第6話
※
車内には沈黙が張り詰めていた。車内と言っても防弾仕様車の荷台の中だ。不愉快に揺れる箱に放り込まれて、私は余計に気が滅入りそうだった。
ただでさえ、死線を乗り越えたばかりなのに。
そんな私の心境に思い至ったのか、同乗している山路も黙り込んでいる。とやかく訊かれるのは明日、クライムバスタービルに出勤してからになるだろう。華山もいろいろと知りたいだろうし。
それはそうと、私は未だに気を休めることができずにいた。ダミーの防弾仕様車が四台も来てくれたので、帰途を襲われたり、私の住居がバレる心配はないはず。頭では分かっている。それでも――。
「君の責任じゃない、紺野」
唐突に、山路が口を開いた。私は俯いたまま、上目遣いに彼の口元を見つめる。
「彼らは運が悪かったんだ。君はよく戦った」
『彼ら』とは、あの鎌使いに首を刎ねられた四人の私服警官のことだ。完全生身の人間にできる戦いは、やはりあのくらいだろう。
私のような『性能』を有している警察関係者は、私が知る限り自分と山路の二人だけ。まあ、『性能』を持っている人間はそれを是が非でも隠そうとするから、他にもいるんだろうけど。
「どうしてあんなに早く狙撃態勢に入れたの? 一・五キロは離れてたと思うけど」
私はぽつりと、思ったことを口にした。
「あんなに早く、か」
山路の口元が、苦笑の形に歪む。
「俺としては遅きに失した感があるが。そうでなければ、君をあそこまで危険に晒すことはなかった」
「いや、そんなことはないよ」
私は顔を上げ、山路の視線を真っ直ぐに受け止める。そこに哀れみはない。同業者としての気遣い、心配りという程度だ。その方が、私としても気が楽でいいのだけれど。
山路は後頭部で腕を組み、ぼんやりと天井に視線を彷徨わせながら語り出した。
「君が『性能』を発揮したことは、バディである俺にはすぐに感知できた。それの意味することも理解できたよ」
「私が非常事態に巻き込まれて、戦闘中だったってこと?」
「ああ。それともう一点、相手が相当ヤバい奴らだ、ってこともな」
私はふっと息をついて、がくんと項垂れた。
「何だか情けないなあ。飲みに行って急襲されて、散々周囲の人を危険な目に遭わせて、バディに援護射撃までさせるなんて。山路さんなら分かるでしょ?」
最初に襲ってきた自動小銃の二人組は、『性能』なんて持ってなかった。それなのに、私が一方的に『性能』を使ってしまったことは、守秘義務の観点からして、自分の不手際だ。
しかし山路は、上を向いたまま片手を眉間に遣ってこう言った。
「おいおい勘弁してくれよ。君が自分を責めるなんて、らしくないぞ。ただでさえ危険な仕事をしてるんだ、互いに助け合わないとな。でなけりゃ、俺は君の親父さんに合わせる顔がない」
さらりと私の家族の話題に触れる山路。私も思わず、口元に苦笑を浮かべてしまう。
家族がいない。その境遇を話題にするのに、彼以外の適任者はいないだろう。彼もまた――いや、今は考えない方がいいな。
《山路警部補、紺野警部補。目標地点に到着しました》
運転手の声が聞こえてくる。ちらりとこちらを一瞥した山路に向かい、私は頷きながら『了解』と告げる。
「気をつけろよ」
「サンキュ」
それだけ言葉を交わして、私は展開された荷台の後部ハッチからマンションの玄関前に降り立った。
※
無言のまま、私は幅のある廊下を歩き、一階にある自分の部屋の前に立った。
鍵は持っていない。代わりに、ドアの右側にある丸い出っ張りに顔を近づける。
これは特殊なカメラになっている。右目の眼球にある毛細血管をスキャンし、部屋の主を判別してドア開閉させるのだ。当然ながら、私にしか開けることはできない。
ピピッ、と軽い電子音がして、『Welcome Home,Misaki』と立体表示が出る。
私は無言で表示を手で払い、スッと開いたスライドドアの向こうに踏み込んだ。
『ただいま』と口にする習慣が、私にはない。物心つくかつかないかというところで、家族を奪われてしまったからだ。私が帰る先に、出迎えてくれる存在はない。
短い廊下の先にあるのは、十畳ほどの自室。私は血塗れのジャケットを脱ぎ捨て、自動点灯した照明の元で周囲を見回す。
「相変わらず何にもないな」
とにかく、私の部屋には何もない。わざわざ呟いてしまうほどに。
ベッドもデスクもカーペットもない。フローリング上にあるのは、無造作に丸められた敷布団くらいだ。
ちなみに、非常事態に備えて、床下には冷蔵庫と冷凍庫が格納されている。水と食糧(レトルト食品ばかりだが)が備蓄されているのだ。いざとなれば、この床下のスペースは防空壕にもなる。
ぼんやり室内を見つめながら、視線を足元に落とす。
「あ」
やべぇ。気づけば、戦闘用のズボンから滴った血が、玄関からずっと筋を引いていた。その赤黒い筋は、薄いベージュ色の床面を蛇のようにのたくっている。
「ま、いっか」
今はシャワーを浴びよう。掃除は後回しだ。
私は廊下を少し引き返して、脱衣所の扉を無造作に開け、衣服をこれまた無造作に脱ぎ捨ててシャワールームに入った。
この部屋のシャワーは、厳密にはシャワーではない。蛇口やノズルはなく、壁は円筒を描くかのように湾曲している。その壁面には小さな穴が無数に開いていて、そこから石鹸水が霧状に噴き出す造りになっている。
ふと、私の脳裏に、今日の任務のことがよぎった。昔の下水管を隠れ蓑にして、大麻の売買をしているゴロツキを取っ捕まえた時のことだ。
最後の獲物は逃してしまった。あの髪をオールバックにした男は、見事なまでに潔く自決した。
だが、問題はその男自身ではない。男が倒れた場所だ。浸水が起こって、水が足元まで迫ってきていた。
「ッ……」
私は思わず、身震いした。そっと自分で自分の肩を抱き締める。
私は、水が苦手なのだ。だからこの部屋をあてがわれた時も、シャワールームだけは特殊仕様にしてもらった。それがこの、円筒形のミストルームというわけだ。
「あーったくもう!」
わざと大袈裟に声を張り上げ、私は過去の記憶を振り払う。それからミストルームに踏み込み、中央に立って、
「今日は熱めにお願い!」
と口頭指示をした。あとは、AIが自動調整した蒸気で私を洗ってくれる。
ぐしゃぐしゃと長髪を引っ掻き回しながら、私はそろそろ髪を切ろうかと考えた。
ミストシャワーを浴び終え、パジャマに着替えてから、私はのろのろとモップを手に取った。全自動掃除機を買ってもよかったのだろうか。
「いや、ないな」
私は軽くかぶりを振った。
モップの方が、いざという時に武器になる。この居住が急襲された場合のことを考えれば、あちこちに武器を仕込んでおいた方がいい。だからこそ、このパジャマも伸縮性に優れたボディスーツのような形状をしているし、枕の下にはコンバットナイフが控えている。
思ったよりも、廊下に滴った血液を拭きとるのは骨が折れた。特に、鎌使いとの戦闘で不具合を起こした左肘にかかる負荷が酷い。
「さっさとメンテしてもらった方がいいよなあ」
そう呟いた時、さっと視界が明るくなった。どうやら日が昇ったらしい。それを感知して、部屋の照明が自動で消える。
って、これでは眠れない。明るすぎる。私は窓際に寄って、『カーテン閉めて』と言おうとした。
その時だった。
否応なしに、外の光景が飛び込んでくる。一階からでも見える風景。そこには、大きな影が二つ、逆光に照らされて黒々とした姿を晒していた。
単に大きい、と言ってしまっては、伝わるものも伝わるまい。手前にあるものと比べてみるとしよう。
目を凝らしてみれば、旧・レインボーブリッジが見える。しかし、あの巨大な旧・幹線道路は、二つの影の足元にも及ばない。
東京タワーは崩壊してしまったので比較できないが、間違いなく影は、両方共その半分強の高さ、約二百メートルはあるはずだ。
その影は、互いにその巨体の上部、上半身を突き合わせている。
右の巨体は鋭角的なシルエットをしていて、剣のようなものを握りしめている。
左の巨体は形がやや複雑だ。脚部ががっちりとしていて、強く地面を踏みしめている。特徴的なのは、背びれと思しき部分がギザギザのシルエットを描いていること、そして、右の巨体が握りしめた剣に胸元を貫通されている、ということだ。
それは、全く唐突に訪れた。
――美咲! 早く!
――お姉ちゃん、急いで!
――もう出航するぞ! 美咲、お前は次の船で――
「うわぁあ!」
唐突のフラッシュバックに、私は耳目を塞いだ。自分が悲鳴を上げたのかどうか、そんなことすらあやふやだ。しかし確かなのは、自分がどぼん、と底なしの水中に叩き落されたような錯覚に陥ったということだ。
左腕を差し出し、そこに噛みつくことで、悲鳴を堪えようとする。一方、右手はもがくようにフローリングに爪を立て、うつ伏せになった胴体は、バタバタと痙攣したかのように跳ね上げられる。
「うわあああああっ! うわ、あ、ああ……」
私が回想から脱出した頃、時計は既に午前十時を指していた。
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