第2話
山路に続いて、私も車を降りる。私たちの眼前にあったのは、丸い闇だ。直径は、五メートルほどはあるだろうか。
「古い下水道管だな。このあたりは、安全高度が取れないから警備ドローンも飛んでこない。生身の人間が踏み込むしかねえんだ」
「ふぅん」
私は何の気なしに応答したが、そばで山路がぎくり、と身を強張らせるのは感じられた。
「わ、悪い、紺野。つい口が滑って――」
「何のこと?」
「あ、ああ、気にしてないならいいんだ。お前が気にしなければ……」
どうも歯切れが悪い。もしかして、『生身の人間』という言葉が私の癇に障ったと思ったのだろうか? 生憎、そんな台詞は聞き飽きている。今更気にする方が不自然だ。
「で、この作戦で適応される装備は?」
「ランクC相当だ」
「はあ?」
って、問題なのはこっちの方である。ランクCと言えば、電磁警棒と閃光手榴弾くらいしか使えないではないか。
「チャカは? 私の四十四口径、使えないっての?」
「俺に噛みつくな! 大体、今時対人装備で四十四口径マグナムなんて使ってる方がおかしいんだ。あ、もちろん上位火器――自動小銃や狙撃銃も使えないからな」
「はあ~」
両手を腰に当て、あからさまに落胆してみせる。こんな状態の私には、流石に山路も声をかけられないらしい。
「それよりもな、紺野。敵の規模は気にしないのか?」
「そーねー。どうせ銃に頼らなくても制圧できる程度の連中しかいない、ってことっしょ? だったらいいよ、予め聞かなくたって」
今度は山路がため息をつく。何だか、互い違いにため息を繰り返しているようだ。ま、どうでもいいんだけど。
「それじゃ、一丁やるか。作戦はいつも通りでいいな?」
「ってか、それしか私たちに戦いようはないじゃん」
山路は一瞬、言葉に詰まった様子だったが、『それもそうだ』と言って顔を上げた。
「んじゃ」
「気をつけろよ」
この二言だけを交わし、私は地面を蹴って、古い下水管の丸い闇へと飛び込んだ。
直後、視界全体がぶわっと緑色に染まった。感知できる光量の急激な低下を認識した眼球が、光学センサーから赤外線センサーへと切り替わったのだ。
「さて、と」
ここから先は、いつ敵と遭遇してもおかしくない。あちこちで水滴の落ちる音がするのに紛れながら、私は慎重に歩を進めた。
しばらく前進し、緩やかなカーブに沿って曲がる。遭遇は、二度目のカーブを曲がり切ったところで発生した。
成人男性と思しき人影が立っている。四人、いや五人。中央の二人がアタッシュケースの遣り取りをしており、周囲の三人が拳銃を手に、警戒にあたっているようだ。
私は一旦頭を引っ込め、聴覚を研ぎ澄ました。ぴとん、ぴとんという水滴の落ちる音に混じって、男たちの声が聞こえてくる。
「これで契約通り、ブツは渡したからな」
「いつも悪いね。こちとら、サツの目を欺くのに、未だに紙幣で清算するしかないんだが」
「いいや、あんたは気前がいいから、俺もボスも気に入ってる。今後もよろしく」
よくいるゴロツキだな。私はそう判断しつつも、気を抜くことはしない。妨害勢力は、実力を以て排除・捕縛する。
両の掌を見下ろし、深呼吸を一つ。さて、仕掛けますか。
私は両腕をだらん、とぶら下げ、今度はわざと足音を立てながら、堂々と取引現場に踏み込んだ。ばちゃばちゃという音に、男衆五人の目がすぐさま私に向けられる。
「何だてめえ!」
拳銃持ってるんだから、すぐ使えばいいのに。燃えないなあ。と、いう文句は自分の胸中に封印する。
「何者だ? いや構わん、殺せ!」
アタッシュケースの遣り取りをしていた、主犯格と思しき男が指示する。こいつは割合落ち着いている様子だが、部下はホルスターから拳銃を抜くのに手間取っている。なぁんだ、とんだド素人じゃん。
私はすっと身を屈め、駆け出した。歩幅を広く意識する。そのまま軽く跳躍、前衛にいた二人のうち、向かって左の男の腹部にミドルキックを見舞う。
「うおっ!」
ぼんやり出てきた私の雰囲気に囚われ、反応が遅れたのだろう。男は呆気なく体勢を崩し、拳銃を取り落とした。私はすかさず、それを自分の背後に蹴り飛ばす。
身体をくの字に折って悶える男。これでも加減してやったんだけどなあ、転倒しないように。
私は男の前襟を掴み、無理やり引っ張り寄せて、彼の背中を盾にした。やはり味方を撃つのは躊躇らわれたのか、誰も発砲しない。
その隙に、私は男を持ち上げ、勢いよくぶん回した。私の半径二メートル以内にいた連中は、全員が男のブーツを顔面にぶつけられることとなり、拳銃を構えていた一人が倒れて昏倒した。
残り三人。
さっと視線を横切らせると、拳銃を構えた残り一人が目に入った。発砲音が、無駄に反響しやすいこの環境下で炸裂する。だが、その直前に私は再び屈みこんでいた。
この男は、マニュアル通りの訓練しか受けていない。そう察した理由は明白で、私の上半身のあったところに三連射したからだ。足元は狙いにくい、というセオリーをそのまま飲み込んでいる。やはり軍人崩れか。
私はやや湾曲した地面を這うように、両足をバネのように使って自分を弾き飛ばした。
グン! と擬音が発生しそうな勢いで、男に迫っていく。この状況下で、勢いを殺さずに最も効率よくダメージを与える方法。それは――。
「がはッ!」
私の頭上で、男が息を詰まらせた。そう。私は男の腹部に、思いっきり頭突きを喰らわせたのだ。
流石に頭上から吐瀉物を浴びせらるのは勘弁願いたい。私はさっと上体を起こし、右フックで男の頭部を強打。一瞬で気絶させ、残る二人に向き直った。
今まで倒した三人の男たちは、皆が用心棒。主犯格の二人を捕縛してこそ、この作戦の成功と言える。
すると、二人は顔を見合わせ、一方が下水管の奥へと逃走した。そちらに気を取られた一瞬。その隙を突いて、もう一人は足元に転がっていた拳銃を手にし、私に向ける。
このまま今まで通りに接敵したら、きっと撃たれる。だったら。
私は腰元から電磁警棒を取り出し、剣道で言うところの正眼の構えを取った。そのスピードに恐れをなして、相手が怯む。
「死……」
『死ねえ!』とでも叫ぶつもりだったのだろうが、お生憎様。私は躊躇なく、しかし強引に警棒を放り投げた。縦方向に回転した警棒は、見事に相手の眉間を突き、電撃を加える。
銃声よりも耳障りな叫び声を上げる、主犯の一人。だが、それで倒れはしなかった。痛覚遮断ドラッグでも使っていたのだろう。拳銃を取り落としこそすれ、気絶はしなかった。自分だけいいご身分だな。
だが、最早戦えないことは明らかだ。私は、今度は上体を起こしたままダッシュして接敵。右の爪先で相手の股間を蹴り上げた。
「ぐへっ!」
やはりこれは効いたようだ。その場にうつ伏せにぶっ倒れる。過剰暴行を避けるため、私はこいつを放っておいて――あとは山路が処理してくれるだろう――残る一人を追った。
足音が立つのも構わずに、私は太い下水管を駆ける。しばらくは直線が続くらしい。相手の姿は見えている。ったく、拳銃さえ使えれば、こんな苦労をしなくて済むのに。早く追いつこうと、私は再び歩幅を広げる。
ふと、相手の影が消えた。緩やかに下水管が曲がっている。この先で待ち構えるつもりなのか。
私はセオリー通り、体勢を低くする。そのまま身体の重心を移し、円筒状の管内を斜めに走り抜ける。
緩やかな曲がり角を折れた、その時だった。
「ッ!」
追っていた密売人の主犯が、拳銃を構えて立っていた。
立ち止まったら、そこが私の死に場所だ。私は壁を蹴り、無理やり横っ飛びして初段を躱すはず、だった。
私を狙っていた銃口は、主犯の手の中でぐるり、と回転した。そしてあろうことか、主犯はその拳銃を咥え込んだ。
「待て! 動くな、死ぬんじゃない!」
髪をオールバックにした長身の男は、しかし、何の躊躇いもなく引き金を引いた。口内でくぐもったためか、先ほどよりは小さな銃声が響き渡る。
そして、彼の小脳とうなじは粉砕され、真っ赤な花火を炸裂させたかのように後頭部から飛び出した。
まあ、今の私は赤外線映像、すなわち緑色の濃淡による映像を見ているから、赤いか紫色なのかはよく分からないのだけれど。
麻薬売買の主犯格を死なせてしまった。これは、私の失態だ。せめて拳銃さえあれば、というのは、言い訳に過ぎないと分かっている。だからこそ、せめて男の遺体を引き起こすぐらいのことはしなければ。
そう思って足を踏み出した私の鼓膜を震わせたのは、思いがけない音だった。
ばしゃん。
その音に、私の足は固まった。主犯の男は、無造作に命を絶ったわけではない。前方が浸水しているのを見て、逃げきれないと悟ったから自決したのだ。
「水……?」
そう、思わず口にする。同時に唇が震えてくる。その震えは、じわじわと私の身体を侵食し、やがて全身が脱力した。その場にぺたんと尻餅をつき、目を見開いて、水に浸されていく男の遺体をただただ眺めた。
『大丈夫か』という旨の山路の言葉が聞こえてきたのは、その直後のことだった。
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