第9話 折木戸さん男を知る

「何をいう。少しは本を読めと言ったのは、がっちゃんではないか」

 折木戸は読みかけの本を机に置くと、不満そうな声を出した。

 たしかに、いきなり今度は本を読むなと言われれば戸惑うのも無理はない。


 折木戸は、ショートヘアですらりとした長身。目が丸い、ちょっとネコっぽい女だ。同じ日に同じ産科医院で生まれて以来の付き合いになる。家も隣同士だし。

 現に、折木戸は僕たちの事を『血の繋がらない双子』と自称しているくらいだ。


 ちなみに、がっちゃん、というのは僕のことだ。かがりの『が』の字をとってがっちゃん……、ってそんな事はどうでもいいけど。


「そうか、分かった。最近わたしが本に夢中で、がっちゃんの相手をしていなかったから嫉妬しているのだな」

「学校でBL小説を読んでいるような女のどこに嫉妬する要素がある」

 折木戸はやれやれ、といった風に首を振る。

「仕方ないな。いいだろう、読み聞かせをしてやるから、そこに座るのだ」

「絶対、余計なお世話だから」


 いまの僕の席は折木戸の隣なのだが、小学校以来、席が二つ以上離れたことがないという奇跡的な位置関係がずっと続いている。


「こんな分かりやすい『運命の女』はいないぞ、がっちゃん」

 そう言って、ない胸を張る折木戸。



「なるほど。それで図書館に入っても変なものが見えなくなったのだな。すっかり、がっちゃん達が駆除したのだと思っていた」

 状況を説明して、やっと折木戸は納得した。やはり折木戸の特殊能力は消えているようだ。


「わたしが男を知ってしまったからか。面目ないことだ」

 ぽ、と頬を染める。

 なぜBL小説を読むことが男を知ることになるのか、僕には分からないが。


「それで、わたしが暫く男断ちをすれば元に戻るというのだな」

 断つのは男ではなく、小説だ。教室でなにを言い出す。


「これは、斎原も分からないといっていたんだが。やってみる価値はあると思う」


「うむ。名残惜しくはあるな。じつにいい所だったのに」

 そうか。まあ、何がいいところだったのか、その内容については知りたくないが。


「仕方ないな。だが、今夜がっちゃんに実物を見せてもらえばいい事だからな。諦めるとしよう」


 ☆


 偃月青龍刀が僕の顔の前をかすめる。

 当たってはいない筈なのに、風圧で頬がうっすらと斬られた。

「こ、怖い!!」


「何やってるの、しっかり闘いなさい」

 斎原が叱咤してくれているが。

「無理だよ、斎原。だってあれ、だぞ」


 僕の前に立ちはだかっているのは古代中国、三国時代最強の英雄の一人、関羽かんうだった。関羽、字は雲長うんちょう

 一介の高校生が素手で対抗できる相手ではない。


呂布りょふじゃないだけ、マシでしょ」

 たしかに呂布は、関羽、張飛、劉備が束になっても敵わなかったけど。

「それグリズリーとヒグマくらいの違いしかないから!」


「それに青龍刀って三国時代には存在しない武器なんだよ、君依くん」

「それが何だと言うんだよ。じゃあ、あの関羽は『正史』じゃなく『三国志演義』の関羽じゃないか。ほぼ空想上の超弩級猛将相手にどうしろと?」


(やれやれ、困ったものだのう。我が主さまよ)


 ストームブリンガーが、渋々といった様子で語りかけて来た。


(素直に、儂に力を貸せと言えば良いものを)


「お前は代償が大きいから斎原に止められているんだよ」


(だが、逃げ回るだけでは勝てぬだろう)


「いいんだよ。僕はおとりだから」


 次の瞬間、関羽の頭部が消滅した。

 横合いから薙ぎ払った剣に剪りとばされたのだ。


「ふん。口ほどにも無い」

 空中で一回転したヴァネッサは音もなく床に降り立ち、細剣を鞘に納めた。

 床に転がった関羽の頭部と胴体は消え失せ、両断された本が残った。


「ヴァネッサちゃん、その文妖は?」

 彼女は中国風の衣装を纏っている。それが結い上げた金髪とあいまって、危険な美しさだ。

「ああ。唐代の伝奇小説に出て来る『聶隠娘じょういんじょう』という無敵の暗殺者だ。こいつにかかれば物語史上最強の武将でもこの通りだ」

「強えー……」


 

「だけど斎原。特撮ヒーローものじゃないんだから、毎週一体ずつ文妖を倒すという訳にはいかないぞ」

「当然ね。君依くんにしてはまともな事を言うじゃない」

 そこで斎原は、ひとつ咳払いをした。


「ここは、文妖をすべておびき出して、一網打尽にすべきだと思うんだ」


 ☆


 首相官邸では、かんな 応人おうと総理が苦り切った顔で補佐官からの報告を受けていた。その前には山盛りのパクチー入りの丼が置かれている。

 食中毒事件に関連して、安全宣言パフォーマンスの事前練習用だった。


「日本社壊党の同意を取り付けました。これで過半数まではあと3人となります。ただこれは党内の裏切りがない場合に限りますが」 

 この日本社壊党は、ソビエト連邦はまだ崩壊しておらず、某国の日本人拉致は政府のでっち上げのフェイクニュースだと言っている政党である。

「何だと、まだそんな状態なのか。お前は本当に無能だな。辞めてしまえよ、クソ野郎が!」

 テレビでは温厚を装っているが、こんな場では地が出るようだ。


「次はあそこだ。『原子力の代わりに男子力だ!』とか言っているバカ政党があっただろう。あぁ、俺の党? そう、それだ」


 補佐官は困った顔でメモをめくる。

「ですが、その森中党首は、災害時に陣頭指揮もせず公用車で自分の別荘を見に行ったとして非難を浴びていますが……」


「構わん。そんな事、珍しくも無い。それから、あそこだ。政治家は公共料金を払わなくてもいいと主張している、何だったかな名前は忘れたが。そいつらも引き込め。どんな利益でも図ってやるといえば、喜んで飛びつくだろうからな」


 うんざりした表情で補佐官は首相執務室を出た。この総理大臣、市民活動家を自称していた頃は「数の暴力には屈しない」とか言っていたはずなのだが。


 補佐官は官邸の入り口で、見慣れた男とすれ違った。

 ソシアル・ブック・ホールディングス社長、子糸 一社長だった。もう我が物顔で自由に官邸を出入りしている。


 小さく舌打ちした彼は、野党が使用している政党の控室へ向かう。

 その足取りは重かった。






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