第7話 武器なき預言者

「待っていたぞ、君依先輩」

 いつものようにヴァネッサ・ブラムストーカーは図書館の椅子に腰かけていた。

 この子はいったい、ちゃんと授業に出ているのだろうか。変なことが心配になった。

 それはともかく今日の彼女は少し違和感があった。


「え、ヴァネッサちゃん。その姿は?」

 ふふ、と彼女は立ち上がった。やはり僕より背が高い。頭ひとつ高い位置から、金色の瞳が僕を見下ろしている。

 しかも目の前には、すっごい谷間があった。制服のシャツのボタンの上の方が全然留められていないではないか。


「あ、あ、あう」

「どうやら驚いたようじゃのう、君依先輩よ」

 言葉を失くした僕を見てヴァネッサは高らかに笑った。それに合わせて、大きく胸が揺れている。

 

「どうじゃ。斎原先輩とどっちが立派かのう」

 そ、それは……。

「ほほう、それは?」

 ずい、とヴァネッサが迫る。僕はもう、それから目が離せなかった。


 大きさはもちろんだが、この形の美しさ。

 これにはさしもの斎原も太刀打ちできないのではないだろうか。いや、でも斎原はあの小柄な体にあのサイズだ。うぬぬ、……これは難しい。

「さあ、どっちを選ぶのだ。君依先輩」


「ど、どうしよう」

 なんて悩ましいんだ。そうだ、悩んだときには両方注文するのだと、かの井之頭五郎も『孤独のグルメ』で言っているではないか。いやいや、でもそんな訳には……。


「ちょっと、触って比べてみてもいいかな」

「おやおや。こういう事には積極的だのう、君依先輩は」

 ヴァネッサは妖艶に笑うと胸を突き出した。


「何やってるの、あなたたちはっ!」

 図書館入り口で怒鳴り声がした。

「うおっ、斎原先輩」

 ヴァネッサちゃんが、しゅるしゅると縮んでいく。あっという間にもとのスタイルに戻ってしまった。


「文妖で遊んじゃだめだと言った筈ですよね、ヴァネッサさん」

「う、うう」

 どうやら、文妖を外装にしていたらしい。


「まあまあ、斎原。これも文妖を操るトレーニングの一環ということで、優しい目で見てあげたらどうだろう」

 ヴァネッサちゃんの手前、ちょっと先輩らしいところを見せる。


「おだまり。君依くんは、まずその嫌らしい目と手つきを何とかしなさい!」

 一瞬で粉砕された。僕はがっくりと両手を下す。


 ☆


「なるほど、戯曲『サロメ』だったのか」

 斎原はその本を手にとって、ぱらぱらとページをめくっている。

「そういう使い方もできるんだね」

 前回のパワードスーツの要領で、豊満な肉体を手に入れたのだ。


「他に『カルメン』も考えたのだがな。だが、間違って牛になっても困るからの」

 でも何が出てくるか、ヴァネッサにも分からないらしい。

 結構やっかいな能力だ。



「おや、あれは深町女史ではないか」

 ヴァネッサが窓の外を指差した。校舎に挟まれた中庭だ。たしかに図書委員顧問の深町先生が歩いている。スーツ姿の男の人を案内しているようだ。

「目が♡になっているような気がするが錯覚か?」

 言われてみれば。深町先生のあんな顔、いまだ見たことがない。


「誰だろう、あの男の人は」

 斎原も窓の外に目を凝らしている。


「うむ。最近、冴えない男ばかり見ていたせいか、結構な美男子のような気がするな。では、この学校の先生ではないのか?」


「先生ではないけど。図書館に用事かな」

 ヴァネッサの台詞の前半は心当たりがないので無視する。


「丁度よかった。斎原さん、君依くん。聞いてほしいんですけど」

 やはり深町先生は図書館へやってきた。ちょっと前までは20代後半だと言い張っていたが、やっとアラサーだと言い始めた深町先生。どこかまだ20代に未練があるらしい。


「アラサーって、20代後半も含みそうな言葉だからな」

「ん、何か言った君依くん」

「いえ、べつに」


 ☆


 紹介された男はS・B・H(ソシアル・ブック・ホールディングス)の戌飼いぬかいと名乗った。

「ほう。近くで見ると一層美青年ではないか。これは目の保養だったな、深町女史」

「もう、そんなんじゃないですよ、ヴァネッサさんったら」

 明らかに照れているが。

「この図書館の蔵書を電子化するんだって。その下見なんだそうよ」

 

「それってまだ決まってませんよね。国会でも審議段階だと聞きましたけど」

 斎原が不機嫌さを隠しもせず、その男に詰め寄った。


 戌飼は色白で端正な表情を変えず、視線を斎原にむけた。

「あなたは、斎原家のお嬢さんですね。斎原美雪さん?」

「そうです」


 ふふ、と男は笑った。

「次期当主、だそうですね。文妖に対して優秀な制御能力をお持ちだとか」

 斎原は眉を寄せ、沈黙した。


「これは法律の成否には関係ありません。こちらの校長先生から依頼があったのですよ、文妖が何度も発生しているから早期に電子化をして欲しい、とね」


 しまった、斎原が小さく呻いた。


「心配はいりませんよ。わが社のスキャン技術は優秀です。紙の材質や染料の種別に至るまで詳細に電子データ化しますので。ああ、むしろ目に見えない部分まで正確に複写できるという点では、実物を越えているでしょうね」


 陶然とした様子で男は喋り続けた。

「すべての本が電子化されれば、管理費用の大幅な節減が可能になりますよ。もちろん劣化しませんから、修理などする必要はありません」

 なんと。それは素晴らしい。僕は心から思った。

 その途端、斎原に睨まれた。まだ何も言ってないのに。


「お気に召されたようですね。あなたのお名前は?」

「僕は……」

 答えかけた僕を押しのけ、斎原が前に出た。

「待って。電子化した後の本はどうなるの」


 戌飼は少しむっとした様子だったが、すぐにまた笑顔を浮かべた。


「当然、保管する必要もないでしょうから、弊社で引き取りますよ。現在建設中の小規模火力発電所の燃料にする予定です」

 家庭ごみと一緒に燃やします、という事だ。


 男の顔を睨んでいた斎原は、急にその場に膝をついた。額が汗に濡れて、荒い息をついている。あきらかに様子がおかしい。

「お、おい斎原」

「あの男に返事しちゃだめ。あの男は……名前を奪うんだ」

 『斎原』という、図書寮頭の系譜に繋がる名前を。


「さすが、というべきかな。よく気が付きましたね。お嬢さん」

 戌飼は感歎した声で言う。

「ですが、ちょっと遅かった。もう君の力の源泉は封じました」



「武器なき預言者は滅びる、という言葉を御存じかい。いまのきみは、その『武器なき預言者』なんだよ、斎原美雪さん」


 能面のような無表情に造り物めいた笑みを貼りつけ、男は斎原を見下ろした。


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