれない。
「いいって。別に一日二日くらいお前が早く帰ったって傾くような会社じゃないさ。もし傾くんなら、俺がまっさきに逃げるけどな。がはは」
井岡さんは僕の肩を叩き盛大に笑った。
「すみません……」と僕は引き下がった。
その日は取引相手とのメールのやりとりだけ終わらせて、早々に職場をあとにした。帰り際、井岡さんがぽんっと栄養ドリンクを投げ渡してきた。
「しっかり休めよ」ニカっと笑って井岡さんは手をあげた。
職場を出た僕は駅に向かう。最近は残業も多かったし、休日出勤もしていたし、疲れていたのかな。疲れていたから変な勘違いをしちゃったのかな。
使ってない携帯電話にメールが来るなんて、普通に考えておかしいものな。井岡さんに言われた通り、栄養をとって早く寝よう。
そう思った時だった。
どこからともなく音楽が聞こえてきた。GReeeeNのキセキだ。
僕は立ち止まり耳を済ます。音は僕の持つ通勤鞄の中から聞こえている。
まさか。僕は慌てて鞄の口をあける。
薄暗い鞄の中、赤い携帯電話が確かに鳴っていた。
震える手で画面を開く。
メールが一件。送信元は流川沙織。
『公園の噴水の前にベンチがいくつか並んでいるはずです。あなたにとって、一番思い入れのあるベンチに向かってください。午後七時には間に合うようにお願いします。』
僕は気を失いそうになるのを必死でこらえた。
ざわめく心を抱え、おぼつかない足元で、僕は電車を乗り継ぎ、あの公園に向かった。一時間ほどかけて辿りついたのは、通っていた高校の最寄駅だ。
ここに来るのは何年振りだろうか。沙織が生きていた頃は、近くの洋食屋に行くついでに何度か訪れたこともあったが、それすら既に10年も前の話だ。
時刻は六時半を少し過ぎたあたり。駅前のマクドナルドには僕らの後輩らしき高校生がたむろしているのが見える。友人とよく行ったゲームセンターは無くなっている。景色は変わっていないようで変わっていた。
夕日がやけに眩しく感じる。学校帰りの学生たちとすれ違いながらオレンジの町を歩く。
しばらく歩くと公園が見えてきた。広い原っぱや軟式野球場も併設されている、この辺りでも有名な公園だった。
大通り沿いから公園に入ると両脇にツツジが植えられたメイン通りがまっすぐ伸びていて、そのさきに噴水広場がある。
広場の真ん中には大きな円形の池があり、周囲にベンチが並んでいる。
昼間の間は子供連れの母親や、仕事途中のサラリーマン、ランニングをする若者などが集まる憩いの広場なのだが、不思議なことに今日は誰もいなかった。池の中央に凝った意匠の塔が設置されていて、そこから絶え間なく水が吹き上がっている。その水しぶきの音だけが広場に響いていた。
あと、10分ほどであのメールの指定した七時になる。
メールの主は七時きっかりに思い出のベンチの前にいろ、と指示してきた。僕は誰もいない噴水広場をぐるりと廻って、あの日、僕が沙織に告白をしたベンチに向かった。あの時は冬だったから、この時間には既に真っ暗だった。広場に大きなもみの木が設置されてイルミネーションが綺麗だった。
過ぎ去った思い出を噛み締めながら、僕は思い出のベンチの前に立った。
あたりを見渡す。誰もいない。珍しいこともあるものだ。夕暮れが迫っているとはいえ、この時間に誰もいないなんて。
しかし、そうなるとメールの主はいったい僕に何をさせたかったのだろう。ベンチに何かが置いてあるわけでもないし。
もう一度あたりをぐるりと見渡した。木々の向こうに夕日が沈んでいく。オレンジの空が眩しく輝いている。
その時、噴水が一際高く舞い上がった。池の内側に円を描くように小さな噴水も現れて、舞い上がる水がダンスを踊りはじめた。
驚いたがすぐに思い出した。そうだ、この公園の噴水は七時とか八時とか、時報に合わせて少しの間だけいつもよりも派手な演出を見せるのだった。
天高く舞い上がる水しぶきを一人見上げる。まさか、七時に間に合うように来いというのは、この噴水を見せたかっただけなのだろうか。
沈んだ夕日の残光を浴びてキラキラと水しぶきが舞う。風に乗り飛沫が僕の顔にかかる。少し目を閉じて、再び開けた時、ありえないことが僕の前で起こった。
目の前のベンチに女の子が横たわっていた。
紺のブレザーにミニスカートという制服姿の黒髪ロングヘアの女子高生が二人がけのベンチに横になり寝息をたてていた。
目をこすって確かめる。ほんの一瞬前まで、誰もいなかった。それが、まばたきをしたその瞬間に突然現れたのだ。
驚いて動けずにいると、懐に入れていた携帯電話が鳴った。慌てて画面を開くと、メールが届いていた。恐る恐る本文を開く。
『どうやら間に合ったようですね。あなたの目の前に女の子が現れたはずです。これで最初の関門はクリアです。お疲れさま。次の指示を送りますが、今なら多少の時間的余裕があります。何か質問があれば答えます。』
なにか質問って言われても聞きたいことだらけだ。
なぜ使われていないアドレスにメールを送れるのか。
目の前に現れたこの少女は誰なのか、
あなたは誰なのか。
僕の事を知っていてメールを送ったのか。
一体僕に何をさせようというのか。
目的はなんなのか。
ぱっと思い浮かぶことだけでも質問は山ほどあったが、それだけの質問を携帯電話のテンキーを操作して打ち込むには時間がかかりすぎる。
『あなたは誰?
あなたの目的は何?
この女の子は誰?』
文章を整理することもせず、殴り書きのようにして送信ボタンを押した。
返信は「秒」で来た。
『わたしは「大いなる意志の忠実なる
長ったらしい名前の
僕が知っている人だって?
携帯電話から顔をあげベンチを見た。
言われてみれば、この子の着ている制服は僕の通っていた高校のものだ。さっきも駅前でこの制服を着た子とすれ違った。つまりこの少女は僕の後輩ということらしい。でも、僕が高校を卒業してからすでに10年以上も経過しているし、現役の生徒に知り合いはいなかったと思うのだが。
ベンチに近づいてみる。
少女は目覚めるそぶりを見せない。少女が枕にしている学生鞄についたアクセサリーが当時、女子の間で流行っていたものとよく似ていた。10年たっても女子高生の流行りというのは変わらないものなのか。それとも一周回って同じものが流行っているのか。寝息を立てる少女の顔は長く艶がある黒髪が隠してしまっている。
「あのー。君さ。ちょっと起きてもらっていいかな」
女子高生に話しかける機会なんて中々ない。痴漢呼ばわりされたら怖いので肩は揺すらずに声をかけた。しかし返事はない。
「おーい。起きてくれないかなぁ」
僕はベンチの前に屈みこむようにして彼女の顔を覗き込んだ。
その時、ちょうど風が吹いて彼女の前髪が流れた。白い肌、薄い唇、そして左頬にある小さなホクロが露になる。
「……えっ」
瞬間、僕は動けなくなってしまった。
ベンチで眠っていた少女は、高校生時代の沙織と瓜二つだった。
頭の中に、死んだ恋人の姿が甦る。心臓が跳ね上がる。
そんなわけがない、と僕は後ずさりする。片手に持っていた携帯電話が震えてメールが届く。
『驚きましたか。彼女は流川沙織。13年前からやってきた高校三年生の頃のあなたの恋人です。』
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