第33話

 目の前にはいつか見た古びた柱時計の部品のような無数の歯車があって、俺が声を上げる間も抵抗する間も与えることなく容赦なく音を立てながら俺の身体を切り刻み続ける。けれども、痛みや気持ち悪さは不思議なほどに感じなかった。それは三度目の経験で身体が慣れてきたせいなのか、今から大切な目的を果たす為に異世界に行く心構えがあるからなのかはわからなかったが、俺がどうであろうと歯車は変わらず俺をそれが仕事だと言わんばかりに刻み続け、気づけばテレビで見たことがあるようで全くないと思える街並みが目の前に広がっていた。


「ここは……」

「はい! ブーゲンビリア王国の王都、マソティアナです! 転移成功ですよ!」


 隣に立っていたモナミさんが魔法使い要素がローブしか無くなってしまいながらも元気よく説明してくれた。それにしてもあのエビフライ子とかいう女の子は一体何者だったんだろうか。とりあえず、こんな芸当が出来る時点で只者ではないんだろうけれども本当に魔王なのだろうか? どう見ても完全に女子小学生にしか見えなかったけど……いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。モナミさんが怪訝な表情で周囲を見渡しているのが何だか妙に引っ掛かるからだ。


「マソティアナであることは間違いありません。向こうにそびえ立っている巨大な城は間違いなく王宮ですから。ですけどおかしいんです」

「おかしいって……何がですか?」

「……とりあえず、王宮まで歩いてみましょう」


 俺はモナミさんに誘導されるがまま、王都を歩いていった。道中大小さまざまな建物や屋台が目に入ったけど店員らしき人はどこにもいないし、置かれている食べ物は地球のそれとはどこがとは明確に言えないもののどこか異なっていて、回復薬だったり剣だったり杖だったりも売られているのを見て現代の地球とは違う世界なのだということを改めて思い知らされた。この世界の他の町がどんな感じなのかは知らないが、王都であるので町は賑わっている……訳ではなかった。しばらくメインストリートらしき道を歩いていても、誰一人として出会うことはなかった。


「やっぱりおかしいです。王都がこんな静かなはずはありません。こんなはずは……ことは……」


 モナミさんはそれから無言でファンタジックな城に向かって歩き始めた。俯き加減で口を堅く閉めていて、今までのような明るい表情ではとてもなかった。そんな表情を見て、俺は頭に浮かび上がり続ける疑問を、口に出すことは出来なかった。


 *


 俺はモナミさんの背中を追いかけ続けて、とうとう王宮の中まで入った。RPGだとこういう所は警備兵なんかが門の前にいたりして普段は自由に出入り出来ない場所というイメージがあるけれども、王宮の中にもやはり誰もいなかった。


 ただ、一人を除いて。


「国王……」


 他のどの部屋よりも桁違いに広い部屋に辿り着いたところで、モナミさんは小さな声で呟いた後、足を止めた。何事かと思い、前を見ると煌びやかで赤い装束を纏った鮮やかな色の赤髪の老人が煌びやかで巨大な椅子に座り、頭を抱えたまま俯いているのが目に入った。


「モナミ……か……後ろの彼は……?」

「竹浦早斗さんです。マゼンタちゃんがでお世話になっていた方です」

「そうか……」


 モナミさんは、老人とそういったやり取りをした後、老人の目の前まで詰め寄りそのまま老人を右腕で殴り飛ばした。老人はそのまま椅子から落ち、赤い絨毯が敷かれた床に倒れた。


「……ハヤトさん。この方が、この国の国王で……マゼンタちゃんの父親の……カーマインです……マゼンタちゃんに……死ねと言った……」


 この人が、マーちゃんの父親……。髪色以外はあまり似ていない。……いや、娘を……マーちゃんを殺そうとした奴を、父親だと思いたくない。父親なら真っ先に娘を守るべきではないのか。そう思っているからそう見えるだけなのかも知れない。


「否定はしまい……私は娘を犠牲にして……この国を守ろうとした……だが結局はそれも向こうの思う壺で、全ては私を絶望へと叩き落とすための手段だった……娘を犠牲にしても何にもならなかった……それどころか……多くの民を見殺しにしてしまった……」

「何があったんですか!」


 モナミさんが声を荒げる。カーマインは床に伏せたまま黙って頷いた。まるで立ち上がる気力も奪われたかのようだった。


「先刻ここに……反逆者リベリオンがやって来た……変化魔法で兵士になりすまして侵入していたのだ……そして私の目の前で……この町にいる私以外の全ての人間を生贄にして……逆召喚魔法を使ったのだ……そしてぐったりとしたマゼンタを見せびらかし……活動拠点へと帰っていった……」

「先刻っていつですか!」

「二時間ほど前だ……」

「マゼンタちゃんは生きているんですか!」

「わからん……なんせ逆召喚魔法も召喚魔法も死なない程度に調整すれば使い放題だと喜んでいたからな……」


 モナミさんはまたカーマインを殴った。目には涙が浮かび上がっていた。


「そうだ……そもそもは私が娘を犠牲にして……魂壊竜こんかいりゅうを召喚しようとしなければ……」

「……魂壊竜というのは、文字通り敵対した生物の魂を崩壊させると言い伝えられている、伝説の竜です」


 モナミさんは、涙目のまま俺の方へと振り返り、説明してくれた。そんな竜……いや、もう信じるしかないのだと理解した。


「それに頼ろうとしたのが間違いだったのだろうな……そんな伝説の竜を縋って……娘を犠牲にしようとすることで……丸く収めようとした……娘も国も守る……そんな方法を考えても仕方ないと放棄した……私が……間違いだった……」


 モナミさんは深く息を吸って吐いた後、カーマインを玉座へと座らせ直した。


「もう後悔しても遅いのだと判る……反逆者リベリオンはこれから娘を利用して幾多の世界から人間を召喚し……私が統治するこの国に止めを刺す……もう私に出来ることは何も無い……君たちにも……何も……」

「そんな……」


 モナミさんは膝から崩れ落ち、声を上げて泣いた。カーマインは彼女を見て「すまない……」と呟いた――瞬間。


「君たちには出来なくても、私には出来る」


 俺の前に、金髪で白い衣服を身に纏ったハリウッドスターのような端正な顔立ちの男が突然現れた。


「あなたは……」


 モナミさんはその男を見て目を見開いた。カーマインは一体誰だという顔をして、口を開け――。


「私はアレグレン、神にも等しい存在だ」


 まるで何を聞かれるのか分かっていたかのように、男はカーマインに向かって高らかにそう言った。そして、モナミさんと目を合わせて言葉を続けた。


「君たちがマゼンタちゃんを守れなかった以上、私が干渉する他無くなったよ。なぜなら私が一番嫌いなのは魔王。魔物の王で変な格好で変な才能と変な思想を持っているのに偉そうだからだ。次に嫌いなのは小さな女の子を傷つけたり犠牲にしようとする奴だ。私はロリコンだからね。少女を犠牲にして国を守る? 馬鹿馬鹿しい。そんなくだらない国家はさっさと滅べばいい」

「そう……だな……」


 カーマインはアレグレンの剣幕に圧倒され、何も言い返すことが出来ないようだった。無論、俺も口を挟むことが出来そうにない。最初からだが。


「だからこの国はマゼンタちゃんを助けた後に滅ぼすことにするよ。滅ぼす役目はそれこそ魂壊竜に任せるけどね。私が一瞬で片づけるよりもそっちの方が滅亡らしいしね」

「ま、待て……魂壊竜は……」

「全部知ってるよ。でも私ならすぐにでも呼べる。生贄なんて必要ない。隙あらばすぐに魂を奪ってこようとするからあまり関わりたくないけどね」

「そうか……ならば……私はもうどうなってもいい…………だから……どうか……マゼンタだけは……」

「勿論最初からそのつもりだよ。私がこの世界で助けるのはマゼンタちゃんと、彼女を唯一守ろうとしたモナミちゃん、マゼンタちゃんの彼氏さんのハヤトくん、君たちだけだ。カーマインくん。君はせいぜいこの滅ぼされる世界で生き続けるといいさ。それが出来るかは保証しかねるけどね」

「それでいい……だから……頼む……」

「頼まれなくてもやるつもりだよ」


 アレグレンがそう言った瞬間、俺の目の前にマーちゃんが現れた。


「……ハヤト?」


 マーちゃんは俺を真っすぐに見つめている。


「マーちゃん?」

「ハヤト?」

「マーちゃん!」


 俺はマーちゃんを抱き締めた。


「ハヤト……ハヤトぉ!」


 マーちゃんも俺を抱き締め返してくれた。胸に温かい感触が伝わってくる。生きてる。マーちゃんは、生きている。


「マーちゃん!」

「ハヤト!」


 俺たちはそのまま固く抱き締め合い、キスをした。もう離れたくない、離したくないと、理性を越えて身体がそう言っていた。俺はそれに抗わなかった。


「マママーゼ!」

「モナミも……その……ありがとう」


 モナミさんもこっちに来てしまった。けどいいや、今は皆無事で、喜べるのが一番いい。


「あ、えっと……竹浦、くん?」


 俺たちがそうして喜びを実感していると、突如横からそんな声が聞こえてきて咄嗟に振り返った。


「我らもやるか? 激しい抱擁と接吻を」

「いややらないよ!」

「あたしとも……嫌……?」

「つばめさんとは喜んで! っていうか何!? もう連れて戻ってこれたの!? もっと壮大で命懸けの大冒険って感じで送りだしたのに僕!」


 マーちゃんに夢中で周囲に目が向いていなかったが、改めて確認するとそこはさっきまでいたカラオケルームで、そこには斉藤本太郎さんと奥さんであるつばめさん、娘で魔王らしいエビフライ子……さんがいたのだった。

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