第3話 温もり

 いつ来ても散らかっている部屋。今日はもうおばさんの小言は聞いたのだろうか。

 私は三回目の戦闘を終え、戦闘で蓄積した身体の疲労は、この世界に戻ってきたときには消えていたが、心の方はそうはいかなかった。意識の共有とはそういうことなのだろうか。脳が疲弊しているのをはっきりと感じる。そして、心の疲労がだんだんと体にも伝わっているのが分かる。急速に年を取ったかのように、筋肉が鉛のように重くなっていった。隣に住んでいるセイラの家に来るために、早く会いたい気持ちがあるにも関わらず、一歩進むごとに体が重くなっていくのを感じた。まるで、地球の重力が私の周りだけ強くなっているかのような感覚であった。

 私はセイラのベッドに腰掛け、セイラは椅子に座り私の方を向いていた。私たちの奥の窓からは木漏れ日が射し込んでいた。セイラのお気に入りの光である。彼女はその木漏れ日のある部屋を両親に嘆願して手に入れた。というのも、その部屋は、両親にとって、もともとは書斎であり、彼女の父親が特にその場所で活字を辿ることを日々の楽しみとしていたのである。セイラは毎日掃除することを公約にその部屋を手に入れたのだが、ルーティンワークを嫌う彼女にとって、その公約が果たされることは、母親との大喧嘩の末のみであった。母親はエネルギーに溢れている人間であったが、セイラは負けず劣らず活発であり、口論を厭わぬ性格であった。私は独りの世界に入ることを好む人間であったが、幼少期から、仲が良いセイラに対しては心を開くことができた。セイラは人を惹きつける部分があり、また、セイラ自身も人との交わりを好む性格であった。内向的な私はセイラとの交わりを通し疲弊することもあるのだが、この散らかった部屋のベッドの上は、わたしにとって、かけがえのない場所となっていた。

 ピンク色の触り心地の良いベッドの掛け布団が私の腰を包んでいる。

 セイラは私の話を一通り聞き終え、腕を組み考えていた。いや、考える素振りを見せているだけかもしれない。思考が付いていけないでいたにも関わらず、不安な顔をしている私の助けとなることを探し続けているのだろうか。

「疲れちゃったね」

 そう言って、セイラは私を抱きしめた。

 これが欲しかった。セイラはいつも私の必要なものを察してくれる。心が充足を必要としている時、満たしてくれる。セイラは、いつも私が世界の残酷さと直面した時、守ってくれる。緩衝材となってくれる。私はその緩衝材で安らぐことができた。同い年であるにも関わらず、セイラは私にとって姉のような存在であった。

「私の話を信じてくれるの?」

 私の問いかけにセイラはゆっくりとうなずいた。 

「オリヴィアの話は現実にあるように聞こえないけど、オリヴィアはそのような嘘つかないし、いくらオリヴィアが空想に浸るのが好きでも、さっきのような話の妄想はしないでしょ」 話してよかった。本心を言うと話すことが怖かった。自身では痛みを抱えきれない状態なのは分かっていたが、話をすることでセイラとの関係が壊れてしまうのではないかと危惧していた。 

「その……アタッカーとして参加して、無事、生き残ることができたのね」

 ああ、良かった。セイラは私のことを信じてくれる。一、二回目のあとは、話すことも不安で来ることができなかったけど、ここに来て良かった。いつも、癒しを与えてくれる人だ。肯定されること、受け入れられること、それが本当に欲しかった。

 先ほどまで、自分の全てが否定され壊されるような場所にいた私にとって、これほど嬉しいことはない。戦闘では、私の価値が、世界の価値が全て否定されて壊されていくような思いに突き落とされ続けた。全ての存在が、天から落ちてきた雨さえも私を破壊する意志を持っているかのようだった。

「オリヴィア、今日はお母さんにお願いして泊まっていったほうがいいわよ」 

 セイラの優しさに感謝して私は甘えることにした。


 夕食を終えた二人がセイラの部屋のベッドに早速横になった。

 キャンプ用のベッドをセイラのベッドの隣に置き、自らの居場所を確保した。そのスペースを確保するために、私達は重労働を強いられるはめになったのだが、かえって、他のことをすることでオリヴィアは自身の抱える重荷から離れることのできる時間を得ることができた。そして、何かをセイラとできることで安心できた。一人ではないということを感じた。

 片付けを通してセイラの秘密の詩集を私が見つけた時は、はしゃぎすぎてセイラが腰を机に強打することにもなった。結局、クローゼットの扉が膨らむような片付け方に落ち着き、セイラの母がオリヴィアのためにベッドを運んできた際には、その扉を見て溜息をついた。

 壁に置かれた本棚には、本が詰まっている私の本棚とは違い、セイラのお気に入りの品が所狭しと並んでいる。貝殻、ドライフラワー、ファーマーズマーケットで手に入れた奇妙な絵。それらが寝ている私のもとに落ちてないことを望みながら、私はベッドに横になった。ベッドは折りたたみ式で、枠に対して体を寝かせる部分が分離しており、その部分が多数のバネで枠とつながっている。体を動かすとバネがきしむ音を立てた。

「ねえ、セイラ、世界って何だろう」

 私の心は一つ一つ悩みを吐き出そうとしている。苦しみと痛みは積み重なり、ダムのようになり、決壊しそうになっている。

「オブザーバーの男はね、私に対して、世界、世界、世界と言葉を繰り返した。けど……オブザーバーの言う世界という言葉が私にとって的を射ていないというか。世界という言葉は彼にとって、正しい表現なのかもしれないけど、私にとっては、彼の言う世界と、私の思う世界は違う気がする。私の世界は、私の知っているもので、私の知らないものは、私の世界じゃない。でも、彼にとって、私の世界は、私の知らないものが含まれている」

 私は幸運なのだろう。聞く人が私のそばに居てくれる。私の世界は私にとって、悲しみの雨で満たされることも有るが、傘となる場所もある。私自身の周りを今日ほど見ることはなかった。

「世界かあ、あまり考えたことなかったなあ。確かにテレビ画面の向こう側とか現実だけど、時々映画を見ているようなものに感じたり。自分が見ているもの以外って、よく分からなかったりするなあ。見えているものでもよく分からないし、パソコンの仕組みとか意味分からない。車がアクセルを踏めば速くなるとか、ギア変えればバックするとか、分からないことだらけ」

 セイラの言葉は思いつくままに出ることが多い。直感的な言葉が並べられていく。

「この前本で読んだのだけど、人は外なる宇宙と、内なる宇宙を持っているんだって」

「宇宙?」

 私の言葉にセイラは顔をこちらに向けた。どうやら彼女の興味を引いたようだ。

「その宇宙というのは世界。人は自身の心の中に世界を構築していて、それは宇宙なの。そして自身の外の宇宙と人はつながっている。面白いことに脳の神経構造と銀河の構造はとても似ているんだって。まあ、それは置いといて、さっき、セイラが言ったように、テレビとか車とか、そういうのは外の世界のものだけど、それを見て聞いて感じて繋がって、人は自身の中に世界を作る」

「はあーん」

 私の言葉をセイラは飲み込んだようだ。

「それじゃあ、 この世界は人の数だけ世界があるということか。私の世界とオリヴィアの世界。なんだか素敵でわくわくするね。宇宙の中にたくさんの宇宙があるのか」

そう。セイラは私の言葉を好意を持って受け止めてくれる。誰でもできることじゃない。私は人の話を聞く事の難しさを知っているから、セイラの素晴らしさが分かる。でも、セイラは時折、人の話を聞いてひどく心を痛め、そのまま悲しみの底に沈んでしまうこともある。そして、他人のことなのに怒り狂うこともある。あなたの世界を見ると、私は寂しくなることもある。自分を大切にしてほしい、そこまで心を痛めないで欲しい。セイラは外の世界と積極的につながろうとする、私にはそれができない。怖くなる。私は本の世界に入り込むことの方が好き。

「人は言葉や行為を通して、他の人の世界とつながることができる。でも、その際、直接は繋がらずに間に外なる世界を通してつながる」

「直接はつながれないのか、なんだか深いね」

「オブザーバーは平行世界から私達が集められたと言っていたわ。そして参加者の死や敗北はその物が存在する世界の消滅を意味すると」

 宇宙が内包する無数の宇宙。その全てが消滅する。

「オリヴィアの外なる宇宙と、内なる宇宙の話は楽しくて分かりやすいけど、そのオブザーバーの言葉は分かりにくい。平行世界とか」

 外の風が急に強さを増して、窓の外の葉は擦れあい、音を奏で始めた。

 オリヴィアはしばらく黙り、耳をすませてその音で心を占めようとした。しかし、息をつく間もなく戦闘の間に見た光景、オブザーバーの言葉が浮かび上がり、彼女の世界を支配した。

「頭の中がいっぱいになって苦しい。分からないことに自分が飲み込まれようとしている」

「ねえ、オリヴィア。それじゃあ、分かりそうな奴に訊いてみようよ」

「分かりそうな奴?」

「うん、私にちょっと心当たりがあるんだ。早速明日行こうよ」

 明日は休日。一日時間を取ることができるのだから、確かに行動を起こすのは明日の方が向いている。

「分かった、そうする」

 私は深く考えずに、セイラのアイデアに乗ることにした。セイラはいつも、閃きに溢れている。私には無いもので、憧れでもある。そして、セイラのアイデアは突拍子も無く、地に付いてないことも多々あった。ただ、今はこの状況を打開するようなものが欲しかった。眼の前に立ちはだかる壁に亀裂が入れられるようなものを求めていた。だから、私はセイラの言葉に従うことにした。自分自身には何かをする能力が無く、セイラの閃きは一種の光明のように感じた。そして、私は苦しみでいっぱいの私の世界に一人閉じこもりたくなかった。セイラの考えに乗ることで彼女の世界に入っていけるような気がした。それは結局、過度な期待なのかもしれない。しかし、私にはすがれるのなら、何にでもすがりたかった。明日のために寝ようというセイラの言葉にうなずき、私の心は夜の闇に沈んでいった。両の手を組み、固く握りしめたまま、私は眠りに落ちた。

 乾燥地帯の夜は気温が大きく下がる。砂漠といえども、ニューメキシコ州は広大な砂のみで覆われる場所ではなく。木々も有り、春夏には水が撒かれるような場所では、草も生い茂る。芝生の公園などに行くと必ずと行っていいほどスプリンクラーを目にする。オリヴィアとセイラが暮らすラスクルーセス市には春が訪れ、夏が訪れようとしていた。西に隣接するアリゾナ州の方が暑さでは有名であるが、このラスクルーセス市の夏はアメリカの中でも暑さが厳しいものであった。しかし、夏が来れば、今風で音を鳴らしている窓の外の木の葉は密度を増して、セイラの部屋に木陰を与える。私がその夜見た夢は、幼い私とセイラがその木を登って遊んでいる夢であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小麦畑の潮騒を聞きたくて @kotomiwordsea

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ