第3話 図書館公国の公女

(なんとも、暇じゃのう)

 ひとり黙々と本の修理をする僕の横で、黒の魔剣ストームブリンガーはあくびをしていた。もちろん剣に口など無いけれど、そんな雰囲気は伝わってくる。

 資材室の長テーブルの上で、退屈そうに僕を見ているのだ。


「勝手に出てくるな。見つかったら没収されるぞ」


(なにをぬかす、わが主さまよ。竜人の世界を滅ぼした程のこの儂が、たかが学校の先生ごときの手にかかるものか。奴らなど軽く皆殺しにしてくれるわ)

 得意気に高笑いしているが。


「言っておくけれど、いまのお前は文妖しか斬れないから」


(うむぅ、かつて女殺しの名をほしいままにした、この儂がか)

 さすがのストームブリンガーも、少しだけ自嘲の気配がある。たしかに、そんな綽名があるのは知っているが、それって持ち主のエルリックの事ではなかったか?



「ああ、君依くん。ご苦労さま」

 そこへ斎原が入って来た。黒の剣がぶるっと嬉しそうに震えた。


「げっ、ストームブリンガー」

 斎原は顔をしかめた。この間から碌な目にあっていないから、仕方ない。


(これは図書寮ずしょりょうの後継者殿ではないか。今度は下着ではなく、お主の大事なところを直に擦りつけてくれぬかのう。そうすればわが刀身は最大級に膨らんで……)


 斎原はテーブルからストームブリンガーを掴み上げると床に叩きつけた。

 そのまま、げしげし、と何度も踏みつける。

(や、やめろ…小娘! あうっ、おおうっ)


「捨ててしまいなさい。こんな、お下劣なやつ!」

 静かになったストームブリンガーから、ぶすぶすと白い煙が立ち上っている。

 ふん! と斎原は部屋を出ていった。


(の、……のう……主さまよ。あの小娘はいつもあんなに気が荒いのか)

「まあ。だいたい、あんな感じだな」


(だが、これも意外と悪くない。次もこれでお願いしようかのう)


 ストームブリンガーは陶然とした声を出した。斎原のせいで、なにかが目覚めてしまったらしい。

 剣と持ち主は似てくるというけれど、僕にそんな趣味はないはずだが。


 ☆


 図書館に戻ると、金色のふわふわした塊が床にうずくまっていた。

「おい、そこの間抜け面の男」

 いきなり毛玉が喋った。

 おや? 僕のことかな。


 毛玉が顔をあげた。

「わしをこの図書館の責任者の許に連れて行け。事は急を要するぞ」

 金髪の女の子だった。立上っても僕の肩くらいまでしかない。

 整っていながら、精悍な容貌。髪とおなじ金色の瞳が鋭く僕を見上げている。

 胸の徽章で一年生だと分かったが、それにしては態度が大きい。


「あの、僕は三年生なんだけど」

「それがどうした」

 その少女は傲然と答える。


「いえ、別に」


 えーと。図書館の責任者か。

 普通に考えれば、顧問の深町先生だろうけど、どうやらこの子が求めているのは違う気がする。

「それは普通の用件かな。それとも非常の?」

 うん? と少女は顔をあげた。


「そなた、名は」

「特殊図書対策委員の君依ですが」

「そうか。では話が早い。委員長のところに連れて行くが良い」


 で、だから誰なの?


「わしは、ヴァネッサ・ブラムストーカー。偉大なる我がブラムストーカー家が統べる、ブラム大公国の第8公女じゃ」


 言っている意味がちっとも分からない。


 ……まさか文妖か。

 僕は文庫本が入っているポケットを無意識に探る。場合によっては使う事になるかもしれないと僕の第六感が告げたのだ。


「ほう、この匂いは黒の剣だな。どっちだ、モーンブレードか、ストームブリンガーか。ふん、下品な匂いだ」

 少女は僕の制服に顔を近づけ、鼻をひくつかせた。

 文妖を知っているのか、この子?!


「貴様、邪悪な黒の剣をこの世に召喚して、何をたくらんでいる。それともこの剣に、自分と一緒なら女など陥し放題だとかたぶらかされたか。事と次第によっては只では置かんぞ」

 金色の瞳のなかで瞳孔が縦に細くなった。


「あの、僕はそんなキャラじゃありませんけど」

 女を、って。もちろん世界征服とかも望んでませんから。


「委員長の斎原なら、そろそろ戻って来ると思うんだけど。ここで待ちます?」

 相手は下級生のはずなのに、なんとなく下手に出ている僕だった。


「うむ、では待つとしよう。ところで、君依よ。わしは飲み物を所望するぞ」

 まるで玉座のように、図書館の木製の椅子に腰かけた少女はおごそかにのたまった。


「日本の飲み物では、缶入りのお汁粉がいちばんだと思うぞ。わしは」


 ☆


 あちち、と小さな悲鳴をあげながらお汁粉をのむ金髪少女。

「可愛いけれども……」

 残念ながら守備範囲外だな。僕は別にロリコンという訳ではないのだ。やせて小柄な女の子が好きなだけで。

 そう、例えば藤乃さんみたいな。

「むふ♡」


「君依先輩、何をにやけておる。気持ち悪いな」

 気持ち悪い、とまで言われた。お汁粉の効果か、僕の呼び名が先輩になったことだけは喜ばしいけど。


 だけど、その藤乃さんも転校してからは連絡がつかないのだ。電話もメールも通じないし、住所を訪ねても旅行中だった。いちどは、入院していて面会謝絶と言われたこともある。さすがにその後は『退院しました』とだけメールが来たが。


「ふむ。君依先輩よ。ひとつだけ教えてやる」

「なんだよ」

「わしの国では、そういうのは『避けられている』というのだ」


 やはりそうだったのか!



「図書館での飲食は禁止だよ」

 いじけている僕が金髪少女に慰めてもらっているところに斎原がやって来た。

「……斎原ぁ、僕はもうだめだ」

「はあ? 君依くんが駄目じゃない時なんて、生れてこの方見たことないけど。なに、また振られた藤乃さんの事でも思い出してたの?」

 だから、まだ振られてないし。



「ああ、その紹介で合ってるよ。ブラム大公国って、この東雲市と姉妹都市なのよ。図書館つながりだね。知ってるでしょ、アレクサンドリア図書館が無傷で発掘された東欧の国だよ」


 ……知らない。


 第8公女のヴァネッサちゃんが、呆れた顔で僕を見ている。

「ごめんね。こんなバカばっかりじゃないんだよ、日本って」

 斎原が冷たい声で言った。


「ところで、ヴァネッサちゃんは……」

「殿下とお呼び」


 さっきより待遇が悪くなった。それも当然か。

「で、殿下はなんでそんなに日本語が御上手なんですか。留学経験がおありとか?」

 それにしても流暢すぎる。ただ多少言い方が古くさい気もするが。


「なんだ、そんな事か」

 金髪の少女は本棚から一冊の本を抜き取ると、それを顔の前に掲げた。

「こうするのだ」

 そう言うと、大きく息を吸い込んだ。


 僕と斎原は目を瞠った。


 本から吸い出された半透明な物体がヴァネッサの口に吸い込まれていく。

「斎原、あれって」

「ええ。文妖だよ。彼女はああやって文妖と一緒に、本の精華エーテルを自分のものにできるんだ」

 それと共に、書かれてある言語も習得できるのだそうだ。

 ……まるでドラ〇もんの『暗記パン』か『ほんやくコンニャク』みたいだと思ったが、斎原にすごい眼で睨まれたので黙っておく。


「だから、彼女、ヴァネッサ・ブラムストーカーはこう呼ばれているの」

 斎原は気を取り直して言った。


 文妖を喰らう、『図書館の女王』と。


 金髪の少女は冷ややかに笑った。




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