第36話

 しこうして百々は宿泊所の位置を地図の中から見つけだし、宿泊所へかけた電話を再びレフの耳へ押し付ける。その後、ミッキー・ラドクリフへも通話を試み、有難いことに先方が出なかったなら変わらず飛ばすジープの上で昼をとった。

 蒸しパンだと思っていたバナナの皮の中身は芋らしく、付属の薄い匙のようなナイフで切り分け渡せば最後のひと口を咥えたままで、コロゴの町中へとレフはハンドルを切ってゆく。そこでグンとジープは速度を落としていた。

 集落と広がる一帯は、土塀と軒の低さが時代劇かなにかのセットのようである。どれもレンガとワラで設えられると、赤茶けた小屋の間を好き好きに行き交う人々や家畜を避けて宿泊所を目指した。その近道が右回りだったとして、左回りでも到着すれば問題なしだろう。明らかなよそ者ゆえ、止まったジープに周囲からの視線は刺さる。粗相のないよう百々は食べた後のゴミを綺麗にまとめ、くわえていたナイフを尻ポケットへ押し込んだレフと共にジープを降りた。

 見上げた宿泊所の建物はリゾートコテージに近い。だが肝心のリゾート施設を持たないそこは代わりに、WHOのマークを掲げていた。

 先もって電話で不審者でないことを確認させた管理人との話は早く、道端でコークでも売っていそうな若く愛想の良い地元民の彼は英語も堪能だったなら、ミッキー・ラドクリフは昨日、午後からほとんど部屋にいたと、今朝に至っては彼女に次いでルームメイトが仕事に出て以降、部屋に出入りはないと教えられる。ついで中を改めたいと申し出たレフへ、わらぶき屋根の小屋を指さし、二つあるうちの左の部屋だ、とスペアキーを受け取った。

 礼を言ったレフは、強硬手段を取ればものの一分で突破できそうな薄い木造のドアへ鍵を挿す。

「わ、ちょいまち」

 ひねる寸前で声を上げたのは百々だ。

「なんだ」

 振り返ったレフの顔はもうすでにうるさい、と言っている。だとして何をさておき思い出さずにおれないのはハボローネの一件だろう。鍵を差したレフの袖を百々は掴んで揺すりに揺する。

「開けたら爆発するかもしれないよ」

 が、前へ向きなおったレフは問答無用だ。鍵をひねるとドアを引き開ける。

「ひょ、わぁたぁっ!」

 繰り出す百々の小躍りにもアフリカの精霊が宿る。

 ほどに滑稽なだけで爆発は起きなかった。

「しない。後からルームメイトが出ている」

 吐き捨てレフは踏み込んでいった。

「……あ、そか。て、ひどいよそれ。先に言って下さいってばっ!」

 百々もレフを追いかける。


 だがしかし民間企業のフットワークが危機管理に見合うものであるかと問えば、それなりに、が限界だった。乗り込む先を見定められぬままハートとストラヴィンスキーはオスロー空港から戻った署内、借り受けた会議室の一角でしばし時間を持て余す。

 埋めてつないだのは、こうなるなど予想もつかず用意されていたジェット・ブラック、その組織に関する情報となる。トーマスはそれら写真に資料を壁へ、順に貼り付けていた。

「まあ、どいつもこいつもジャンキー上がりといったところで、ジェットも元は組織の下層からのし上って来た口だといわれています。ただし……」

「そこまでうまく立ち回れたのは売りはしたが、自分は手をつけなかった、ってことですね」

 張り終えられた資料はさながらパノラマとなり、一望してストラヴィンスキーは言葉を継ぐ。

「でしょうなぁ」

 瞬間、電話は背後で鳴っていた。弾かれ振り返ったトーマスが机へ這いつくばるようにして取り上げる。二言、三言、返した視線をハートへ投げた。

「サーバー元からです。所在が割れましたよ」

「どこだ」

 受けてハートが傍らのパソコンを操作し始めたストラヴィンスキーへと振り返る。

「びっくりしないでください」

 口調は至って冷静なままだ。ままにストラヴィンスキーはパソコンのモニターをハートたちへ向けなおした。

「発信者の所在地もオスロー市内です」

 しない地図は表示されると真ん中にひとつ、赤いピンは立っている。

「踏み込むぞ」

 睨みつけたハートがトーマスへアゴをった。だがトーマスの返事こそかみ合わない。

「それはここですよ」

 やにわに先ほど貼り終えたばかりの写真へと駆け寄ってゆく。目はそれを次から次へ舐めてやがて、一枚の上でピタリ、止まっていた。

「その住所はここです!」

 歩くジェット・ブラックを、その背後に映るアパートを押さえつける。


「嘘でしょ?」

 かたやオスロー空港内。ハナは肩を跳ね上げていた。だが自分の手配したスケジュールだ。返すオペレーターの口調は強い。

「次の便は二十四時しかありません。到着も十二時間後ですので、テロ予告時間に間に合いません。それに乗ってください」

 だからこそ確認せずにはおれなくなる。

「NATOの輸送機に乗れってあるけど、本当に大丈夫なの?」

「基地の方には了解を取っています。離陸は三十分後。同乗して下さい」

 もうこうなれば戦闘機でなかったことをよしとするしかない。ハナは残り時間に合わせて思考を切り替える。

「分かった。スーツケースは捨てていくわ。ホテルの始末、ストラヴィンスキーにでも頼んでおいて」

 いや、彼はこの組織内そんな立場なのか。

 しかしここでも迷うことなくオペレーター返していた。

「了解しました」


 見回せば宿泊所は土壁で仕切られた、現地ならではの造りをしていた。並ぶ部屋の入り口にドアはなく、代りに布は吊るされると左に掲げられたミッキー・ラドクリフのプレートを見つける。見れば右はバーバラ・ウィンストン、バービーの部屋だった。

「あ、ルームメイトってバービーさんだったんだ。後でちょっとのぞいてく?」

 誘う百々へ、サングラスを外して振り返ったレフの睨みはそら恐ろしい。

「じょ、冗談だってば」

 籐製のベッドと同じ素材のチェストがまず目に入っていた。ミッキー・ラドクリフの部屋はそれ以外、片付けられたどころか使われた痕跡のないほどに何もない。様子は明らかに数日で立ち去るつもりだったことを裏付けるものだった。

「こんなじゃ手掛かりなんて何もないよ」

 早くもギブアップと立ち尽くす隣でレフは天井にまで視線を這わせてゆく。

「動く前から決めつけるな」

 チェストへと歩み寄っていった。

「いくら今日ここを発つと計画していていも、仕事場へスーツケースを持ち込むマネはできない。捨てるには目立ちすぎる」

 次々と引き出しを引き抜いてゆく。向けた背で、いいか、と百々へ呼びかけた。

「人気のない片田舎でテロを起こすようなことはない。ここでウィルスを撒くにせよ別の空港へ実行するにせよ、アビジャンだ。テロの効果を上げるなら必ず女はそこを通る」

「あ、じゃ向こうで捕まえてもらったら……」

 だがそれは浅知恵でしかなかった。

「忘れたか。アビジャンはジェットを不正入国させた疑いがある。アテにはならない。だからといって俺たちで先回りしたところで空港の広さは手には負えない。時間の無駄だ。介入しない」

 チェストに何も入っていないことを確認したレフは屈みこむと、床へ頭を擦り付けた。チェストの下を、ベッドの下へくまなく視線を走らせてゆく。

「問題はいつ女がアビジャンを通るか、だ。女の現在地が割れればアビジャンを通過する時間も特定できる。通過時間が特的できれば散布予告時間内、移動可能な半径も予想できる。空港で散布する目的はウィルスを世界中に拡散させるためだ。範囲に、見合うだけの規模をもった空港を割り出すことも可能だ。たとえ俺たちがウィルスに追いつけなくとも、代わって確実に誰かが先回りできる」

 と、レフは短く舌打ちした。

「あった」

 早いかベッドの足元、奥へと押し込まれていたスーツケースを引き出す。

「わ、ほんとだ」

 開かれたそこへ駆け寄り傍らへ百々は座り込んだ。あいだにも次から次へレフは、下着もかまわず詰め込まれていた荷物を掴み出してゆく。ブラジャーはデカい。ジーンズのポケットはカラだ。五十枚入りのマスクの箱はわざとらしく、ポップな色柄のガイドブックに、フランス語の手引きはめくられた折り目すらないまま取り出されていた。反して角が丸くちびたコートジボワールのポケット地図は現れ、使うつもりで持ってきたのなら冗談のような日傘も出てくる。受け取り、百々はいちいち全体を点検して唯一、手あかのついた地図を今一度、見なおした。

 開く。

 地図は地域ごとに分割されると、ケースのポケットにそれぞれ差されていた。分割された地図がコートジボワールのどの地域のものか一目で分かるように、開いた右下に番号が振られ分割されたコートジボワール全体の地図もある。

 分割されたな地域は六つ。

 実際を確認すべく百々は地図の束を数えた。だが五部しかない。もう一度、目を通す。いや、間違いない五部だ。急ぎ地図の角に打たれた通し番号へも目を通した。

 三番だ。

 三番が欠けている。

「レフっ!」

 任せて壁際のくずかごへ手を突っ込んでいたレフが首をひねって振り返った。ジョーカーはどれでしょう。百々はその顔へババ抜きよろしく扇形に広げた五冊の地図を突きつける。

「ないよっ。三番の地図だけがない。必要だから持ってったんだっ!」

 みるみる険しくなってゆくレフもまた、その手をくずかごから引き抜いてゆく。

「やられた」

 破壊された携帯電話はそこに握られていた。


 オスロー署内の慌ただしさはこれからの捕物に備えてだ。何しろ相手はテロリストの一員だ。いやそれ以上、ロンに近づくことはハボローネの一件を思い起こさせ、慌ただしさへ緊張すらも上乗せする。

 会議室にはいつしか爆発物処理班、強行班、周辺警備の責任者らがひしめいていた。その誰もはデスクを取り囲むと写真におさめられたアパートの見取り図を、その周辺地図を見下ろしている。

「七階か。最上階なら、窓から逃げ出す心配はないな」

 間取りを確認したハートが呟いた。

 ハッカーが潜む問題のアパートはワンフロア四室の七階建てだ。全二十七室のうち二十三部屋が埋まっており、調べるなら七階からだと目星がついているのは撮影時、ジェット・ブラックが訪れたた可能性があると報告されているためである。

「うち、この一室が空室。管理者へ確かめたところ残り3部屋のうちインターネット回線の工事記録があるのはここと、ここですな」

 見取り図、七階の部屋を順番にトーマスが指さしてゆく。

「回線のない部屋は老夫婦が。回線のある方は両方とも二十代の男の一人住まいだそうで」

 エレベータを降りたところ、吹き抜けを挟んで向かい合う部屋と部屋をことさら強く示してみせた。

 追いかけ確認したハートの目が十分だと、ストラヴィンスキーへ裏返る。

「その二か所は、俺とお前で担当するぞ」

「イエッサー……」

 返す声は小さいが、リズムはいつもと変わらない。ふざけたヤロウだとハートは分厚い唇をめくりあげる。引き締めすかさず囲む一同へと顔を上げた。

「念のため空室も確認する。空室と老夫婦の二か所はオスロー側へ頼みたい」

 了解とうなずく頭が方々で揺れ動く。

「いいか、繰り返し伝えておく。中のヤツは最悪、テロリストへ武器支援を行っている輩だ。でなくとも調達のためハッキングを行なった一員であることに間違いはない。近づいた別の職員は先日、乗り込んだ家屋ごと吹き飛ばされた。細心の注意を払ってくれ。そのうえで容疑者を確保。証拠の押収。発見した場合、この二点だ。この二点を必ず行ってくれ」

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