第40話
滑走路を横切る。容赦、手加減ないそんなレフの走りっぷりに、それこそ足を引っ張っていない証拠だと割り切った。だがおかげでとにかく息が切れる。ならばちょいと止まって一服休憩。ゆきたいところだが飯もついえた、英語も話せぬ、野営の知識も持たぬ百々がダチョウも通らぬド田舎の、枯れて荒れたこの地に置いて行かれてなお、あははと笑って過ごせる道理がない。だからして走る。そういう理由も兼ねているから根性、絞り出し走り続けた。こんなことなら田所と遊んでいる場合じゃなかった。鍛錬怠った後悔すら背負い走りに走り、走り切った。
「うご、あが。吐く」
辿り着いた管制塔の足元で手をつき悶えること、しばし。
かまわずレフは、伝った壁のついえた角から早くも隣り合う格納庫へ頭をのぞかせている。誰もいないことを確かめたなら、振り返りもせず駆け出していった。
「どぉ。わた。待って」
ギブアップが許されないという点では、追い回された階段室よりキツいのではなかろうか。百々も再び追いかけ駆け出す。
と、イヤホンから聞こえてきたのはレフの声だ。
「黙ってついて来い」
「はっ?」
なるほど。ホイたら、ソラたら、ヨイヤたら、いつからか上がっていたのは掛け声だ。取り急ぎ百々はその締りのない口を閉じる。近づいてくる格納庫らしき平屋はずいぶん奥行のある細長い造りをしていた。近づくほど低い屋根に並ぶ天窓も目につき始める。
いち早く辿り着いたその壁へレフが背をはりつけた。
ゴールだと思えば踏ん張りは利いて、百々も遅れて隣に飛び込む。
「ずは。ぐは。だぁ、黙ってたら、息、止まってたよ」
などとそれはどうでもいい報告にほかならない。聞き流してレフも見ろ、と滑走路側へアゴを振る。車両はそこに停められていた。言うまでもない、ミッキー・ラドクリフが乗り付けた車両だ。車体にはしっかりWHOのロゴも貼られている。恐らく持ち去った地図を頼りにここまで車両を走らせたのだろう。
と考えておや、と顔を歪ませたのは百々だった。
「レフ、おかしいよ」
だがすでにきびすを返したレフは動け、と百々を促している。
「管制塔の入口は滑走路から見えていた。奥へ行ったなら入るつもりはない。この建物から確かめる」
「あたしたちより何時間も先に保健所を出てるんだよ。どんなにゆっくり運転したからって、ここまで時間かかり過ぎじゃないかな」
従いミッキー・ラドクリフが消えた方向へと格納庫沿いに足を進めながら、とにかく百々は訴えた。片側にあった壁が途切れたところでレフは辺りを見回し、向こう側へと頭を突き出してゆく。
「それにさ、まっすぐなのに地図いるかな。あたしだって覚えられるよ」
引き戻してようやく百々へと振り返った。
「どこかに寄った」
「そんな気がする」
サングラス越し合った目に百々はうなずく。黒いガラスの向こうでレフの目は、間違いなく言っとききつく細められていた。
かと思えばホルスターから銃を引き抜く。途切れることなくスライドを引いた。
「見てみろ」
のぞいたばかりの方向へアゴは振られ、従いそうっと身を乗り出した百々の目に左右、全開とされた格納庫の大きな扉は映り込む。
「違う。地面だ」
訂正されて視線を落とせば、刻まれたばかりの真新しいタイヤ痕はあった。それは引き戸の敷居をまたぐと数本、格納庫の中と外つないで伸びている。
「女も、乗った車両が外へ向かったとしても、この視界だ。姿は見える」
言わんとしていることはもうそれだけで知れてならない。
「中に?」
振り返ったそこでレフは安全装置を外し終えた銃を、元の位置へ押し込んでいた。
「仲間が来た。中で落ち合っているとみて間違いない。ここで待つか?」
「帰ってくる?」
即座に確かめていた。
「報告出来るだけを確認したなら戻る。ただし」
だが言うレフに過るのはあの予感しかない。
「場合によってはウィルスの回収と女の確保に踏み切る。帰らない時はオフィスへそう連絡しろ。お前自身の指示を仰げ」
案の定と百々は眉に肩を跳ね上げていた。
「それっ、振り切られる前に捕まえるかもってことですかっ?」
「追いついた。逃がすつもりはない」
「わぁわぁ。きたきたぁっ。それ、だめだめっ」
小躍り、大踊り。全勢力を傾け押し止める。だがレフは聞いちゃいない。次の瞬間にも身をひるがえす。角の向こうへ飛び出すと、開いたままの扉の脇へ背を張り付けた。チラリ、中を確認したかと思えば吸い込まれるような具合だ。中へと姿を消し去った。
「うぁっ。だめって言ってるのにっ!」
もう、じっとしているなど出来ない。追いかけ百々も飛び出す。入れ替わりで同じ場所へ身を添わせた。だがそこから先こそ肝心だろう。勢いでのぞき込みかけて思いとどまる。パニックなのか、運動量のせいなのか、乱れ切った息をいくらか整えたその後で、横文字ではなく、いち、にの、さん、だ。臭いからして埃っぽい格納庫の中へと頭をのぞかせていった。
飛行機は見当たらない。
ただ木箱が、重機が、空港整備に使うのだろう数々の備品が、倉庫よろしく保管されていた。それらは所によっては天井に届きそうなほど高く、投げ込まれただけのように雑然と、広い空間を迷路に仕立て置かれている。照らす明かりは頭上の天窓だけらしく、その至る所にひんやりと濃い影は落ちていた。無論、そのどこにも人影はない。ただ紛れ込むようにレフだけが、タイヤ痕の終着点、隅に停められた二台のバンの傍らに身をひそめていた。
見定め百々は前のめりとなる。
蘇った声にたちまち勢いを削がれていった。
つまるところ一線を越えて引っ張る足で、レフを危険に晒すのか。
想像して負えない責任に、何より怖気づく自分の頼りなさにうろたえる。
「あは」
だからこそひっこめた頭で空を仰いだ。放つ笑いで無理にでも余裕を作りにかかる。作って、行くのか、待つのか、いや自分がすべき事は何なのか。考えた。選ぶにあたう経験も根拠も持たぬなら、振り切って白く弾き上がったそれに目を奪われる。目の前へ落ちてきたそれを受け止めてみれば、いつしかの枕だったとして続く動作こそ条件反射などではなかった。そう、今日こそ無事に帰さねば、あの日以来の自称だろうと「みんなが納得して誰も怪我しない方法担当」はここぞで名倒れだ。
「まかせな、さいっ……」
引けていた腰を入れなおす。レフの背はといえば、まだ同じ位置にあった。めがけて、えいや、で百々は駆け出す。慌てず騒がず、運転席の窓越し、奥へと目を凝らすレフの隣へ滑り込むと屈みこんだ。
「待たない」
言ったところでサングラスをはずしたレフは、窓の向こうを眺めたままだ。
「俺の前へは出るな。間違ってお前を撃つ可能性がある」
「そぅ、そっちですか」
とりあえずつっこむが、そもそもそういうお約束だ。
「心配してない。ドンパチさせないために来たから」
言葉にようやくレフは振り返る。
「だって、レフがここで怪我したら本当に誰も追えなくなるんだよ」
顔へと百々は指を立てた。
「でも、ギリギリまで」
「お前はいつから俺の上司になった」
相変わらずの返答に、あはあは、笑ってとにかくしのぐ。
「大丈夫だってば。自分より薄給の上司はいないって」
一部始終にフンと笑ったレフは、再び前へと向きなおっていた。横顔はいつもとなんら変わらないはずだった。だが何かが違う。感じて百々は「あ」と息をのんでいた。それはTシャツのせいでもなんでもない。これまで必ず土壇場にあったあのカドは、確かにレフの表情から抜け落ちていた。思いつめたような頑なさは姿を消すと、そこに確かと余裕をのぞかせている。
なら、そうかと閃くに時間はかかっていない。見ていなかっただけなのだ。その間にレフは案外、たくさん笑ったんだと思いなおす。たとえ距離が離れていようと相手がいたなら想像することは、実に容易いことだった。
すごいよバービーさん。胸の内で呟きはもれ、きっと突き刺した注射には解熱剤の他にも何か、痛み止めが入っていたのだと思う。
「壁伝いで奥を確かめる」
呼び戻してレフが進行方向を指し示した。百々が視線を走らせたそこへ、手で床を撫でるほどの姿勢を保ち駆けてゆく。高く積み上げられた木箱と壁の間、黒く塗りつぶされた影の中へと潜り込んだ。おっつけ百々も合流したなら、そろって奥へと足を進める。
両手を広げたならついてしまいそうな細い回廊の果てで、頭上より射しこむ光が白く弾けていた。近づけばその中に蜘蛛の巣が絡んだフォークリフトは見えてくる。すっかり目も慣れて来た頃だ。声は微かと割れて辺りに響き始めた。反響のせいで何を言っているのかまでははっきりと聞き取れないが、変わりようがないのは声色で、咄嗟と百にレフのTシャツを掴ませる。
つうやくの おねえさん の こえ
こえ まちがいないよ
引っ張られて振り返ったレフが、訴える百々の口の形を読む。
歩みはなおさら慎重にならざるを得ず、最後、肩で木箱を手るとついえた角で立ち止まった。
「誰も聞いてやしないわよ。それでもこっちがいいなら付き合う」
瞬間、まごうことなき日本語は耳へ飛び込んで来る。通訳、いや看護師を装ったテロリストか。ミッキー・ラドクリフの声がつづっていた。
「言われたとおり、処分は済ませたわ」
周囲は開けているらしい。まだ残る残響が感じさせる。位置は斜め右前方、いくらかの距離があることも測った。
「中を確かめる?」
投げかける言葉が、そこにもう一人の存在を知らせる。
確かめレフも体を傾けていった。
「緊急連絡」
遮りイヤホンから百合草の声は漏れ出す。
「ナイロン・デッカード、武器商人の正体が判明した」
踏み止まればガサリ、とのぞき損ねた場所で置かれた保冷庫が音を立てる。続く金属音はフタを開ける間合いと完全に一致していた。
「ナイロン・デッカード、別名ジェット・ブラック。容姿からも我々の追うジェットと同一人物で間違いない。いいか」
止まることなく吐き出してゆく百合草の語気は強い。
「我々はジェット・ブラックを共謀者だと認識していたが、それは誤認だ。ジェットこそ支援者のロン。ロンでありナイロン・デッカードだ。同一人物であると考えたならハボローネという地の利も、重火器提供の自由も腑に落ちる。このタイミングでアフリカへ渡航したワケもだ。いいか」
まさか、と奥歯を噛んでいた。
「ウィルスの受け取りにミッキー・ラドクリフの元へ現れるぞ。間違っても共謀者と誤認、確保には踏み切るな。現れた地点で報告。ハボローネの二の舞を踏むな。距離を取れ。態勢を整える」
とたん、ぼむ、と保冷庫が閉じられる音は響いた。
「好きにすれば?」
「聞いているのか!」
ミッキー・ラドクリフは何者かへ促し、ない応答に百合草が声を荒立てる。
「こんなカラ箱でも必要だなんて。とんだ嘘つきだわ、アナタ」
だが状況が状況だ。答えて返すことこそできない。
確かめレフはただ止まっていた動きを再開させる。
「既成事実っていうのは、大事じゃないかな」
聞えて思わず動きを止めていた。
会った覚えがあるハズだと思う。とたん目の前に浮かび上がってきたのは取逃がしたあの路上で、間違いない、トランシーバー越しに聞いたあの声は今ここに響いている。
「ともかくきみにはお疲れ様、って言っておくよ。こっちもIRカメラに映って来たしね。これで確かにウィルスは僕らの手に渡った。文脈さえ通ればそれでいいんだ。何しろ本当にバラまいたら僕らだって危ないからね。ほどほどにしておかないと」
会い、話したが、会って話しはしていない。そのちぐはぐがネックだった。
「あとは SO WHAT が上手くやってくれるよ。噂が感染すれば、このテロは成功なんだ」
そしてさっぱり変わった髪の色に長さ、メガネさえもが盲点だったのだと分かる。写真と違わぬジェット・ブラックは、身軽さが忘れがたい眼鏡男の声を放つと、うかがい見たそこで支援者ロンの企みをラドクリフへと明かしていた。
「解放、するの?」
確かめるラドクリフは懐疑的だ。
「ありのままの事実を伝える。僕は正義を行いたいだけだよ」
答えたジェットはそこから一歩、退いてゆく。とたん強い光の向こうで影だと思っていた背景は揺れ動いた。なるほど、一人で二台の車は運転できるはずもない。一、二、三、四、五まで数えてレフは諦めた。武器商人、ナイロン・デッカードの付き人らしく手に手に銃器を握りしめた黒人たちは壁と浮かび上がってくる。その黒い腕で保冷庫を、ミッキー・ラドクリフの前から掴み上げた。
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