第3話
※
「いっやあ~、二人共ご苦労さん!」
「はッ!」
華山凛音・警視庁特別警戒局局長は、いつもと変わらぬ陽気な声と笑顔で、私と山路を労った。キッチリ敬礼をしたのは無論、山路だ。
私は平常心を取り戻し、しかし陽気にも殊勝にもなれず、片足に体重をかけながらぼんやり突っ立っていた。
ここは、警視庁特別警戒局局長室。華山凛音の居城である。
テニスコートが一面まるまる入るほどの広さ。横に長い造りで、出入口の正面に華山の執務デスクがある。大型ディスプレイが二、三あって、デスクを取り囲んでいるが、今はスライドされてわきに控えていた。
局長席の背中側と左右の壁面は、間接照明が施されていていつも昼間のように明るい。今時珍しい、針で時刻を示すモデルの時計が、立体画像でぷかぷか浮いている。
現在時刻は、八月十六日午前一時を回ったところ。思ったより移動に時間がかかったらしい。
「それにしても済まなかったねえ、美咲ちゃん。Cクラスの装備許可しか出せなくて」
私は視線を逸らし、敢えてふてくされた態度を取った。『気にしていない』と暗に示したつもりだ。
さて。視線を逸らす前、私が何を凝視していたか。ズバリ、華山凛音局長自身だ。
意外なことに、警視庁の重要ポストにありながら、外見はたったの十二、三歳の少女にしか見えない。というか、嘘偽りなく十三歳らしい。
なんでも、人心操作や犯罪心理学に対する造詣がとんでもなく深く、高校、大学と飛び級したらしい。現在の階級は警視となっている。黒髪のツインテールがよく似合う。
逆に言えば、こんなあどけない少女を立役者にしなければ成り立たないほど、この街の治安維持は切羽詰まった状態にあるということだ。
それにしても。
「局長、質問っす」
「ふぁい?」
欠伸を噛み殺している華山に対し、率直に質問。山路が肘で小突いてきたが、私も華山も気にしない。しかし問題は、私の質問の中身だったらしい。
「どうすれば、局長の歳でそんな巨乳になれるんすか?」
「ぶふっ!」
山路は大きく噴き出した。今回は、小突く余裕もなかったようだ。
「あ、美咲ちゃん気になる?」
「うん!」
デスクから身を乗り出す華山。こういう体勢を取られると、余計にバストが強調されて見えてしまう。立派な谷間だなあ。
「そうだねえ~」
華山はどさり、と革製の椅子に尻を落ち着け、その胸の前で腕を組んだ。
「そうそう、でかいおっぱいを連想させるものを積極的に食べてみたら? メロンとかスイカとか、ああ、巨峰なんかもいいかもね。葡萄にしてはでっかいし」
『果物は身体にもいいしね』と続ける。
「ちょっと局長!」
ようやく復旧したらしい山路が、ズボンのポケットに両手を突っ込みながら割り込む。
「局長が魅力的な女性なのは認めますが、今は昨夜から本日未明にかけて行われた作戦の話をすべきでは?」
「あ、山路くんもおっぱいは大きい方が好み?」
「だからその話は止めましょうって!」
ぷいっと顔を逸らす山路。流石に眼福が過ぎて毒にでもなったか。
「ごっめ~ん、山路くん。ガールズトークってやつだよ、許して?」
デスク上のポテチを口に運びながら、山路を諫める華山。説得力も反省する様子も皆無。全く、これではどっちがどっちの話をしてるんだか。
「でさあ、最後の男は自決したんだって?」
「ええ。私が追い詰めたら、すぐに拳銃を口に突っ込んで、パン!」
「ふむ」
細い指を顎にやる華山。
「考えられるセンとしては、生きて帰ってもロクな目に遭わない、ってことを知ってたんだね、彼は」
「自分も同意見です」
ようやく本調子に戻った山路が答える。
「失態を犯した者は、酷い拷問をされた上で血祭に上げられる。こんなことをやってる過激派は、このポート・トウキョーでは二、三に絞られるよね」
「はい」
キビキビと応対する山路。
「あ、ちょい待ち」
華山は大きな革椅子から下りて、すたすたとこちらにやって来た。私の横を通り過ぎて、出入口の方へ。
そこには、背の低いテーブルと、それを四方から囲むようにソファが置かれている。
「立体画像に映し出してみましょ」
そう言って、パチンと指を鳴らす華山。振り返ると、テーブル全体が青白い光を発し始めるところだった。旧東京二十三区と、東京湾一帯を埋め立ててできた特別人民居住区『ポート・トウキョー』の地図が現れる。
ポート・トウキョー。東京湾全域を埋め立てして建設された、貿易・技術開発・食糧供給システムを一手に担う、夢の臨海都市――になるはずだった、私たちの仮初の故郷だ。
飽くまで『はず』であり、『仮初』でしかないことは、強調しておくべきだろう。
「おい、紺野」
「え?」
再び山路が私を小突いてきたが、そこには注意というより、憂慮の念が見て取れた。
「何? 私の顔に何かついてる?」
「お前が急に顔を顰めるからだろう。そりゃあ――」
「そこまでだよ、山路くん」
いつになく冷静な口調で、華山が止めに入った。
「まあ、個人的な話は置いといて、今は地図に集中しよう。三人寄れば文殊の知恵、ってね」
「は、はあ」
気の抜けた返答をする山路。ううむ、やはり私は無意識のうちに、変な顔をしていたらしい。確かに、変なというか、数奇な人生を送ってきたとは思うんだけどさ、我ながら。
「取り敢えず、今回逮捕した大麻のブローカーと、三人の愉快な用心棒の身柄を照会したところだと、日本人に成りすまして違法な儲けをしている連中が浮かび上がってきたよ」
テーブルに手をついて語る華山。
「それって、いわゆる『赤金商会』の連中、ってことっすか」
「そうらしいね」
華山の肯定の言葉に続き、山路が述べる。
「今は違法な営利団体、ってことで公には捜査はしてますが、実際は『旧都心派』の連中が裏で糸を引いてる、って専らの噂ですよ」
「そうなんだよ、これが」
「でも本当にいるんすか、今更? 地上に、つまり東京湾沿岸の都市を再建築して、ポート・トウキョーを軍港にしようなんて輩が」
私の問いに、華山は顔を上げて視線を合わせた。
「長距離弾道ミサイルの使用が国連で禁止されてから、海洋国はみーんな戦艦頼みで領土・領海を守ってるからね。確かに、ポート・トウキョー並の広域整備区画があれば、イージス艦やら潜水艦やら、量産するのは夢じゃない。この国の技術も捨てたもんじゃないし」
ふむ、と息をついて、私は口元に手を遣った。
「他の組織の動きはありますか?」
山路は淡々と、広く情報を拾っていくつもりらしい。
「まあ、『大阪首都移転派』なんかも幅を利かせてきてるからね。警戒しておくに越したことはないよ」
すると山路は『了解です』と告げて、再びピシリと敬礼を決めた。どうやら、話をここで切り上げるつもりらしい。
別に私も長居したいわけじゃないけど。あんまりこの部屋に居座ると、華山の胸にぶっ潰されそうだし。物理的にも精神的にも。
「じゃ、また明日ね」
「あーい」
「おい、敬礼ぐらいしていけ!」
気楽な華山の返答と、山路の口頭注意をさらりと受け流し、私は局長室をあとにした。
※
局長室からエレベーターで、百五十メートル下の一階・メインエントランスへ。
「あ」
飛び降りた方が早かったか。いや、作戦遂行時以外に私が『性能』を発揮すると、山路がうるさいからなあ。
「ま、いいや」
私がそう呟く間に、エレベーターは三十秒で地上五十階から一階に到達。チリン、という鈴の音と共に、ドアがスライドする。
真夜中だというのに、人の流れが絶えることはない。無理もないことだ。新制警視庁は、元々東京都にあった警視庁の機能を、このビルに丸ごとぶち込んでいるのだから。治安の悪化も相まって、建物内の人の往来は否応なしに増加する。
なにぶん土地が狭い。東京湾のほぼ全域を埋め立てたと言っても、そこに集まってきたのは東京都民及びその関連施設だけではない。かつての千葉県や神奈川県のあった土地の住民も、ここに移転してきている。
これほどの民族大移動。どうしてそんな事態に陥ってしまったのか。理由は――いや、あまり思い出したくはないな。
私の家、というか部屋は、このビルから徒歩五分の距離にある。緊急出動もあり得るという点から、随分とアクセスのいい場所に居を構えさせてもらった。あんまり個人的な意思表明ができるような状況ではなかったのだけれど。
エントランスの回転ドアを抜ける。同時に全自動顔認証システムが私をスキャンし、適性職員と認識する。そのゲートを通り抜けて初めて、私たちはこのビルの出入りを許可される。
ちなみに私は、このビルにそれなりの愛着を持っているが、名前だけはいただけない。
「確か『クライム・バスター』とかいう名前だったよな……」
だっせぇ。
それはいいとして、私は少しばかり寄り道をして帰ることにした。雨上がりというのは、たとえそれが酸性雨だったとしても気持ちのいいものだ。ちょっと出歩いたところで、お咎めを喰うこともないだろうし。
「で、どこ行こうかな」
さっきのバーに行ってみようか。今度は『一般市民』の客として。
いや、駄目だ。あのバーテンダー、私を見てぎょっとしてたもんな。命の危険を伴うことも覚悟で、彼は情報屋として生きている。一日(いや、厳密には日付は変わったのだけれど)に二度も、私の顔を見たくはないだろう。
排煙にネオンが反射する、妖しい夜空を見上げながら、私は夜のポート・トウキョーへと足を踏み出した。
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