だから、図書館での武装は禁止だって言ったでしょっ!

杉浦ヒナタ

第1話 黒の剣を召喚する

 僕が通う東雲しののめ高校の図書館は国内最古の歴史を持っている。

 おそらく奈良時代に建てられた、大仏殿にも似た様式の木造建築が鉄筋コンクリート製の校舎に隣接して鎮座しているのだ。


 渡り廊下を通り抜け、僕は古色蒼然とした扉の前に立つ。

 青銅で覆われたその扉は夜間は閉じられる。だが今日は夕暮れが迫るこの時間になっても開け放たれたままだった。


 一歩足を踏み入れると、床板が微かに鳴った。


 廊下の天井を見上げると、ちいさくて丸い白い碍子がいしに電線が這わせてあるのが見える。その所々から白熱電球が吊り下げられ、橙色の光を放っていた。

 だがあまりに高い天井のためにその光は弱々しく、壁の隅には闇がわだかまっている。


 ☆


「2分遅刻だよ、君依きみいくん」

 突き当りの扉の前で斎原は待っていた。僕の顔を見るなり言う。

 肩までの髪をうしろで束ね、メガネを掛けた小柄な女。斎原美雪はこの高校の図書委員長だ。見た通り、真面目以外の要素を持たない、まさに図書委員長である。


「いや、それより斎原。胸のボタンが弾け飛びそうだぞ。ソーイングセットは持って来てるから、付け直してやるよ」


 斎原の片方の眉が上がった。あわてて胸の前で腕を組む。斎原は小柄だけれど、そこはクラスの女子の中でもトップレベルの容量サイズを誇っているのだった。


「よ、余計なお世話ですっ。大体、なんでそんな物を持ち歩いてるの」

「決まっているだろ、僕は斎原の従僕なんだから」

 正確に言えば、斎原のおっぱいの従僕といってもいい。だから斎原の胸に関して、恥ずかしい思いはさせられないのだ。


「僕は常に斎原を後ろから支えてやりたいと思っているんだぞ」

 斎原の片頬がひきつった。

「……何だろう。いいことを言われているはずなのに、鳥肌が立つんだけど」

 まあ、どこを支えるかにもよるのだろうが。



 斎原は、そっと扉をあけた。

「体勢を低くしていくよ。この部屋の奥に


 僕は、四つん這いの姿勢で進む斎原の後ろに続いた。

 目の前で斎原のスカートの裾が揺れている。


(あと10センチ斎原のスカートが短ければ歴史は変わっていただろう)

 これは誰だっけ、シェークスピアの名言だったか?


 そう思った瞬間、顔面に鋭い蹴りを入れられた。

(な、なんだよぉ、斎原!)

 小声で抗議する。斎原が般若のような顔で振り向いた。

(うるさい、このバカ。変態)


 うーむ。ダテに10年以上、幼なじみをやっている訳ではないらしい。僕の心など、お見通しなのか。



 立ち並ぶ書架の間を進んでいくと、『それ』はいた。

 僕たちは書架から顔を覗かせる。


 暗闇のなか淡い光を放ちながら、透明な粘液状のそれは緩やかに触手を伸ばしている。大きさは人間ひとり分くらいだろうか。


「どんどん大きくなっている……」

 よく見ると本棚の本にも、ちいさな光が浮き上がってきている。それをどんどん吸収しているのだ。


「集合増殖タイプの『文妖ぶんよう』だ。新型かもしれないね」

 少し緊張した声で斎原が言った。

「どうする。斎原家特殊部隊専門家を呼んだほうが良くないか」

「それは駄目。わたしはこの図書館を任せられたのだもの。これくらい、わたしが何とかしなきゃ」

 僕はそっとため息をついた。責任感が強いのは斎原の美点ではあるけれど。



 この図書館くらい年月を重ねると、それ自体が妖気を帯びて来るものだという。

 いわゆる『付喪神つくもがみ』である。

 だから、ここに収蔵された書籍もその影響を受け、この世ならぬ『文妖』と呼ばれるモノを生み出すのだ。


 他の高校はどうか分からないが、この東雲高校で図書委員といえば、これら『文妖』と戦う特殊能力者の事を言った。

 つまり、まあ僕たちだ。



「これ以上大きくなると、どんな妖力を帯びて来るか分からないからね」

 斎原は制服のポケットから一冊の本を取り出した。

 本の名は『山月記』。著者は中島敦。


「出ておいで、李徴りちょうさん!」

 斎原の手の上で、その本は白い靄と化した。

 だけど、ちょっと待て。

「斎原、ここじゃまずい!」


 白い靄は大きく拡がると、すぐに白銀の毛並みを持つ一頭の巨大な虎に変じた。

「行けっ!!」

 その虎は書架を薙ぎ倒しながら文妖に飛び掛かった。

 前足の一閃で文妖を二つに切り裂く。さすが、恐ろしく強い。


 そのまま揺らめいて消え去るかに思えた文妖だったが、それはただ二体に分かれただけだった。ヒトのような形状に姿を変え、左右から虎を挟むように立った。

「あれは、『蟷螂とうろう』?」

 その両手はカマキリのような鎌形をしていた。


「逃げて、李徴さん!」

 だが、周囲を書架で囲まれた状況では、巨大な虎は身動きが規制された。

 真上に飛び上がった虎を、すぐに二匹の蟷螂も追う。


「ああっ」

 斎原が悲鳴をあげた。

 一匹の蟷螂の鎌が虎の首を襲う。そしてもう一匹は虎の胴体を。

 空中で『李徴さん』は切り裂かれた。

 虎の姿は靄に戻り、消えた。


 ひらひら、と破れた本のページが図書館の床に舞った。


 必死で紙片をかき集める斎原をかばうように、僕は二匹の蟷螂と向き合った。

 斎原が『山月記』からその主人公、李徴りちょうを召喚できるように、僕も在る者を呼び出すことができる。

 これは、斎原からは非常時にしか許可されていない。

 だがいまはその非常時だろう。


 僕はその文庫本を取り出した。

 本の名は『ストームブリンガー』(マイクル・ムアコック著)

 早くも本は黒い靄となり、僕の手のひらの上で渦を巻き始めた。

 

「古き神アリオッホ、僕に黒の剣を寄越せ!」

 僕は黒い靄の中から、身長ほどもある長大な黒い剣を引き抜く。



 刀身にルーン文字が刻まれたその幅広の剣は、みずから血を求めるように、低く禍々しい唸りをあげた。 


「いま、魂を喰わせてやるぞ。ストームブリンガー」


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