第28話

 やり取りなら日本にいる頃からあった。午後、腹ごしらえをすませ、徒歩で小一時間のハボローネ中央警察へ乙部は足を向ける。

 しかしながら対面するのはこれが初めてで間違いなく、ヘディラ警部補は長身、細身の体型が黒人独特の、そのままライフルを担がせたならすぐにもライオンを仕留めてきそうな眼光鋭い人物だった。縮れた髪にはゴマ塩を振ったような白髪が混じり、自分より歳上なのかもしれない、と眺める。

「所在地はここから百キロほど離れたセントルイーズ地区。この辺りになりますね」

 言ったヘディラ警部補はブルーグレーのタンガリーからのぞく手で、IPアドレス元である街外れもかなり外れた場所を指さした。

「この辺りは低所得者の居住区で、治安はお世辞にもいいと言える場所ではありません。市街で発生する犯罪の多くはこの辺りに住む者が引き起こしているのが実情で。普段から取り締まりには尽力していますが、なにぶん出入りの激しいところが難点だ。すぐ行方が分からなくなるのも、ここの特徴といえるでしょう」

 並んだ自分はずいぶん小男に見えるだろうが、ここではどこへ行ってもたいがいそうならざるを得ない。諦め乙部は少しばかり高い位置に貼られたハボローネ地図を睨む。それにしても、と口を尖らせた。

「一人も出入りがない、だって?」

 言わずもがなIPアドレス元は発見直後から、ここハボローネ中央警察の監視を受けている。出入りする者の顔写真は収集され、それは日本にも送られてくる予定だった。そう、巷でよく言われるこれがあくまでも予定であり未定である、というやつだ。報復文の一件で予定がズレた現在においても、人の出入りはいまだ確認されていなかった。

「そちらからの依頼が少々遅かったのかもしれませんね。道はこっちとこっち。この二本です。ですが道なんてものは後から作りつけたものだ。この辺りでは必要があれば最短距離を行きますよ」

 乙部はこだわっても仕方ない事実から離れ、説明するヘディラ警部補の話を追いかける。 

「突入は日が暮れてから、か」

 聞いたヘディラ警部補が、地図から浮かせた指を自分の視線へ重ね合わせた。

「車やヘリなら、すぐわかります」

 ヘッドライトに変えると辺りをさ迷わせて探る。

「むしろそうやって誰かが逃げ出してくれる方が歓迎だね」

 肩をすくめて返せばディラ警部補は下げた眉で首を振ってみせていた。

「何も出ないなら私たち部外者はお手上げです。あなたこそ、はるばるここまで来たかいがある。手伝えることがあるなら言って下さい。書類も確認しました」

 最後、付け加えたのは拳銃の事だ。

「普段は携帯していなくてね。借りることが出来るなら選り好みするタチじゃないよ」

「あと一時間で今、監視している署員が帰ってきます。銃を装備してから、彼らを交えて今夜の打ち合わせをしましょう」

 中心的存在でありながら依頼者であり客というのは、どうもいつもと勝手が違い過ぎた。作る表情一つにも違和感は過ってならない。保管庫へきびすを返したヘディラ警部補を前に、乙部はここはひとまず客になるかとその後を追う。そうしてやはり自分は小男だと思わされていた。向こうの景色は遮られ、どうにもよく見ることができない。


 暮れはじめてからが早い太陽を考慮して午後六時、防弾ジョッキに身を包み、乙部はヘディラ警部補の運転するバンでセントルイーズ地区へ続く砂っぽい道路を走っていた。

 銃を携帯した後、帰ってきた署員から聞いた話では今日も一日、監視対象に動きはなかったという。十中八九、無人だ。そう感じざるを得ない報告だった。

 それでも腰に差したグロッグには治安の悪さも考慮されている。予感させるように狩りへ出る夜行性の犯罪予備群と、いくらもバンの中ですれ違った。

 そう言えば今朝からここで目にした白い顔と言えば、ヨハネスブルグからの機内、ナショナルアッセンブリ付近で一人、そして自分くらいだったことを思い出す。だからして見逃したとは思えないジェット・ブラックについてをヘディラ警部補とも情報交換したが、彼についてこれと言った話は上がってこなかった。想像していただけに、それはむしろ納得の結末でもあった。

 うちにもフロントガラスの向こう遥か地平線の先、オレンジ色が滲む空との境へ低い屋根は並び始める。いよいよだと段取りを確認するヘディラ警部補が、見える風景を地図に変えてその指先を左右に振った。

「二方に分かれて手前までは車で。残りは徒歩で。目標を囲みます」

 聞きながら乙部は腰のホルターからグロッグを抜き出し、落としたマガジンの中身を確かめる。

「長い間、手間をかけたね」

 先に礼を言ってもいいだろう。押し込みなおして腰へ戻す。だがヘディラ警部補は至って真面目な面持ちを崩そうとはしなかった。

「まだ終わってはいませんよ」

 その横顔を乙部はうかがう。

 まさか、と首を傾げていた。

 紛争地をまたいで頻繁に近辺を飛び回っていた頃は予知に近い勘がよく働いていたが、離れた今となってはずいぶん薄れてないに等しい。しかし黒光りする肌がブロンズ像を思わせるヘディラ警部補の横顔はそのときばかりは、どこか生気に欠けて見えていた。

 おそらく急激に下がり始めた気温のせいだろう。思うことにする。

「忘れてたね」

 ずいぶん悪い間合いで答えて返す。

 そこでバンは舗装された道路を抜け出すと、小石を踏みつけ立ち並ぶあばら家の間を走りだした。ここでも土地が有り余っているせいで建物と建物の間隔は異様に広く、別れて裏手を進む別車両も見えている。

 いつしか日は完全に地平線の向こうへ消え去っていた。影と闇が境界をなくし、車はといえばそんな両者の中へ身をひそめるとついにブレーキを踏んで止まった。消されたヘッドライトに視界は無に等しいほど狭まり、その居心地悪さを振り払って乙部は外へと降りる。同様に裏手でも人は降りたらしい。バン、と閉められたドアの音が聞こえていた。それを最後に辺りから物音は消え失せる。

 全てを吸い尽くすような静けさは独特だ。目を慣らして辺りを見回すうちに数軒、電気を通して光を漏らす家があるのを確認する。当然のことながら出歩く人はまるでおらず、三台目の車両から降りて来た署員が二人、背後から加わったところで目配せを送るディラ警部補と共に目的の家屋へ向かった。

 空き地に立つプレハブのようなそれもまた、拾い集めた古木とトタンで作られたあばら屋だ。大きさは中に六畳程度の部屋が二つもあれば上等といったところか。どう見てもおおよそテロリスをト支援して世界へ向け情報を発信している場所とは思えず、中に明かりも灯していない。だが指差されて見上げたそこには、電気が通っていることを示して中へと電線は引き込まれ、平らな屋根の隅には小さなパラボナアンテナも乗せられている。

 やおらヘディラ警部補が長い腕をひねり、タンガリーの袖口からのぞく時計の文字盤を読んだ。目的のあばら家のドアはもう目の前にあり、闇に白目を光らせ傾げる頭で乙部へ改めここだ、と示してみせる。

 出るも出ないも警戒を怠るわけには行かないだろう。腰から抜いたグロッグのスライドを引いて乙部はチェンバーへ弾を送った。見届けたヘディラ警部補が薄い板切れひとつのドアを前に足を止める。そこに呼び鈴などと気の利いたものはなく、掲げた拳でヘディラ警部補はノックを繰り出した。セツワナ語で中へ一言、二言、声をかける。うつむきしばし耳を澄ませた。

 反応はない。

 今度は力を込めてドアを叩き呼びかける。

 だが返されてきた沈黙にこそ変わりはなかった。

 見限り振り返ったヘディラ警部補も、腰から銃を引き抜いている。踏み込む合図と一人、署員がドアノブ側の壁際へ身を寄せた。ならって乙部もその傍らにつく。

 早いか、ヘディラ警部補の突きつけた銃が、あばら家の秘密を守る貧弱な鍵を撃ち砕いた。閃光が散り、鍵だけでなく薄いドアまでもが弾き飛ばされて浮き上がる。

 逃すことなく掴んで引き開けていた。

 壁際の署員が間髪入れず、身を翻す。

 正面へ銃口を掲げたヘディラ警部補と肩を並べ、中へライトを突きつけた。

 合図に裏口もまた開かれたらしい。不躾な音が鳴り響く。そちらからも投げ込まれた光はあばら家の中で交差した。

 だがそれだけだ。逃げ出す者の姿も、乗じて反撃に出る者の姿もない。塞ぐ二人の背中越し、どうにか乙部も中をのぞき込む。フラッシュライトの灯りだけが動き回る光景を目にしていた。

 そんな光は左壁際、水瓶と椅子、机の上のデスクトップ型パソコンを照らし出してゆく。戻って床をくまなく這った直後、弾かれたように後戻りしていた。

 キラリ、そのとき何かは光の中でかすかな光を放つ。細い糸のようなもの。テグスか何かだ。昼間ならこうも光ることはなく、気づかなかったかもしれないほどに些細なものでもあった。

 横切るそれをフラッシュライトの光はゆっくりなぞってゆく。片方は今しがた引き開けたドアストッパーへ結び付けられていた。もう片側を辿れば壁ぎわ奥の本棚の前にあり、先端にピンは結び付けられている。

 と本棚も中ほどだ。立てかけられていた薄手の一冊がひとりでに倒れた。パタン、と鳴った音にフラッシュライトの光はすかさず後戻り、入れ違いで何かはそんな本棚から転がり落ちた。

 追えば白い光の輪の中に、手榴弾は照らし出される。

 開いたドアがピンを抜き去り、レバーが跳ねて押さえていた本が落ちた。

 どうりで人の出入りがなかったはずだと今さらながら思わされる。

「シット……!」

 ヘディラ警部補が吐いていた。

 だが遅い。

 隙間だらけのあばら屋から、そのとき光は強く漏れ出す。

 乾いた爆音はハボローネの夜を駆け抜けていった。

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