第35話

 つながったオフィスもすでに女の失踪を把握しており、加えて決定的なこの事実に上層部とWHOを交え、今後に備えた協議へと百合草が向かったことも知らされていた。つまり通信に出た曽我へとレフは、これからの動きを伝える。次いでオスローとハボローネの様子を確かめた。だが事態は動き出してまだ一時間と経っていない。乙部から新たな連絡もなければ、ハナのアビジャン到着はおよそ八時間後であり、ハッカーについては所在が明らかとなり次第ただちに知らせる、とだけ告げられる。

 それら会話が終わるかどうかという頃合いだった。バービーは紙袋を二つ抱えて戻ってくる。

「地図。宿泊所に印をつけてきたわ」

 重たげに足元へ置くや否やレフへと突き付けた。

「で、こっちが今日の搬送スケジュール」

 受け取ったレフが位置を確かめて広げかけたところへ別の紙束もまた押しつける。

 仕方ない。宿泊所の確認を百々へ譲ってレフは予定表へと手をかけた。が、めくる間もなくその上にファイルはどっか、と積み上げられる。

「これが搬送に付き添った職員のID。これがバンの登録書で、こっちが保冷庫の取扱説明書。それからこれが電話番号一覧。いい?」

 矢継ぎ早と教えたバービーの目がレフを鋭くとらえる。

「こっちが搬送の二人へ持たせた携帯のもの。次が引き渡し相手。こっちがわたしがミッキーから聞いたプライベートの番号で、最後が宿泊所の管理人につながる。なくさないで」

 メモは手書きだ。小さなそれを失くさないようレフは尻ポケットへ押し込んだ。 

「わかった。助かる」

 合間にも「それから」とバービーは言う。

「もう足りているぞ」

 だが聞こえていないらしい。

「これ、日焼け止め。鼻の頭、もう赤い」

 頭を突っ込んだ紙袋の中から小瓶だけを取り出し振った。

「そ、そうか」

「みっともないから、もう、すぐ塗りなさい」

「む……」

「で」

 まだあるらしい。

「昼に来るってあったでしょ」

 再び紙袋の中へ手を突っ込んだかと思えば、えい、の掛け声と共に持ち上げてみせた。

「お昼ご飯」

 バナナの皮のゴツイ包だ。

 それもまたバービーはレフの抱えるファイルの上へドカ、と乗せる。

「中は二種類の蒸し芋。片方は皮がついているから削ぐように剥いて食べて。道具はそこに挟んであるでしょ。使って。で」

 などと目はさらにもう片方の紙袋を見下ろしているのだから、言うほかない。

「まだあるのかッ」

「飲み物はこれで我慢してくれる?」

 かまわずそちから取り出されたのは正真正銘、小ぶりな椰子の実だった。とたん目にした百々から、わー、と声は上がり、バービーは違わずそれもレフに持たせる。

「い……」

 ……らない。

 断りたくとも贅沢らしい。

「上に栓がしてあるでしょ。抜けないなら落とすといい。早めに食べて」

 教えるバービーの目にイエス、と言わされる。

「残りは着替え」

 などと、それこそどこで一体、都合したのか。

「日本に寄った時もそうだったもの。じゃないかと思ってた。それも似合ってるけど……。見せてもらったから気を遣わないでもう着替えて。だいぶくたびれてる」

 どうにも二の句が継げなくなる。

「家に帰る暇がなかった」

 絞り出した言い訳もあまりにひどいものだった。ままに恐る恐る、レフは紙袋の中をのぞきこんでゆく。

「他にまだ必要なものはある?」

 遮るバービーが爆速。取り出した品を紙袋へ戻してゆく、迷いのない手つきは素早く、紙袋はあっという間に元通りと膨らんでいた。

「大丈夫、ね?」

 掴んで差し出し問うその意味は、もちろん中身についてではないだろう。渡しても大丈夫なのか。眉はこれでもかとひそめられている。

「宿泊所へ向かう」

 渡されていたはずのものを拒まれ、レフは引き剥がすように受け取っていた。

「隔離区画での仕事がなければ案内できるんだけれど。もう行かないと」

「仕事はお互いさまだ。気にするな」

 不安げな顔へ返す言葉などしれている。ただ先を急ぐことだけをほのめかしサングラスをかけた。とたん世界は装うことをやめ、精彩を欠いたバービーもまた誤魔化しようなく不安と不満をあらわとする。

「そうする」

 言ったところで本意でないと、言葉の向こうも透けていた。なら荷物を毟り取ったことにさえ罪悪感は過り、そもそもその顔では本末転倒だろうと思えてならなくなってくる。

「どうだ、宿泊所の位置は分かったか」

 百々へと確かめていた。案の定、他人のやり取りに気をとられた百々の手は止まったきりだ。

「え、えと。あ、と、ど、どっちが北だろ、これ?」

 今さら慌てて地図を広げるが、単なるポーズであることも分かり切っている。

「先に車で確認していろ。ついでに荷物も持って行け」

 レフは紙袋を押し付けた。

「うぇ。あたしアシスタントじゃないよ」

 言うだろうと思っていたのだから、返す正論の用意も一つや二つではい。

「お前がハンドルを握るなら俺が地図を読んで隣で飯も食ってやる」

 が、じゅうぶん披露する間もなく意図は最短で伝わっていた。

「い、嫌味だ」

「事実だ」

「う、ぐ。りょ、かい」

 紙袋を両手に重いだの何だの、ジープへ遠ざかってゆく声はあてつけがましい。その時間などしれている。背が向けられているうちに、だった。レフはバービーへと向きなおる。

「余計なことは考えるな」

 言葉にバービーが視線を跳ね上げていた。

「当然でしょ。出会った時、あなた撃たれてたのよ」

 言う頭を抱き寄せる。胸へ押し当てしっかりしろ、と込めた力でそれ以上を封じ込めた。

「こっちが阻止できても、ここが守り切れないと意味がないだろう。自分の仕事に集中しろ」

 聞き入れいっとき身を預けたバーバラは押し黙り、やがて小さくうなずき返す。大丈夫だ、と自らの力で傾いだ体を引き離していった。

「あたしたち本当にタイミングが悪いみたい」

 その困ったようで頼りなげな笑みは、初めて見る顔だ。

「俺たちじゃない。問題は職場にある」

「まったくそうね。とにかく気を付けて……」

 おどけたあとでまだ足りない、と残る距離をバービーは詰めた。

 重い紙袋をジープへ放り込み、百々は助手席へと飛び上がる。振り返ればレフもまた一直線とジープへ歩き出していた。背後には道を分け、保健所へ戻ってゆくバービーの姿もある。

 キリリ引き締まった後ろ姿には、男女を問わず人を惹きつけて止まない魅力があった。思わず見とれてなぜかしら百々は鼻の下を伸ばし、運転席へ蹴上がったレフにジープが揺れて我を取り戻す。

「行くぞ」

 挿したままのキーをレフがひねった。

 再び悪路へ跳び込めば、やってきた時と同じ揺れと騒音に襲われる。違うことがあるとすれば、ずいぶん近くにコロゴの町が感じられることだった。

「場所が確認できたら宿泊所へ連絡しろッ」

「あのね、番号が分かんないですってばっ」

 投げる百々へレフは一枚のメモをつまみ出す。

「一番下だ。女の部屋の出入りを止めさせる。出たら俺に代われ。あと一番上と三番目。番号をオフィスへ連絡しろ。搬送用に持たされた携帯と女のプライベートの番号だ。位置を確認できるか聞け」

 突きだされたそれは今にも飛んでしまいそうで、両手で受け取り百々は目を通した。

「りょかいっ」

「着くまでに飯もすませろ」

「こ、この状況でですかっ?」

「止まっているヒマはない」

「んなのさ、口より鼻に入るよ」

「ついでに俺にも食わせろ」

 などと、返事に間があいたのは当然だろう。速度はどうあれ百々はよっこらせ、でジープを降りかける。

「……バービーさん呼んでくる」

「誰でも出来る」

「むうっ、絶対あたし次までに免許とるっ!」

「すんだら片手間でいい」

 などとまだ言うレフに、百々の顔はたちまち伸びていった。

「ええぇ、まだあるんですかぁ?」

「女のプライベートへかけろ。出ないならすぐ切れ。バッテリーの無駄だ」

「相棒って忙しいよ、もう」

 と、グチって広げかけた地図の手はそこで止まる。

「て、もし出たらあたしどうすればいいんですか? あはあは」

 ぶーたれた後で教えを乞うのだから、笑って媚びるほかない。ならレフの顔に薄く笑みは浮かんでいった。

「何でもいい、日本語で話しかけてやれ」

「わー、それ」

 素晴らしい提案に百々は手を叩く。すぐさま眉をひそめていた。

「すごいイジワルら」


「了解。その二件、やってみるわ。ただし足の着くようなものならを相手も持ち歩いているとは考えづらいけれど」

 傍らのオペレーターへ曽我は目配せを送る。前屈みだった体をさらに倒してヘッドセットのマイクをつまみ上げた。

「それからオスロー側からの報告よ。声明文送信元の件で、送信に利用されたサーバーが判明したわ」

 百々に直接、言ってもかまわないと思えたのは、今しがたの報告をしっかりした口調で伝えてきたからだ。たとえレフに指示された通りだとしてもウブの素人なら、むしろ指示された通りが出来るだけで十分だとレフ本人を呼び出す手間を省く。

「同じオスロー市内だった。ラッキーと言うより必然性があるのかもしれない」

「へぇ……」

 肩透かしと反応が鈍いのは、意味を掴み切れてないせいにほかならない。こればかりは致し方ないと調子を狂わされつつ、曽我は最後までを押し切る。

「現在、現地警察を通してサーバー元に情報の開示を請求中。所在地が判明次第、ハートとストラヴィンスキーが確保に向かう予定よ。結果は即時、送るわ」

 通信の向こうから、そのままをレフへオウム返しする百々の声が聞こえていた。つい聞き耳を立てるのは、それでも彼女を信用し切れていないせいだ。動転して使えない人間の場合、たいして複雑な内容でなかろうと文章が前後したりと要領を得ないことが多い。比べれば百々の伝聞に訂正を入れる必要はなさそうだった。

 と、同様に気になっていたらしい。隣のオペレーターと不意に目が合う。いわずもがな互いに笑みはもれるとうなずき合っていた。

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