第43話
「何の話だ」
図星とほのめかされようと返すレフは頑なだった。
「そういえばトムは駆け引きが上手かったっけね。最初、てっきり見えているのかと勘違いしたくらいだ」
「貴様はそうやって裏で SO WHAT を操ってきた。リーダーだと思われていたスタンリー・ブラックさえもだ」
挑発的な口調がむしろ百々の鼓動を早くさせる。ジェットも声のトーンを上げていた。
「おかしいんじゃないかな。質問しているのは僕の方のハズだけど……」
だが続かず、高ぶる気持ちは抑え込まれる。
「まぁ、いいか。たいした事実でもないから出し惜しみする気はないよ。その問いに答えるなら違う、だね」
「違わない。仮想空間に結成された集団へ実行力を与え、貴様が真のテロ組織に仕立て上げた。全ての首謀者は貴様だ」
「そっか」
などと譲らぬレフに吐いたジェットは気が抜けたような具合だ。
「ならそっちのトムに聞いた方が早そうかな」
視線を百々へと反転させる。
「好みじゃないけど体に、ね」
「へ?」
目を点と瞬かせる百々を前に、ジェットは傍らの黒い顔へアゴを振った。待っていたように百々へ向かい、その足は一直線と繰り出される。
「歯医者さんごっこ、って知ってるかな?」
見送りつつ問うジェットには不穏の二文字しかない。
「おっ、大人はごっこなんか、やらないですぅっ!」
精一杯に張った声は、黙秘を貫くレフへの最大の援護だ。だが次の瞬間にもアゴを掴み上げられる。ペンチは目の前にかざされていた。赤黒くサビのまわった金属のくちばしを前にしたならば、否応なくあった心積もりも揺らぎに揺らぐ。見透かしてペンチは口の中へと押し込まれていた。力には「フリ」のような手加減などなく、酸い鉄の味をまき散らして奥歯を掴もうとして動く。
抜くつもりだ。
予感を飛び越えた確信が百々の背筋を凍らせる。たまらず声は上がっていた。
「分かったッ。話す」
押し留めたのはレフだ。
それこそダメだ。
力の限りそんなレフへも百々は唸り返す。
「ウィルスは女が処分した」
言うレフの声をただ聞かされていた。
「バイオテロが引き起こす世界規模の風評被害。それが貴様らの目的だ」
おかげで助かったハズだというのに、襲い来るこの絶望感こそなんなのか。吐いた息と共に涙は勝手と目じりへ滲み、どう解釈することも出来ず百々はまたしゃくりあげる。
「それは君らの手を離れた情報なのかな?」
確かめるジェットは用心深い。
「誰も知りはしない。俺たちがあの場所で聞いただけだ」
「他に僕のことについては?」
「何も知らない」
「それは嘘だ」
弾かれた指がひとたび合図を送る。受けて身構えなおした男に百々はひとたび身を跳ね上げた。
「別名、ナイロン・デッカードッ」
制するレフの声は鋭い。ついたため息で本当にこれ以上はないと締めくくる。
「ハボローネが使えなくなったんだ。あそこまで来てバレないはずはないと思ったよ」
同時に二度、指を弾いたジェットが遊戯へ終止符を打つ。
「トムは勇敢で紳士だ。おかげで僕も嫌いな血を見ずにすんだかな。ありがとう」
などと解放されたところで、こぼした涙は百々の頬へやたら熱い痕を残して止まなかった。なにしろ引き換えに得た無事こそ完膚なきまでの敗北なのだ。やるせなさが代わって嗚咽をこみあげさせる。
「戦争屋がふざけたことを言うなッ」
吹き飛ばすレフの声は感情的だった。
「それは僕の前にいたナイロンだ。僕は好んで煽るようなことは何一つしていない」
「詭弁だ。少なくとも貴様が介入しなければテロは起きなかった」
「だから僕が首謀者だって? それじゃバカの言い分だよ」
肩をすくめてジェットは首を振る。
「いいかい、僕はただリクエストに応じただけさ。そこに需要があるから供給した。解放してやっただけのことさ。後のことこそ彼らと君らで話し合えばいい。僕には関係ない。いや、僕は感知しない」
そう、「解放」という言葉は随所で聞かされてきたものだろう。耳にして濡れた頬のまま百々はジェットへ体をひねっていった。ジェットが入って来たと思しき入口を頭上にとらえ、その向こう、壁際に自分も寝かされているのだろう作り付けのベンチシートがあるのを確認する。区切って手すりは数本、電車の中のように立っているのを目にし、その一つに後ろ手を通し座り込むレフの姿を初めてとらえる。
「君らは君らの正義を行使することで昨日と同じ明日を維持したいらしいね。巷もそれが日常で平和だと信じてる様子だ。けれど僕から言わせてもらえばそんなもの日常とも平和とも言わない。そいつは不平等って犠牲の上にある真っ赤な嘘、デタラメさ」
向かいで講釈を垂れるジェットの余裕が受け入れがたい。そんな二人のさらに向こうには、あろうことかスペースに入りきらぬ翼を折りたたんだグライダーが据え置かれていた。
「こうして僕らのところへ押しかけて来るように、日々はファシストの手によって刈り込まれた都合のいいデタラメさ」
開かれたキャノピーの中を、百々の傍らを離れた男が覗き込んでいる。
一体ここはどこなのか。
倉庫のようだがそうでもなく、見回し百々は壁にあいた数個の窓を見つけて目を凝らした。だが真っ赤な窓には町も、枯れた草原も映っていない。ただ霧がかった遠近感のない風景がのぞくばかりとなっている。
「戦火の火種に、スタンリー・ブラックのような構造への不満。殲滅されようとしている菌だってそうかもしれないよ。彼らは君らの嘘の犠牲者さ。君らの言う日常がデタラメだという事を明かして真実の声を上げたおかげで、君たちの日常のためにこうして駆逐される対象になった。違うかな」
考えさせるようにそこで一息、ジェットは挟んだ。
「僕はそんなファシストの手によって抑圧された世界へ、正しい日々を取り戻してやっているだけさ。不平等と抑圧されてきた彼らを解放してやっているだけだよ。事実、僕が意思のあるところへ吸い寄せられても僕の意思で動いた話はひとつもない。まぁ、マイニオやミッキーみたいにまやかしの世界へ戻りたい、なんてがっかりさせる奴らへは最後の仕事で勉強してもらったくらいかな」
とキャノピーから男は顔を上げた。
気付いたジェットが軽く手を振り返してみせる。
「いいかい、僕は戦争屋でもテロリストでもない。全てにおいて平等な正義を施行する、真の日常を愛してやまない者だよ。トムからすれば物騒な輩かもしれないけれど、偏見の目で見るのはよしてほしいな。言うならむしろ僕こそが、本物の平和主義者ってヤツだ」
合図し終えたその手でジャケットの襟を立てた。
「だから血は好まない」
ピタリ合わせた前のジップを一気にアゴまで引き上げてゆく。
「安心していいよ」
どこが、と思えるセリフを吐くとポケットから、一組手袋を抜き出した。
「色々知り過ぎたからって、今ここで殺したりはしない」
振って広げ、きつそうに片手ずつを通してゆく。
「残ってもらうだけだ。あとはお互い神のみぞ知るってことにしよう。天秤がどちらに傾くか、それは君らと僕のバランスにかかっている。最近のオートパイロットは有能みたいだからね。すぐ落ちるってこともないらしい」
「おっ、落ちる、って?」
星と疑問符は、とたん百々の目から飛んでいた。
「ナイロン・デッカードことジェット・ブラックは自家用機と共に海に沈んだ。……足のついたロン、って名前ともこれでおさらばだ」
「貴様、最初からそのつもりでッ」
絞り出したレフの声は、さらなる熱を帯びている。
「二階級特進おめでとう。いや、それとも運が良ければまた地上で会おうかな、公安のトム」
壁際へと回り込んだ男が大ぶりのボタンを押し込んだ。
「何、落ちるって……。オートパイロットって。これっ、飛んでるの? 飛行機の中、だってことっ?」
なら答えてグライダーの向こう、壁面だったそこは上下に割れる。我てゆっくりと、実にゆっくりとだ。開いてその隙間から窓の外にあった赤をのぞかせていった。伴いあり得ない勢いで吸い出されてゆく空気が、気温を急激に下げる。のみならず吹き荒れる風の唸りと、バカがつくほど大きくなったエンジン音をこれでもかと辺りに響かせた。
「う、そぉ」
つまりここは空輸機の格納庫だ。ゆえに全開となったハッチの向こうは夕焼けか朝焼けか、空が広がる。
見届け男がグライダーの後部座席へ潜り込んだ。ジェットもまた暴かれた全てを捨て去り操縦席へ身をひるがえす。なら落ちる落ちないの問題はもう、ここに操縦桿を握る者がいないという話に集約されていた。
「うそ、やだっ! 待ってぇっ!」
百々は叫ぶ。
だが唱える正義に従い足を進めるジェットに立ち止まる気配はない。そんな彼の向こうに公平極まる正しい世界はのぞくと、行かせてしまえばおそらく確定するだろう明日はちらついた。
「待ってよぉ。ねぇってばぁっ、お願いしますぅっ!」
その公平を受け入れ歓喜する人は果たしてどれほどいるというのか。
でないなら、何をもって正義と呼ぶのか。
懇願しても振り向かず、振り向かないそこに在りし日の百合草の言葉は蘇る。
大多数の幸福に準ずることが正義の大義だ。
だからこそ、そこに振りかざしてまかり通る理由は生まれる。日常はそうして続き、守られ、創られ続けていた。幾度となく破壊されようと、困難に失おうと、涙に暮れても、絶望に立ち尽くしたとして、記憶を埋め尽くす在りし日を彩ってきた笑顔のままに、明日は明日と呼び込まれ続けていた。消し去ることも手放すことも出来ないなら、例外なくそれはフツフツと百々の中へも腹の底から沸いてくる。走馬灯がごとく在りし日の笑みに笑みは、織りなす日々のイメージは、譲れず明日を呼び込まんと広がっていった。
「ジぇっ、ジェットの……」
教えて百々は意を決す。
「ばか、ぶぁーかぁっ! ワンワン、逃げ帰るのは、そっちなんだからぁっ!」
いや、そもそも一言、言ってやらなければ死んでも死にきれなかった。
「絶対、絶対、帰って言いつけてやるんだからぁっ!」
罵声にさすがのジェットも素っ頓狂と、グライダーへ手をかけたところで振り返る。
「レフだって言ってたんだもん。絶対帰るって、言ってたんだもんぅ! だってレフには超美人の彼女がいるんだからぁっ! こぉんなところであたしと死んでる場合じゃぁ、 ないんだからぁっ!」
そうして明かす超絶個人情報。
それはよけいだ。
おかげで振り返ったレフの真顔が恐ろしかろうが、怯むようでは相棒など務まりはしない。
「あたしにだってタドコロと約束があるんだもんっ!」
百々は続ける。
「帰ったら絶対、絶対、返事してチューするって決めたんだぁもんっ! そんな相手もいないから正義だとかバランスだとか、よくじつだとか」
いや、そこは抑圧だ。人の話はちゃんと聞け百々。
「なんっか、人を困らせることばっか言う人になっちゃうんだよっ。大事な人がいるから明日も今日と同じがいいんだよっ。大事な人の笑う顔が見ていたいってみんな考えてるんだよ。イメージするんだよっ! だからみんな頑張るんだよっ。その中にあたしの明日と、みんなの明日と、本当の正義は詰まってるんだぁっ! だからぜぇったい、帰ってやるぅって決めたぁんだぁっ。テロなんて、死んでも、起こさせなぁいぃっ!」
とまぁ、自分もばらしたなら痛み分けか。
「てい、ほどけぇー、ばかー。アンタのおでこに肉って落書きしてやるぅー。うー」
喚いて体を揺らしに揺らした。
様子にジェットも思わず吹き出す。
「なら試そうよ」
嬉々と瞳を光らせた。
「僕の存在意義もそこにある。そして僕の成すべき正義もそこにある。トムとジェリーだ。互いが存在する限り、心行くまで追いかけっこしようじゃないか」
繰り出す動きは逃した日本で軽自動車へ飛び込んだあの身のこなしと同じだ。声を上げて笑いながら操縦席へ潜り込む。すかさずキャノピーを閉じると、開き切ったハッチをスロープに変え、グライダーを後退させた。
「わー、逃げるな卑怯者ぉっ!」
鼻先から伸びるワイヤーがギチギチ音を立てている。機上で結ばれていた三角の翼は解かれて広がり、申し訳程度についた車輪がハッチを踏み外した瞬間だった。タイミングもばっちりと機体からワイヤーは切り離され、グライダーは落ちるように百々の視界から消える。後にいくらも後方でフワリ、浮き上がったのが最後だ。赤い空の中、あくまでも優美に旋回してみせる。見る間に機影を小さくしていった。
「あー、あーっ!」
引き戻す術があればなんだろうと惜しまないだろう。だが叫んで突きつける指すら今はないのだ。現実はあまりに虚しい。そしてそんな状態で正真正銘、風、吹き荒れる無人の機内に取り残されていた。喚く声もついにそこで枯れ果てていた。
「さっ、最終回ら……」
「場合かッ」
言う百々をレフが叩き起こす。
「ずびばしぇんぅっ。全部あたしのせいですぅっ」
反射的に謝る、負い切れない罪。
「後でいいッ。そんな事より今すぐこっちへ来いッ」
ジェットが現れる前、拘束を解くと言っていたあの続きだ。ならもうこれ以上、足を引っ張るわけには行かないだろう。合点承知で百々は身をくねらせる。が、動きは早くも止まっていた。
「って、だめ、だめっ! それ、落ちる、落ちるってばぁっ!」
何しろハッチは機を排出すると、レフの傍らで開け放たれたままとなっている。もう百々の脳裏には縛られた足でジャンプ、勢い余ってどんぶらお空へダイブというコントのような構図しか浮かんでこない。
「落ちないッ」
「嘘だぁ。だって足もくくられてるんだってば。起き上がれるかどうかもわかんないしぃ」
「嘘じゃない、起き上がれるッ」
言い切るレフの根拠こそただただ怪しい。
「無責任ぅっ!」
「なら、このまま死にたいのかッ」
「それはっ……」
死んでもいい、とは言えなかった。究極の選択に返した百々の声も自然、低くこもる。
「……やだ」
「絶対テロは阻止するんだろ。阻止して帰って、タドコロと会うんだろッ」
たたみかけるレフにスキはない。
「……ぅ……会うぅ」
そう、これもまた諦めづらい話だった。だが頭の中ではけれど、だけど、が吹き荒れる。それ以上を制してまくし立てるレフに容赦はない。
「俺の尻ポケットに匙が入っている。覚えているか。バーバラの昼飯についていたやつだ。ビニールテープくらいなら切れるかもしれない。だが自分の手は届かない。お前が取って俺に渡せ。早くしろ。酸素が濃い。気流が乱れたならすぐにも落ちるぞ」
それは困ると顔を上げ、そうして目の当りにしたハッチの向こう、揺れて上下する空に百々は無理だよ、とはたまた頬をすぼませた。そんな百々を動かすためならもう何でもアリらしい。伝わった戸惑いを吹き飛ばして、レフはこれでもかと怒号を飛ばす。
「タドコロと会ってキスするんだろッ。それも諦めるのかッ」
なら百々の脳裏を巡るのは、悔やんでも悔やみきれないあれやこれやだ。
「……する、もん」
挙句、誰に宣言しているのか。
「だったら余計なことは考えるなッ。落ちない。辿り着ける。だから早く来いッ」
煽られうー、と百々は唸り声を上げた。唸ってやるしかない、と妄想と恐怖に見切りをつける。えいや、で台から足を投げた。
「だってさっ! ブライトシートでのこと覚えてないって言うんだ……っ!」
が案の定、足だけではなく体ごと放り出される。だとして出せる手がないのだ。顔面から床へ落ちた。
「ぐげ」
女の子なのに。思ったところで助けてくれるような人こそいない。赤い額とへの字に曲げた口でゴロリ、仰向けになる。
「そんなの、ひど過ぎるよぅっ!」
吠えて今度こそどこへも落ちようのない床の上、台を頼りに上半身を起こしにかかった。
「だから」
束ねられた足を体へと引き付ける。
「だからぁっ!」
前屈みでグイと尻を持ち上げた。勢いあまって前へ転がり出しそうになろうとも、揺れた機体に押し戻されたなら御の字だ。ままに座り込んだ場所も今まで寝ていた台の上とくれば、それだけで最後までいけるんじゃないかとさえ過りだす。よっこら、どっこい。力に変えて、百々はついに立った。
「だから帰って」
バランスの悪さに細心の注意を払いつつ体の向きを変えてゆく。
「だから帰ってもう一度やり直すって、決めたんだもんっ!」
レフを目指し飛び跳ねた。
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