第2話 図書館を制するは黒の剣

 魔剣ストームブリンガー。


 それはマイクル・ムアコックの長編小説ヒロイック・ファンタジー「永遠の戦士エルリック」シリーズに登場する、魔法の剣だ。

 この剣に斬られたものは魂を喰らわれ、剣のなかで永劫の苦しみを受け続けねばならない。


 そしてこの魔剣の呪わしいのは、剣がみずからの意思を持っていることである。一旦、抜き放たれた『ストームブリンガー』は、報酬として哀れな犠牲者の魂を与えない限り、鞘に戻ろうとはしないのだった。


 だが、斎原がこの剣の召喚を禁じているのは、それだけが理由ではない。


 ☆


 じりじりと迫る蟷螂とうろうに向かい、僕は黒の剣を構え足を踏み出した。

 ぶぉん、と剣が身震いする。


「あ、あれ?」

 その途端、がくん、と剣が重くなった。思わず切っ先が床に落ちる。

「ちょっと、ストームブリンガー?」


 慌てて剣を引き上げ、振り下ろされた蟷螂の鎌を受け止める。

 剣から黒い炎があがり、瘴気のような煙が噴出した。


 蟷螂と撃ち合うたび、どす黒い瘴気が僕の身体に流れ込み、体力が奪われていった。眩暈がするほど気分が悪い。

 これは、まずい。



「おい。ちゃんと働け、ストームブリンガー。主の命令だ」

 剣も僕の身体も瘴気にまみれ、体力の限界が近づいている。

 手の中で、ぶるぶると剣が震えた。まるで抗議をするように。


(我が主さまよ)

 突然、剣の思惟が僕の中に流れ込んでくる。

(命令ではあるが、儂はあんなものを斬りたくないぞ。前にも言うたではないか。儂は、とな)

 女殺しなのだ、と言いたいらしい。


「わかったよ。だったら他に報酬を用意するから!」

 僕は斎原を振り返った。

 ばらばらになった『山月記』を手に、茫然と座り込む斎原と目が合う。

 しかたない。ここは、斎原に協力してもらおう。


「じゃあ、斎原の制服の上着でどうだ」

 あれでお前を包んでやろう。斎原の匂いの残る制服に包まれるなんて、お前にはもったいないくらいだけども。


(やれやれ。それでは話にならぬのう、我が主さまよ)

 ストームブリンガーは素っ気ない。なんて我儘なやつだ、剣のくせに。


「じゃあ、スカートで手を打とう」

 僕が言うと、手のなかで剣がうれしそうに震えた。

(なかなか良いぞ。だが、もう一声欲しいところじゃのう)

 

 僕はもう一度、斎原を見る。目が合うと、斎原の頬がぴくっと動いた。


「なあ斎原。ちょっとパンツを貸してくれないかな」


 ☆


「大丈夫だよ、ちゃんと後で返すから」


「だから、貸さないって言ってるのよ、わたしは!」

 斎原はうずくまったまま後ずさりしていく。

 もう、相変わらず頑固だなぁ斎原は。


 そんな事をやっているうちに、バリケード代わりに移動させた書架を浸透しながら蟷螂が近づいてきた。

 これはもう強硬手段に出るしかない。

「失礼しまーす」


「ちょっと、止めなさい。やだってば。い、いやーーーーっ」

 なんだか、片手に剣を持ち、斎原を襲っているような図になってしまったけど。



「もう。憶えておきなさいよ、君依くん」

 斎原は泣きそうな顔でスカートを押えている。


 僕はその小さな布でストームブリンガーの曇った刀身を拭った。

 瘴気の靄のなかで、漆黒の刀身に紅い古代ルーン文字が炎のように浮かび上がる。その闇の光が周囲の瘴気を分解し、自らのエネルギーとしていった。

 魔剣は甦った。


「これで満足か、ストームブリンガー」

(それでこそ、我が主さまよ)

 黒の剣は高らかに哄笑した。

 前回、斎原に制服越しに胸の谷間で挟んでもらった時より嬉しそうだ。


 実はこれが、斎原がこの剣を使うなという真の理由である。つまり代償を払わされるのは斎原なのだ。それもエロ方面に。


 剣の得た力は、柄を握った手を経由し僕の中にも流れ込んでくる。異様なまでの高揚感に包まれ、僕も一緒に雄たけびをあげた。


 右手には黒の魔剣。左手には斎原の白い下着を握りしめて。


「……この変態主従」

 斎原の声が聞こえたが、いまは全く気にならない。

 僕は剣をかざし蟷螂に躍りかかると、一体は脳天から両断し、もう一体は串刺しにした。

 瞬殺、というのだろう。それだけ黒の剣は圧倒的な妖力を備えていた。


(また、つまらぬものを斬ってしまった……)

 ストームブリンガーは冷ややかに呟いた。


 ☆


 魔剣を元の文庫本形態に戻すと、僕は斎原の手を取って立ち上がらせた。

「本の修理をしなきゃいけないな、斎原」

 僕は斎原が持つ『山月記』に目をやった。


 もう何年にもわたり、斎原と共に戦い続けてきた歴戦の本だ。彼女からの信頼は僕より遥かに上だ。

 それを不用意な戦いで傷つけてしまった斎原のショックは大きい。


 斎原の家は奈良時代から続く図書寮ずしょりょうの家系だ。その庫に保管された和紙や墨を使い、和装本として斎原のために特別に造られたのがこの『山月記』だった。


 綴じ糸が切れてしまっているが、さいわいに紙自体の破れは少ないので、比較的容易に修繕できそうだ。


「僕が直そうか」

「いい。私がやるよ。ありがとう、君依くん」

 斎原は気丈な笑顔を見せた。


「じゃあ帰ろうか、斎原。もう暗くなったから送っていくよ」

 先に立って図書館を出ようとする僕の制服の裾を、斎原はそっとつまんだ。

「……?」


「あのね、君依くん」

 斎原は目の周りを赤くして、伏し目がちに僕を見た。

 これはもしや。


 まあ、活躍したヒーローにはご褒美が必要だ。僕には藤乃さんという恋人がいるのだが、キスくらいなら浮気にならないだろう。(個人の感想です)


「せっかくだから、その気持ちはありがたく頂くよ」

 だが、目を閉じる暇もなかった。


 斎原の右ストレートが僕の顔面を直撃した。

「な、なんだよぅ、斎原」

 頬を押えて僕は呻いた。


「うるさい。バカ言ってないで、わたしの下着を返しなさい!」


 残念。せっかく家宝にしようと思っていたのだけれど。

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