第5話 懺悔

そのまま彼女とカフェを出ると、商店街には家路に就く生徒やサラリーマンの数が、かなり増えていた。

数歩歩いた所で、彼女が唐突に足を止める。

俺も足を止め、彼女の方を見ると、彼女は笑みを浮かべてこう言った。

「土屋君、どうもありがとうございました」

「いや、お礼を言いたいのはこっちの方だ」

「いえ、そうじゃありません。あの時、私を助けてくださって、本当にありがとうございました」

『あの時』というのは、彼女と出会うきっかけになったあの日の事だろう。

しかし、そこまで畏まられてお礼を言われると、どこかむず痒いものがある。

「でも土屋さん、問題はまだ解決したわけじゃありません。土屋さんは今からどうするんですか?」

「俺は今から学校に戻ろうと思う。今日は生徒会の活動があったみたいだし、七海に会える可能性が高いからな」

俺は、1分1秒でも早く、七海に謝りたかった。

例え今日学校で会えなかったとしても、七海の家に寄るつもりでいる。

「じゃあ、頑張ってくださいね、土屋さん。土屋さんが死にそうになっていたら、またお声掛けしますから」

笑顔でそんな冗談っぽいことを言う彼女とは、商店街に入ったところで別れた。

彼女とは死にそうにならないと会えないのだろうか、と変な疑問を持ちながらも、駅の方へ歩く彼女の後ろ姿を、少しだけ見送ってから、俺は学校への道を戻り始めた。



駅へ続く道を歩いている途中で、私は後ろを振り返った。

私とは逆方向へ歩いていく、彼の背中が見えた。

これからは彼と交わることのない、別の道を歩んでいく。

そんなこと、あるはずないのに、何故かそんな錯覚すら覚えて、少しだけ、目頭が熱くなるのを感じた。

きっと大丈夫。

あの日、死のうと思っていた私を、生きたいと思わせてくれた彼なら。

きっと大丈夫。

そんな彼が想い続ける、本当は頑張り屋の彼女なら。

大丈夫。

私は彼の幸せを願うだけで、幸せになれるから。

そう自分に言い聞かせても尚、自然と、その言葉は漏れ出てしまった。

「これが、私の、初恋、だったのかな・・・」

そのつぶやきは、誰かに聞かれることもなく、商店街の喧噪へ消えていった。



もうすぐ日が傾きそうな時間帯。

この時間に学校へ向かう人はいない。

下校をしている生徒から向けられる視線は、不思議と気にならなかった。

校門を抜け、下駄箱で上履きへと履き替える。

生徒会室のある階に足を踏み入れた辺りで、甲高い叫び声を聞いた。


「椎野さん!椎野さん!」

瞬間、嫌な予感がして、心臓が跳ねた。

この予感が外れて欲しいと願いながら、全速力で走り出す。

その光景を見た瞬間、俺の頭の中は一瞬、真っ白になった。

俺がそこで見たのは、床でぐったりと横になっている幼馴染の姿だった。

「七海っ・・・!!」

頭よりも先に、身体が動くとはこの事を指すのだろう。

俺は、無我夢中で七海を抱え、保健室まで走った。

七海を抱きかかえる際に周りが何か言おうとしていたが、全て無視した。

保健室のドアをやや強引に開けると、中にいた保険医の此見このみ先生は少し驚いていたが、七海の様子を見て、すぐにベッドへ案内してくれた。


「此見先生!七海は!あいつは!大丈夫なんでしょうか!」

俺は今どんな表情をしているだろう。

普段からもっとあいつの事を見ていれば、今回の事も防げたのではないか。

もっと早く七海に謝っていれば。

あいつの変化に気づいていれば。

何でもっと早く謝りに行けなかったのか。

ぐるぐると様々な思考が頭の中を巡って、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。

すると先生は、そんな俺の肩をがっしりと掴んだ。

「少し落ち着きなさい、土屋幹太君。椎野さんなら、貧血と寝不足で少し眠ってるだけだから。貴方が思ってるほど、深刻じゃないわ」

先生にそう言われて、自分が我に返れたと実感した。


そうだ。

ここ最近、七海が倒れることがなかっただけだ。

俺が取り乱してどうする。

手を胸に当て、大きく深呼吸をする。

確かに長い間、七海と話ができてなかったから正直言って、かなり不安になっていたと思う。

だけど、俺は七海に謝らなくちゃいけない。

もう逃げるのはごめんだ。


俺は此見先生に先程の状況と、七海との関係について話した。

すると先生は、

「それじゃあ私はこの件について、生徒会顧問の先生と話してくるから。彼女が起きた時に事情を説明してあげてね。一応ここの鍵も渡しておくから、もしも椎野さんが起きて、帰れるようなら、職員室まで返しにきてね。無理そうなら私が車で自宅まで送ってあげるから」

そう言って保健室を出て行った。



「すぅ…すぅ…」

七海は、寝かされたベッドで静かに寝息を立てている。

その姿を見て、胸を撫でおろした。

この数日間、まともに顔も合わせることができなかった七海の寝顔。

目の下には、少しだけ大きな隈ができていた。

「…七海、ごめんな」

ベッドの横に腰掛け、ゆっくりと七海の頭を撫でてやる。

最初は反応がなかったが、しばらくして七海が目を覚ました。

上体を起こし、寝ぼけ眼で俺の姿を確認すると、その瞳が涙でどんどん潤んでいくのがわかる。

「かんちゃん…?」

消え入るような、そんな声で、改めて俺がいることを確認すると、七海の目からは大粒の涙が流れ出ていた。

「ごめんね、かんちゃん、ごめんね…」

まるで罪を懺悔するかのように、「ごめん」という言葉を繰り返す七海を見て、胸が苦しくなった。

「違うよ七海。謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」


俺が七海に、もっと自信をつけさせなきゃいけなかったんだ。

七海がこうなってもいいように、俺が支えてやらなくちゃいけなかったんだ。

俺が一緒になって行動してやらなきゃいけなかったんだ。

懺悔することなんて、俺の方がいっぱいあるに決まってる。


俺は涙でくしゃくしゃになってしまった七海の頭を、自分の胸に抱きしめるように押しつけた。

「聞いてくれ、七海。俺は保育園の頃から、ずっと七海を守っていこうと、思っていた。でも、いつの間にか、それを忘れて、七海が俺を頼ってくれることに優越感を覚えてしまってたんだ。七海は俺がいないと駄目だ、七海は俺がいないと何もできないって。最低だ。最低な奴だよ、俺は。だけど七海が俺から離れて行って、七海が生徒会に入って、気づいたんだ。七海は俺の事、1人で何でもできるって思うかもしれない。でも駄目だった。何もできなかったんだよ。七海が隣にいない空っぽの俺じゃ、15年間一緒に歩んできてくれた七海がいない俺じゃ、何もできなかったんだよ。俺、七海が初めて生徒会に入りたいって自分から言ってきて、怖くなったんだ。七海が俺から離れて行くことが。怖かったんだ。七海が俺の横からいなくなることが。だから七海の気持ちも考えずに、ひどいこと言って傷つけた。今更こんなこと言っても、取返しがつかないことくらいわかってる。自己満足だってことくらいわかってる。だからこれからは、七海のやりたいことを、一緒になって応援させてくれないか…?」

謝罪は全て伝えた。

七海はまだ俺の胸で泣いている。

俺の心臓がドクンドクンと大きく跳ねているのがよくわかる。

この心音が、七海にも伝わっているかもしれない。


しばらくして、頭を俺の胸に預けていた七海が、両手を俺の後ろに回してきた。

「かんちゃんはばかだよ、ばかんちゃんだよ…」

顔を俺の胸に埋めながら、七海がゆっくりとしゃべりだす。

「私ね、ずっとかんちゃんが大好きだった。かんちゃんは昔から、ずっと私を気にかけてくれてたから。本当は外で遊びたいのに、私と一緒に中で遊んでくれたり。今みたいに私の具合が悪くなったら、すぐに気づいてくれたのはかんちゃんだったから。でも最近、私も気づいちゃったんだ。勉強も、運動も、友達の多さだって、私は何一つだってかんちゃんに勝てないなって。いつか、かんちゃんに捨てられるんじゃないかって。だから私も頑張らないとって思った。生徒会に入って、私でもこれくらいできるんだって、かんちゃんを安心させたかった。でもかんちゃんに『私には無理だ』って言われた時、私はもう一生…かんちゃんの横を…歩けないんじゃないかも…って…思って…」

最後の方の言葉が、だんだんと掠れていく。

七海にここまで言わせてしまった。

やはりあの一言だけは、言ってはいけなかったと、激しい後悔に襲われた。

俺はそれを否定するように、抱きしめている手とは逆の手を、七海の髪の上に置いてやる。

いつものように、くしゃくしゃと頭を撫で、もう1度謝罪の言葉を口にした。

「ごめんな、七海。本当に、ごめんな」

「ううん。私、ポンコツだから…。きっと、かんちゃんには、もっと素敵な人が、似あうって…。そう思ったけど、胸が張り裂けそうになって…」

七海はずっと、俺を好きでいてくれた。

俺はそれが当たり前の感情だと思い込んでいた。

七海にだって感情がある。

俺の言葉に従うだけじゃない。

俺の言葉に、行動に、不安を感じないわけじゃないんだ。

「七海」

だったら、俺のやることはもう1つしか残っていない。

言葉を紡いでいた七海の顔が、視線が、俺の発した言葉を聞いて、こちらを向いた。

再び、俺の心臓が凄い速さでリズムを刻んでいく。

「俺は七海、好きだ。保育園の頃からずっと。俺が凄いとか、七海が駄目だとか、そんなことはどうだっていい。俺には、土屋幹太には、椎野七海じゃなきゃ駄目なんだ。だからこれからも、俺に、お前を守らせてくれ」

七海の頬を、再び涙が伝った。

「私も、かんちゃん…。ううん、土屋幹太君が、大好きです…。こんな、ポンコツな私ですが、どうか、よろしくおねがいします…」


ムードの欠片もない、放課後の保健室で。

俺と七海は初めて、唇に触れる程度のキスをした。


そのキスは少しだけ涙の味がして、それは間違いなく青春の味だった。

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