第2話 「死んだ恋人からメールが来たんです」なんて……
メールフォルダを睨んだまま動けずに数分が過ぎていた。
けれど、このままではらちが明かない。僕は意を決して文面を見ることにした。
しかし。
「なんだ、これ……」
画面に映る文字は、件名も本文もひどく文字化けしてしまっていて、とても読める代物ではない。意味のわからない数字とアルファベットとの羅列が何行にもわたって綴られているだけだったのだ。
画面いっぱいに広がる読み取れない文面。気味が悪い。しばらく小さな液晶画面を見つめていたが、そうしていたところで何がわかるわけでもない。
きっと何かの不具合でこんな表示が出ただけなのだろう。古い携帯だから、壊れておかしなバグが起こったりしたのだろう。そうにちがいない。
僕は考えるのをやめて、携帯電話の電源を切った。
昔のことなんか思い出しても良いことはないし、こんな誤作動が起こるなら電源なんて入れなきゃよかった。真っ暗になった液晶画面を乱暴に閉じて、ベッドの脇に放って布団に潜り込んだ。心臓はバクバクと鳴っていた。
もう、この携帯電話の電源はつけないでおこう。
明日、段ボール箱の中に片付けてしまおう。そう思いながら眠りについた。
……それなのに。
次の日の朝、僕を起こしたのはスマホのアラームではなく、携帯電話の着メロだった。飛び起きてみれば、電源を切ったはずの携帯電話の液晶画面が煌々と光っていた。
嘘だろ。
そして、新着メールを告げるポップアップ。
僕は怖くなって、メールの内容も確認せずに携帯を閉じた。
信じられない。何がどうなっているのだ。寝ぼけているのかと思って、頬を叩いてみたが、やっぱり夢じゃなかった。
☆
「なぁ雨宮。朝からずーっとぼーっとしてるじゃねえか。体調悪いのか?」
ランチタイム。定食屋で投げかけられた野太い声でハッとした。
顔を上げると目の前に特盛りライスのお椀を大きな手に乗せた先輩の井岡さんが心配そうに僕のことを見ていた。
「あー。言われてみれば食欲無さそうっすね、雨宮先輩」
隣に座る後輩の月形くんも唐揚げをつまみながら僕をちらりも見る。
「いや、特になんでもないですよ。ちょっとボーッとしてただけで……」
慌てて目の前に置かれた鯖の味噌煮をつついて平常運転を装った。
確かに体調も優れなかったし食欲もなかったが、それを会社の先輩に見抜かれるとは。
「そういえば、お母さんが妊娠したとか言ってなかったか。その後はどうだ。高齢出産とか大変だろ。うちの嫁も心配してたぞ」
「え? 雨宮先輩のお母さんが!? どういうことっすか?」
月形くんが箸を置いて目を丸くした。まあ、今の井岡さんの言葉を聞けば、月形くんが驚くのも無理はない。
「ああ。月形くんは知らなかったっけ。僕のところ、父子家庭でさ。僕が大学生の時に親父が再婚したんだよ。相手は若い人でさ。その再婚相手が妊娠したってこと」
別に隠すことでもないから説明した。
「へー、そんなこともあるんすね!?」
ドラマみたいっすね、と月形くんは驚いていた。
そうだ。僕は親父の再婚を機に一人暮らしを始めた。
大学生になったばかりで、恋人の沙織が大学に行きやすい距離だから、と言ってすぐに入り浸るようになった。
「お義母さん。おいくつだっけ?」
「四十代半ばだったかなぁ。井岡さんの言うように高齢出産だから大変みたいですけど、今のところ順調みたいです」
井岡さんは安心したようだ。井岡さんも昨年、父親になったばかりで、妊婦の大変さを身に染みて知っているので、僕の親のことも気にかけてくれている。
「順調なら良かった。けど、もし、なんかあったら言ってくれよ。なんでも手伝うからな。たいしたことはできねえけどさ」
学生時代はラグビー部だったという体格の良い井岡さんは特盛ライスをガツガツと大きな口に運びながら言った。
「ありがとうございます」
「けど、じゃなんで雨宮先輩、ボーッとしてたんすか。あー、もしかして。女性関係ですかぁ。夜中までアツく燃えあがっちゃって寝不足とか。くうーっ、ずるいっすよ。オレにも女の子紹介してくださいよぉ」
月形くんは唐揚げを頬張りながら勝手な憶測で突拍子もないことを言ってくる。
彼は井岡さんと対照的な細身の優男でスタイルも顔も悪くない。黙っていればたぶん、モテるだろうけど、黙ってられないからモテない。
「違うよ。彼女なんかもうずっといないよ」
苦笑いで否定する。
「まー。そーっすよね。先輩の親父さんはやることやってるってのに。不思議っすね。先輩ぜんっぜん女っ気ないっすもんね」
月形くんはヘラヘラと口を歪めて笑った。そういうとこだぞ。
「雨宮先輩って、オレほどじゃないけど、まあまあ整った顔してるじゃないっすか。なんで全然彼女できないんですか? あ、もしかしてこっちですか?」
手の甲を口許に寄せて、ジェスチャーをする月形くんを井岡さんがポカリと叩いた。
「別に誰がどんな人を好きになろうが、なるまいが自由だろうが」
井岡さんに叱られて細身の月形くんは身を縮こまらせたが、性懲りもなくすぐに口を開く。
「でも、こっちじゃないってんなら、なんで彼女いないんすかねぇ。……あ、わかった。異常性癖なんでしょ。いやがる女の子を縛り上げて吊るしたりしちゃうタイプでしょ。そりゃ女の子も逃げますよ。うんうん、雨宮先輩みたいな一見、人畜無害な草食系男子に限ってとんでもない変態だったりするもんなあ。怖い怖い」
本当に黙っていれば良い男なのにデリカシーがない。
「まったく、次から次へとバカなことがポンポンと出るなぁ、月形は……」
井岡さんが呆れている横で、僕はあえて否定もせず鯖をつつく。
「だって、事務の女の子も噂してましたよ。なんで彼女つくらないんだろーって。逆にゴリラみたいな井岡さんのが既婚者だって方がおかしいってみんな言ってますよ」
「おい、てめえ月形、もういっぺん言ってみろ」
「ち、違いますよ! 事務の女の子が言ってたんすよ。オレじゃねえっすよ」
「ったく、あいつら、人の噂ばっかしやがって。まあいい。それより、雨宮。先週の土曜も出社してたんだろ。あんまり根詰めると体調崩すぞ」
「すみません、心配をおかけして」
「休みはきちんと取れよ。仕事なんて人生のごく一部だからな。で、もし何か悩んでることがあればなんでも相談してくれよ。ま、ゴリラの俺に解決できることはあんまりねえけどな」
井岡さんはガハハと笑って味噌汁をすすった。
「ありがとうございます。月形くんと違って井岡さんにはいつもお世話になってますんで、何かあれば相談させていただきます」
「ええ!? 雨宮先輩ひどいっすよー」
月形くんは裏返った声で非難の声を上げているが無視する。
実際、井岡さんはとても頼りになるし、既婚者で一児の父だけあってプライベートなことだって相談できるのだけど、今回のことに限って言えば、とてもじゃないが言えなかった。
死んだ恋人からメールが来たんです。なんて言えるわけがない。
頭がおかしくなったと思われるだけだ。
今朝から、僕の頭の中は携帯電話のことでいっぱいだった。仕事なんか手につかなかった。
死んだ恋人から来たメール。昨晩はただの誤作動だと思ったのに、また送られてくるなんて。。
もちろん昨日と同じく画面の上部には圏外の表示が出ているのだ。
ありえない。
けど、そのありえないことが現実に起こっている。
メールの内容は相変わらず文字化けしていて意味不明だった。だけど、今朝のメールには少しだけ文字化けしてない部分があり、日本語表記が混じっていた。とはいえ、内容がわかる程のものではなかったのだけど。
仕事の合間に、僕は親父に連絡して、なにか送り物をしたか聞いてみた。
電話先の親父はきょとんとしていた。
なにも知らないという。
じゃあ誰があの小箱を僕の部屋に置いたのだ。
不思議でしかたがなかった。
幽霊とか心霊とかそんなものは大人になるにつれて信じなくなったが、絶対にない、と言いきれるほどに否定できる強い信念があるわけでもない。
僕のせいで彼女は死んだのだ。恨みを抱いていてもなにも不思議じゃない。その恨みがあの携帯電話を通じて僕の元に送られているのかもしれない。
あの日、待ち合わせの時間に遅れていった僕が見た彼女の変わり果てた姿がフラッシュバックする。
雨の中、赤い傘を差して彼女は僕を待っていた。僕は連絡もいれずに遅刻をして彼女を待たせて、その結果、彼女は暴走したトラックに引かれて短い生涯を終えた。
カッと見開いたまま、頭から血を流して息絶えていた沙織の顔。
あの時、僕は……。
☆
流川沙織を知ったのは高校三年の春だ。彼女とはクラス替えで初めて同じクラスになった。
艶のある黒くて長い髪に、ちょっとつり目で左の頬に小さなホクロがあるのがチャームポイントの女の子だった。最初に話したのは確か掃除の時間で、その時はなんとなく、とっつきにくい女の子だと思った。女子の中では高身長な彼女は軽音部に所属していて、登下校中にいつも重たそうなギターを背負っていて表情が険しかったからかもしれない。
でも、席替えで隣同士になって喋ってみると、印象はガラリと変わった。彼女は明るくて気が利いて、コロコロ表情が変わる笑顔の素敵な女の子だった。文化祭の実行員会に二人が選ばれて、放課後や昼休みに一緒に作業するようになると、いつしか彼女のことを意識するようになった。
彼女は勉強もできたし運動も得意だったし、友達も多いし、後輩女子にもファンは多いし、委員会の仕事もサボらずにこなすし、なにより先生からの信頼もあつかった。
軽音部の仲間にも頼りにされていて、文化祭に向けてバンドの練習も委員会とは別に毎日しているようだったし、よくそこまで頑張れるなぁ、と感心したのを覚えている。
文化祭当日のライブで初めて彼女の演奏を見た。
彼女のバンドは『BUMP OF CHICKEN』のコピーをやった。ちなみに彼女が持っていたのはギターじゃなくてベースなんだということはその時に知った。
演奏は、正直に言って、めちゃくちゃにカッコよかった。
普段、冗談を言って笑っている姿と、真剣な表情で重たそうなベースから太い低音を響かせる姿との間にギャップがあって、それに僕はやられてしまった。
女の子をかっこいいと思うのは初めてだった。今だったら「エモい」って表現になるんだろうけど、当時はそんな言葉はなく、ただただそのかっこよさにシビれてしまった。彼女が後輩の女子生徒達から絶大な人気を誇っていた理由がわかった気がした。
出番が終わった彼女はいつも通りの笑顔に戻って、汗をタオルで拭きながら僕に笑いかけた。
この時、僕の心の中に「恋に落ちる音」ってのが聞こえた気がした。
僕はどんどん彼女に惹かれていった。文化祭が終わって、彼女も部活は引退して、なんとなく一緒に帰ることが多くなって、一緒に買い物や、テスト勉強をするようになって、二人の距離は縮まった。
そして、一大決心をした僕はクリスマスイヴに告白をして付き合うことになったのだ。
告白をしたのは高校の最寄り駅の近くにある大きな公園だった。
ベンチのある噴水広場にちょうどイルミネーションのもみの木が設置されていて、絶好のロケーションだった。
クリスマスイヴに二人きりで会うんだから、彼女も僕に何を告げられるのか大方予想は付いていただろう。いつもより笑顔が硬かった。会話もぎこちなかった。その日は彼女の好きな洋食屋さんでちょっとだけ奮発してご飯を食べたのだけど、味なんてわからなかった。
夜空の下、僕たちは公園に向かった。
時報に合わせて池の噴水が高く上がって、イルミネーションが煌びやかに点灯するのをベンチに寄り添って見た。僕はベタだけど、ネックレスとかをプレゼントして。
「好きなんだ。付き合おうよ、あの……よかったら……」みたいな告白だったと思う。
優柔不断で自分からあまり行動ができない僕にとって、あの告白はカッコはつかなかったけど、かなり、非常に、勇気ある行動だったと思う。
彼女は頬を赤くして泣きそうな顔で頷いてくれた。
今思えば、僕みたいな冴えない男子なんかと、みんなの憧れの的だった彼女が付き合ってくれたのは不思議なのだけど、ともかく、こうして僕は彼女と付き合いだしたのだ。
あの頃の僕は幸せだった。未来は輝いていると信じて疑わなかった。
こんな未来が待っているなんて夢にも思わなかった。
ボーッと沙織のことを考えていて、午後の仕事も身が入らなかった。
「やっぱり、お前調子悪そうだな。今日は早く帰れよ」
僕の体調を心配した井岡さんが残業を無理やり引き受けてくれて、僕は急き立てられるようにして会社を出た。日が沈む前に会社を出るなんて久しぶりだった。
井岡さんは僕のことを心配してくれて早めに帰らせてくれたのだけど、正直にいうと仕事をしている方が余計なことを考えなくていいから少しだけ困った。
家に帰って、またあの携帯電話にメールが入っていたらどうしよう。
不安な気持ちを抱えながら電車に揺られて帰宅した。
アパートにたどり着き、背中を丸めて廊下を歩いていると、どこかの部屋からカレーの匂いが漂ってきた。
ただでさえ暗い気持ちだったのに、さらに憂鬱さが増す。
夕暮れ時の他人の家の食事の匂いが僕は苦手だった。
母親が子を呼ぶ声や、家族団欒の気配を感じると無性に寂しくなるのだ。
母は僕が幼い頃に交通事故で亡くなった。
親父は泣き言も言わず僕を男手一つで育ててくれた。
不満なんてなかったけど親父は仕事で忙しかったから夕食は寂しかった。
一人でいつもお弁当を買って温めて食べていた。
もちろん、父親も仕事一辺倒ではなく、暇があれば遊んでくれたし、休みの日は料理もしてくれた。
祖父母が面倒を見にきてくれる事も多かったから、片親にしては恵まれていた方だとは思う。
だけど、やっぱり平日の夕方のなんともいえない寂しい時間帯は、いまだに自分の居場所がないことを実感させられるみたいで、少し苦手だった。
夕日が沈みかけている中、部屋の前でポケットから鍵を取り出してガチャガチャやっていると、隣の部屋のドアが開いて、ショートカットの女の子が顔を出した。
「あ、光輔さんっ。おかえりなさい」
「雫ちゃん? 今日は休みだったの?」
ショートパンツに緩い首元のTシャツという無防備な部屋着の雫ちゃんは照れくさそうにはにかんだ。
「いやぁ、朝、起きれなくて……、仮病使っちゃって仕事休んじゃいました」
てへ、なんて可愛く笑ってるけど。まったくこの子は。
「……まあ、たまにはそういうのもいいんじゃない」
雫ちゃんはこんな具合でマイペースだけど、考えてみると最近の子って結構こんな感じだ。わが社の新卒社員を見ていても思う。井岡さんなんかに誘われても飲み会には参加しないし、ちょっと体調が悪いだけですぐに休む。仕事もできないのになぜか自分に自信はあって、どこか偉そうで、忖度なしでズバズバものを言う。生意気だ、と取られることも多い。
ま、それも時代の流れなのだろう。インフルエンザでも出社するのが当たり前だったと偉そうに自慢する昭和世代の部長クラスがおかしいのだし、飲み会だって来たくないなら無理する必要はない。体調が悪ければ仕事のパフォーマンスも落ちるし、ひとり欠けただけで仕事が回らないのならそれは会社のマネジメントに問題がある。
「いやー、でも、罪悪感がハンパなくてですね。せめて誰かに何か罪滅ぼしでもしないといけないかなぁって思って。気がついたらカレーを大量に作ってたんですけど。光輔さん、もし晩御飯の予定がなかったら、食べてきませんか?」
「えっ。いいの?」
予想外の提案で驚いた。
「はいっ。どうぞどうぞ。あ、でもルーは甘口ですよ?」
カレーの匂いは雫ちゃんの部屋からしていたのか。
「じゃあ、お言葉に甘えて。スーツだけ脱いだらお邪魔させてもらおうかな」
「ぜひぜひ!」
ちょうど僕も部屋であの携帯電話と睨めっこするのも嫌なところだった。
冷蔵庫にビールも何本かあったし、雫ちゃんと世間話でもして気を紛らわせよう。
そう思った。
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