霞の春
星薔薇アズ
「春って何だったっけ」
雪の降る真冬のお昼時。ふと私は頭にうっすらと春という言葉が過ぎった。何でそんな些細で当たり前のような事が脳裏に浮かんだのだろう。そうだ、春という存在そのものを今まで忘れていたんだった。どうして忘れていたのか、それは何故か思い出せない。ただ、これだけは思う。
「綺麗な…桜が見たいな…」
私は、粉雪に向かって呟いていた。
この世界には夏秋冬はあるのに、春はない。周りの人達も、それが当たり前かのように、日々を過ごしている。ただ、私だけを除いて。私の頭には時々、春という言葉や綺麗な花が霞んで見える。ただ、私はそんな世界を見た記憶は1度もない。お父さんやお母さんに聞いてみても、何を言ってるんだ、というような顔をされる。私の考えすぎなのかな、と何度も忘れては思い出してを繰り返している。完全に忘れられたら、いっそスッキリするのにな。
「本当に忘れちゃっても、いいの?」
どこからか声がした。けど、ここは普段は誰も来ない広い平原。気のせいだと、目を瞑った。
「ちょっとちょっと、目を開けてよ」
聞き慣れない声に渋々応じ、目を開ける。すると、小さな女の子が鼻と鼻が当たりそうなぐらいの距離で、私を凝視していた。驚きのあまり、私は後退りした。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。ちょっとあたし悲しいなぁ」
女の子は笑いながら、そう言った。不気味に思う私の表情なんてお構い無しに、女の子は話を進めていく。
「キミは、キミだけは春を知っているんだよね?」
「ま、待ってよ。私は頭に浮かんでくるだけで、本当の春は……」
私が何かを言おうとしても、女の子は私の口を塞ごうとする。しかも、何故か口で。
「ま、いっか。じゃあさ、見せてあげるよ。桜をね」
「さ…くら…?」
女の子は立ち上がり、手を差し伸ばす。座っていて分からなかったが、思ったよりも小さくて、まるで小学校低学年のようだった。少し力を入れると、壊れてしまいそうな、小さな手を私は優しく掴み、立ち上がった。
「両手握って、目を瞑って?」
女の子の言う通りに、私は目を瞑った。頭を、ジェットコースターに乗っている時のように、シェイクされているような、気持ち悪さが襲ってきた。
「もう、開けていいよ」
私は恐る恐る目を開ける。まだ、ぼんやりしていて、よく分からない。けど、少し変な感じがする。雪が振り積もっているはずなのに、視界が真っ白なはずなのに、目に映る色は鮮やかでキラキラしていた。景色が少しずつ鮮明になっていく。私はこの景色を知っている。
「えへへ、1ヶ月ぶりだね!」
「そ、そういえばそれぐらいだね。久しぶり」
ようやく思い出した。私は何度もここを訪れている。訪れているというよりも、体験している、の方が正しいだろうか。とにかく、私はこの景色、この空気を味わったことがある。
「全く、忘れるなんて酷いよー?桜を見ながらお花のティアラ作ったのにさー」
「ご、ごめん…あのティアラ…萎れちゃってさ…」
「お花だもんね、仕方ないよ。でさ、今日は何して遊ぼっか!」
それから私達は、忘れていた時間を取り戻すかのように、いっぱい遊んだ。気付けば、陽が沈もうとしていた。
「今日も楽しかったー。やっぱりキミとの時間は最高だよ…」
「そうだね、私もそう思う。周りの人達もここに連れてきたいな…」
私がこういうと、女の子は暗い顔をして、黙り込んだ。その眼光は、まるで蛇のように鋭く、私は身構えた。
「ここは…この場所は…あたしと…キミだけの春の世界……。他の人は絶対入れない」
「ご、ごめんね!?さっきのは冗談だから、ね?春を信じてないあの人達には内緒だから!」
私は咄嗟に謝り、何とかこの場を切り抜けた。陽が沈み切る直前に女の子は、私の目を手で覆った。すると、どんどん私の精神は夢の中に引きずり込まれていった。
目を覚ますと、辺りは雪原に戻っていた。女の子はどこにもいない。遠くで、お父さんが私を呼ぶ声がうっすらと聞こえてくる。私は立ち上がり声のする方に向かう。大丈夫、もう忘れたりなんかしない。
「お父さん、今日はね友達と一緒に遊んだんだ!」
「そうか、どんな子なんだ?」
「えっとね、私より少し小さくて、でも面白い子で、名前はね……」
「名前…は?」
「し………………ううん、何でもない」
「そうか、じゃあ、帰って夕食にしようか」
「う、うん!お腹ペコペコだよ…」
私の頭には、今日の記憶が一切なかった。
霞の春 星薔薇アズ @SeikaAosaki
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