第5話 焚書法案、成立

『―――この異常事態をうけ、政府では書籍の製造を全面的に禁止する法案の提出を進めているとの事です』


 僕は食卓を挟んで母親のあやさんと顔を見合わせた。

「ねえ、かがり。何、いまのニュース。私、納豆をかき混ぜるのに夢中でよく聞いてなかったんだけど」

 それは僕も同じだった。邪念が入ると納豆の味が落ちる、というのが君依家の家訓だ。だから混ぜるときはただひたすら、無心に混ぜるのである。


 いや、そんな事を言っている場合ではない。他のチャンネルも回してみて、やっとおぼろげながら状況が分かって来た。

 それは新たな本の製造を禁止し、現在ある本も含めて全て電子書籍化するというものだった。

 そして電子化が終わった本は、焼却処分される事になる。


「まるで焚書ふんしょ法案じゃないの、これ」

 古書店『獺祭だっさい堂』の店主、文さんの箸を持つ手が怒りに震えていた。


 ☆


『脱炭素社会の実現、そして森林保護のために、この法案はぜひ成立させなければなりません』

 記者会見で総理大臣が力説している。


 事の発端は、全国各地で発生した文妖だった。

 この正体不明の存在が、ここにきて急速に発生頻度を増しているのだ。本来、人に危害を与えるものではなく、ごくまれに、遭遇したことによるショックで、精神的なケアが必要になる場合もある程度だ。

 だから基本的には、人と文妖は共存してきたと言っていい。


 それがここ最近の発生事例では危険度が増しているという印象だった。怪我人や、重篤な精神疾患を引き起こした事象まである。


「おそらく外来種だろうな、これは」

 ヴァネッサ・ブラムストーカーが言う。彼女は日本の文妖についても斎原並みに詳しい知識を持っている。どうも日本古来の文妖とは様子が違う。

 斎原もそれに同意した。

「日本の文妖が大発生する周期は、ほぼ13年だからね」

 その周期からも外れている。


「アレキサンドリア図書館にも存在しないタイプなの?」

「うむ、そうとは言い切れないが、どうだろう……」

 ヴァネッサもこれには歯切れが悪い。


 ふたりは僕の家の居間でテレビを見ているのだ。前には僕が淹れたお茶と、買ってきた缶のお汁粉。

 僕はふと思い出した。

「だけど、この総理。かんな 負人おうとだっけ。辞任するとか言ってなかった?」

 確か、外国人からの献金がどうとか……。随分ニュースで見た気がする。

 斎原も首をかしげた。


「ああ、そうだったね。でもこの文妖騒ぎで吹っ飛んだんじゃないかな。見なさいよ、あの嬉しそうな顔」

 まさに喜色満面で、世界から紙の本を廃止すれば熱帯雨林の減少が、とか得意気に喋り続けている。


「でも、もしこの法案が成立したら、こいつはわたしたちの敵だ」


 ☆


 非常に評判の悪い総理大臣だったが、この法案だけはなぜか好意的に受け止められていた。マスコミ報道でも批判的なものは殆ど無いのだ。


「気味が悪いのう、この国の報道機関は」

 いつものように図書館の椅子にふんぞり返り、ヴァネッサが顔をしかめた。

「環境保護と聞けば、それだけで思考停止するのか」


「日本には魔法の言葉というものがあるんだよ」

 斎原もうんざりした表情だ。

「というか、絶対批判しちゃいけないもの。自分たちで造り上げた禁忌がね」


「今回はそれだけじゃ無さそうだけどね」

 僕は図書委員用PCの画面を見ながら口をはさんだ。二人は僕の左右からその写真を覗き込む。


「おおう♡」

 斎原の胸が、僕の背中に触れている。


「こら。何のはなしだ。早く説明せんか」

 ヴァネッサが対抗するように身体を押し付けてきたが、こちらは残念ながら何も感じるものはない。


「これだよ、鉋首相と握手している人がいるだろ」

「うん? だれだこのハゲは」

 言葉が悪い。せめて額が後退していると言え。


「大手通信会社の社長だよ。今度の法案に合わせ、電子書籍部門を大幅に拡大するんだって」

 ソシアル・ブック・ホールディングス(S・B・H)という会社らしい。


「ふん。機を見るに敏というやつだな」

「そうじゃない。この子糸こいと社長は、鉋首相の『おともだち』なんだ」


「なるほど。そういう事なのね」

 斎原が舌打ちした。僕以外の人間に対して、斎原がこんなに悪感情を表すのは珍しい。

「何がそういう事なのだ、斎原先輩」


「この焚書法案は、総理大臣の職権を利用した、おともだちへのプレゼントなんだよ。そう考えるとしっくり来るでしょ」

 しかも移行措置として、電子書籍や端末の販売には高額の補助金が出るらしい。補助金、つまりは税金だ。


 つまり総理大臣がお友達の会社を税金で支援するということだ。もちろん合法的にではあるが。

 

 環境保護というお題目、そして大手通信会社の社長という影響力。マスコミが批判しないのは当然だった。


「なにやら、きな臭いのう」

 ヴァネッサが肩をすくめた。


 ☆


「ストームブリンガー!」

 僕の手の中に呪われた黒い剣が現れた。


(我が主さまよ。儂は女しか斬らぬと言った筈だぞ。分かっておろうな)

「ああ、分かっている。あれを見ろ」


 僕は顎でそれを指し示した。

(ほほう。なるほど女じゃのう。だが斬っても良いのか、あれは……)

 そう。

「お前なら文妖だけ斬る事ができるんだろう、だから大丈夫だ」


 虚ろな瞳で、ふらふらと図書館の中を彷徨っているのは、ここ東雲高校の女子生徒たちだった。彼女たちの周りには半透明な塊がまとわりつき、動物や人間などに刻々と姿を変えている。

 禍々しい姿をしたそれは、次々に新たな文妖の卵を産み落としていた。


 トラップによって文妖を植え付けられたのは斎原だけではなかった。斎原の中の文妖の卵はヴァネッサが駆除したが、他の生徒たちまでは手が回らなかった。それが彼女たちの中で発芽し、ついにはその宿主を操るようになったのだ。

 


「思う存分斬りまくれ、ストームブリンガー!」

(応よ、主どの)


 ストームブリンガーの黒い刀身に、紅いルーン文字が浮かび上がった。





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