第10話 決戦の準備は整った?

 その日、放課後になると同時に図書館は封鎖された。

 通路の両側には銃を持った警備員が立ち、近寄る者を峻拒していた。その姿は校庭や図書館の周辺にも見られた。

 生徒たちもあえて近づこうとはせず、不安げに囁き合いながら下校していった。


 学校の駐車場に停めた数台の派手な色のワゴン車には『斎原特殊書籍研究室』の名が入っている。これは東雲市と斎原家が共同で設立した文妖の研究機関だった。


「言っておくけど、あれは斎原家の私兵なんかじゃないからね。うちの『斎原特書研』はあくまでも合法的な組織だから」


 図書館の窓から校庭を見ながら、斎原はことさらに強調する。しかし言えば言うほど怪しさがつのるような気がするのだが。


「ま、まあ斎原先輩の実家が、この日本ではアンタッチャブルな存在なのはよく分かったぞ。では、あ奴らを頼りにしてよいのか?」

 ヴァネッサは僕以上に胡散臭そうな目で斎原を見ている。


「残念だけど、あの人たちは文妖に対する能力は持ってないの」

 おや。

「つまり?」


「文妖対策は、私たちだけでやります」

 僕とヴァネッサは顔を見合わせた。

 どうやら同じことを考えているのは、その表情で分かった。

(おい、斎原先輩は本気なのか。無茶ではないのか)

 ヴァネッサが小声で聞いてきた。


 もちろん本気に違いない。斎原はこんな事で冗談を言う女ではないのだ。


「仕方ないでしょ。実働部隊は他の図書館に向かっているんだから。警備員を廻してもらえただけでも感謝しなさい」

 どうやら『斎原特書研』総出で、一斉に市内の図書館から新型文妖を排除するつもりらしい。


 ☆


 さて、と斎原は図書館内を見回した。

「そろそろ始めましょうか」

 そう言うと、移動式書架を窓際に寄せた。それで中央にはやや広いスペースが生まれる。

 ここが、僕たちの戦場だった。


「じゃあお願いね」

 斎原は僕の背後に向かって言った。僕は振り向いて驚いた。全く気が付かないうちに、背後に女の子が立っていたからだ。


 しかも、そのほっそりとして凹凸のない身体。

 揃えた前髪の下で笑っているように細められた目。


「ふ、ふ、藤乃さん?!」

 僕は駆け寄り、藤乃さんの身体を抱きしめようとした。

「あ、あれ?」

 僕の手は彼女の身体を通り抜けた。


「こら、邪魔しないで。君依くん」

 斎原に怒られた。

「斎原、これ。この藤乃さんってまさか」

「ええ。文妖だよ。藤乃さんに連絡して、一体送り込んでもらったんだ」


 藤乃さんは子どものころに大怪我を負い、その時に体内に文妖の胞子を宿してしまった。文妖が体内で成長したおかげで、瀕死の重傷だったけれど命をとりとめる事はできたのだが、その代償として文妖を生み出す体質になってしまったのだ。


 最初は『シートン動物記』の誇り高き狼王。そして入院することが多くなってからは自分自身の似姿を。


 なんだ、また文妖だったのか、がっかりだ。……あれ?

「なあ斎原。今、藤乃さんに連絡した、って言わなかった?」

「言ったよ。それがどうしたの。藤乃さんとは、いつも電話とかSNSとかで連絡取りあってるけど」


「……僕は、一度も連絡がついた事がないんだけど」

 僕は藤乃さんの彼氏のはずなのに。電話に出てさえ貰えないのに。


「だから言ったであろう。君依先輩は避けられているのだ、と」

 ヴァネッサが悼むような口調で言った。


 なんかもう、文妖なんてどうでもよくなった。

 このまま傷心を抱えて家に帰ろうかな……。



 藤乃さん(の文妖)は全く表情を変えないまま、胸から下げた物を手にとった。

 それは全長20センチほどの角笛だった。


 高く、長くその音は図書館内に響き渡った。


 ざわっ、と書架のなかで何かが蠢く気配が湧き起こった。


 ☆


 それは、さらさら、と音をたて、本の隙間から清水のように流れ出した。

 床一面をひたしたそれはやがて盛り上がり、人の姿をとり始める。


「これは、ロード・オブ・ザ・リング……」

 斎原が呟く。

「やはり、文妖を活性化するには文妖だね」


 その言葉通り、水の中から、妖精族、そしてドワーフの軍団が立ち上がってきた。そして、図書館の内部の空間は歪み、広大な原野へと姿を変えていた。


 軍団は出来上がったが、僕はもう一つ足りないものがあるのに気付いた。この軍団の総指令官だ。


「いいだろう。ではわしが灰色の魔法使いになるとしよう」

 ヴァネッサは書架の本を一冊手に取った。


 J・R・R・トールキン『指輪物語』


 ヴァネッサの手の中でその本は形を失い、ゆっくりと彼女の身体を覆っていった。

 文妖が彼女を覆いつくした時、僕は悲鳴をあげていた。

「だめだよ。それじゃないだろ、ヴァネッサちゃん!」


「げほ、げほ。だから自分では外装を選べぬと言ったであろう。いとしい

 ヴァネッサは、痩せこけ、縮こまったホビット族の姿になっていた。

「なんで、よりによってゴラムなんだよっ」

 しかも、こんな時に。


「おおう。何か出て来たぞ、いとしいしと」

 だから、いとしいしと、はやめて欲しい。でも、これはまずい。

「あれは、いったい何だ?」


 図書館内に現れたのは、異形の妖怪の類だった。

「なんだか、わしに似たのもおるのう」

 暢気な事をヴァネッサは言っているが。


「なんて、えぐい……」

 さしもの斎原まで、うんざりした声をあげた。


 集団となって僕たちの前に進んでくるのは、日本でいえば、さながら百鬼夜行ひゃっきやぎょうなのだろうけれど。


 頭が無く、顔は腹部についている男。

 鱗を持った半魚人。

 虎の縞をもった牛のような動物。

 青い羽根に赤い斑、足が一本の鳥。

 そして、確かに元は人間だったのだろうと思われる獣もいる。

 ほとんど、悪夢の産物だった。


「斎原。これはなんだ?」

 吐き気をこらえ僕は訊いた。斎原は固い表情で僕を振り返った。


「これは、『山海経せんがいきょう』だよ。そしてこいつらは、それに紹介されている、古代の妖怪だ」



「さあ、戦いの始まりだよ。君依くん」

「……お前、絶対こんなの予想してなかっただろ!」


 斎原はそっと視線をそらした。



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