第5話

「ぐっ!」


 敵が息を飲みながら、何とか私に照準を合わせようとする緊張感が伝わってくる。が、遅い。

 私はすとん、と敵のうちの片方の真後ろに降り立ち、背後から腕を伸ばして、さっと一閃。すると同時に、ごぼっという嫌な音を立てて敵は脱力し、膝を着いた。私が包丁で、彼の喉仏を掻っ捌いたのだ。

 びちゃびちゃと、大量の液体がアスファルトに零れ落ちる。ネオンに照らされて色は判然としなかったが、きっと真っ赤な鮮血だろう。


 しかし、刃物と言えど包丁は包丁、所詮は調理器具。これ以上の活躍は期待できない。私は無駄を承知で、こちらを狙うもう一人の敵に向かい、包丁を投げつけた。


 流石に刃物を警戒してか、敵は腕のプロテクターでこれを弾く。だが、その僅かな隙が、彼にとっては致命傷になった。私は最初の敵の死体を引っ張り上げ、これを盾にしながら彼に接敵したのだ。


 弾倉の交換を諦め、腰元から拳銃を抜く二人目。敵ながら見事な手捌きだ。そして容赦なく、死体となった相方に向かって銃撃する。だが、残念ながらその背後でダッシュしている私には届かない。


 相手との距離を測り、私は死体を手離して跳躍。敵の弾丸が微かに髪を掠めたが、負傷しなかったから結果オーライ。私は死体の背中にミドルキックを入れ、もう一人の方へとぶっ飛ばした。


 敵からすれば、予想外の勢いだったのだろう。死体は相棒に抱き着くような格好で接触し、そのまま一緒に倒れ込む。

 私はスラスターの噴射なしで、しかし脚部のバネをフル活用して、再び宙を舞った。死体の上から敵の鳩尾に膝を叩き込み、気絶させる。そういう算段だった。  が、しかし。


 向かって右側から、ぞくり、という冷たい気配がした。これは殺気だ。それも、屋台にいた時よりも遥かに鋭い。三人目が、空中で無防備な私を狙っている。


 私は攻撃態勢を解き、くるりと丸くなった。ちょうど胎児のように。同時に右腕を思いっきり伸ばし、掌を目一杯広げる。

 手首から先を持っていかれる可能性があったが、上腕部にダメージを受けて腕がまるごと機能停止に陥るよりはマシだ。


 しかし、それは私の杞憂だった。膝を抱え込み、回転途中の私。その後ろ髪を掠めるように、小振りの鎌が空を裂いた。

 私は転倒している敵を跳び越え、様子を見るためにサイドステップ、距離を取る。


 三人目の敵を観察する時間はたっぷりあった。理由は明白。初撃で私を仕留め損ねた鎌は、次の瞬間には、生きているはずの二人目の敵の眉間に突き刺さっていたからだ。


 敵が仲間割れを起こした? いや、役に立たなくなった味方を見捨て、口封じのために一方的に殺したのだ。


 その間に、私は三人目の敵の特徴を掴もうと試みる。

 真っ黒なレインコートを頭から被った、痩身で背の低い人間。男女の区別はつかない。

 右腕に細い鎖を巻きつけ、その鎖の先端に鎌が取りつけられている。刃渡り二十センチといったところか。

 左腕には何も装備していないように見える。


 私と鎌使いの視線が交錯し、お互いにフェアプレイを所望するかのように、呼吸を整え合う。その時だった。


「警察だ! 全員そこを動くな!」

「あっ、馬鹿!」


 思わず罵倒の言葉が出た。さっきの銃撃戦を受けて、私服警官たちが集まってきたのだ。その数四人。皆が懐から、非殺傷性電子銃、通称エレキガンを抜いた。


 警官達の威勢はいいが、この鎌使いは一般の警官には手に余る。彼らを引っ張り倒して後退させたいのは山々だが、そんな悠長なことをしていては、間違いなく私の首が飛ぶ。物理的に。


 警官たちの動きは、それなりに機敏ではあった。エレキガンの狙いは精確だったし、無駄撃ちもしなかった。しかし、次の瞬間に起こったのは、思いがけない現象だった。


 エレキガンの仕組みは、高電圧を発生させる小さな針を相手に撃ち込み、筋肉を麻痺させて動きを止めるというもの。電気を使っているからといって、ビリビリ光るわけではない。

 にも関わらず、針が相手に触れる直前、真っ白なフラッシュが周囲を照らし出したのだ。


「ぐっ! 何事だ?」


 警官隊の長と思しき男が叫ぶ。腕を眼前にかざし、光から目を守っている。って、これじゃあ敵が見えねえじゃんか。

 私も一瞬、瞼の裏まで真っ白になった。それでも回避運動へと移行できたのは、薄い遮光フィルターを眼球に仕込んでおいたからだ。


 そして、私には見えた。エレキガンの針が、相手の左腕の盾によって防がれているのが。

 しかし、盾? そんなもの、私が見た時には持っていなかったぞ。


 発生した時と同様、光は唐突に消え去った。その時、私は一瞬、しかし確かに見た。薄い桃色の、半透明なシールドが展開されていることを。

 あれは何だ? 少なくとも、相手がよっこらせと取り出したものではない。軽く腰を落とした相手の腹部を守るように、六角形のシールドが展開している。

 そしてそのシールドもまた、ふっと消滅した。


「全員下がれ!」


 私はすかさず叫んだが、反応できたのは私自身、一人だけだった。

 咄嗟に前のめりに転倒し、腹這いになる。ほぼ同時に、相手は右手の鎌を振るう。

 空を斬る軽い音に、ワイヤーがピン、と張り詰める気配。それからは一瞬だった。


 ざん、ざん、ざん、ざん。


 肉と骨の裂ける音が、四回聞こえた。僅かな間を置いて、ぷしゅっと炭酸飲料の蓋が外れるような音がする。鮮血が噴出し、私の頭上から雨のように降り注ぐ。それから、ぼたっと鈍い音がした。これも四回。

 そうか、警官たちは一薙ぎで首を刎ね飛ばされたのだ。


 私は自分が血塗れになるのにも構わず、ごろごろと転がった。

 さて、どうする? 頭上から鎌を落とされたら、私だって一巻の終わりだ。こうなったら――。


 再びくるぶしからふくらはぎを展開させて、相手の懐に突っ込む。それしか考えられない。下手に距離を取ってしまっては、相手の思う壺だ。

 私は両の掌を着き、一瞬だけスラスターを噴射する。キュアッ、と短い音と共に、相手に向かって自分の身体を弾丸のように突き飛ばす。


「はあっ!」


 勢いを殺さずに、相手の左腕を押さえ込む。そうすれば、あの謎のシールドの展開を防げる。近接戦闘なら、私にだって勝機はある。


 しかし、相手の練度は私の想像を上回っていた。中・遠距離戦用のワイヤーを呆気なく手離し、右手の袖に仕込んでいた短刀を取り出したのだ。それを、正確無比の狙いで突き出してくる。


「やば……がッ!」


 私は伸ばしていた左腕を曲げ、肘でその刃を受けた。ミシリ、という嫌な音と共に、左肘から先が無感覚になる。

 それでも強引に、私は体当たりをかます。相手がシールドを展開しようとかざした左腕に、


「させるかぁあ!」


 思いっきり噛みついた。


「ッ!」


 まさか噛みつかれるとは思わなかったのだろう、相手が息を飲む。その気配から、私は相手が女であることを察した。

 だが、その一瞬の考えが仇となった。相手は私に押し倒されながらも、膝を曲げて私の腹部を蹴り上げたのだ。


「ぐぶっ!」


 流石にこれには噛みついていられず、私は相手の後方へと吹っ飛ばされた。

 したたかに背中をアスファルトに打ちつけられ、肺の空気が強制的に吐き出される。


 それでも私は、追撃に備えて立ち上がろうと試みた。バックステップで距離を取り、再び脚部を展開、スラスターを起動。いつでも、どの角度からでも相手に突っ込めるようにと身構える。

 一方、相手は左腕のシールドを展開し、右手の短刀を逆手に握り込む。


 あのシールドは、私の体当たりで破れるだろうか? 相手の反応速度は極めて速いが、隙を見出すことはできるだろうか? 私は軽く、自分の唇を湿らせた。


 その時だった。


《紺野、避けろ!》


 耳に常時装着している小型イヤホンから、切迫した様子の声が入った。山路さん?

 いや、今は確認するより行動だ。私は次に起こる『何事か』を回避すべく、さらにバックステップした。


 私の行動を訝しく思ったのか、相手もまた腰を落とし、警戒を強める。

 その直後、私から見て右側から、何かが飛来した。それが狙撃銃の弾丸だと気づいた時には、相手は左腕を上げシールドを展開、バシッ、という鋭い音を立てて、弾丸を弾き飛ばした。


 隙あり、と言いたいのは山々だが、こちらもだいぶ距離を取っている。そして、今の私に遠距離武器はない。

 私がそれをもどかしく思う間にも、狙撃は続いた。二発、三発、四発。

 エレキガンを遥かに上回る威力の弾丸を連射され、シールドにザザッ、とノイズが走る。


 すると相手は、私に一瞥もくれることなくあっさりと背を向けた。そのまま、猫を連想させるようなしなやかさで道路を横断。狙撃銃の死角に入りながら、ビルの合間へと姿を消した。


《紺野、無事か? 紺野警部補!》


 山路がイヤホンの向こうで叫んでいる。

 重武装した機動隊に混じって彼が姿を現すまで、私は呆然と立ち尽くしていた。


「やるな、あの女……」


 そう呟くのがやっとだった。

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