第21話
「百々さん、口にゴマ」
「ふえ?」
翌朝、七時五十分。
「わ、ほんとだ」
ハナに知らされ、百々は手さぐりでゴマ団子の名残を回収する。
何しろ朝八時の集合は手ごわかった。「20世紀CINEMA」へは電話を入れたが田所へは決心はつかず、いつ眠ったのか分からないまま寝ぼけ眼で頬張ったゴマ団子がたたったのである。
他にまだ誰も百合草の部屋へは現れていない。これ以上、被害が広がらぬうちにだ。百々は笑って証拠を隠滅した。
直後、飛び込んできたおはようございます、の声はストラヴィンスキーのものである。さらに時間は迫るとハートが暑い、とドアをくぐり、やがて最後にレフが姿を現していた。
とたん誰もの目が釘付けとなったことは言うまでもない。何しろ今朝に限って足元はグレーのジーンズで、羽織るジャケットの中はミカンも裸足で逃げ出すオレンジ色のTシャツときていた。
昨日、発ったところで今日も来るのか、ミス、バービー。百々の脳裏に過ったことは言うまでもなく、誰もが同じ思いだったなら、それら猛攻を避けるため定刻間際に入室してきたと思しきレフのタイミングこそ完璧だろう。立て続け柿渋デスク脇でドアは開いて、奥から百合草もまた姿を現していた。
「早くから、ご苦労」
風切るような足取りで、オレンジだろうが花柄だろうが帳消しにできるだけの緊張感を吹き込んでみせる。
「繰り返すまでもないが昨日、報復とスタンリー・ブラック解放を要求するグループにより、一日で緊急配備が二度、三件のテロが発生した。対処が立て込んだため個々の状況把握にばらつきが出ている。ここで現状の擦り合わせと今後の方針を定めておきたい」
ゴマどころか眠気の欠片すら張り付いていない目で百合草は、一同を見回した。
「ならわたしから。朗報だから安心して」
いち早くソファで手を挙げたのはハナだ。
「昨日の花火大会で犯行グループは全員が検挙と判明。女性ライダー、彼女の家宅捜査で押収したパソコン内からメンバーのアドレスや当日のスケジュールが発見された。車椅子の少年もこれで全員捕まったって知って死ぬほど悔しがってる。つまり今朝の報道をきっかけに、また呼び出されるんじゃないかって心配はなくなったと思って」
すくめた肩で次を促し、レフへと視線もまた投げる。
「ただしそこに支援者ロンの名はなかった。物証もだ」
そもそも実行犯らの家宅捜査を担当していたのはレフだ。言えば、いいえ、と指を立てたのはストラヴィンスキーだった。
「それはまだ、とつけ加えるべきですね」
確かに、とうなずき返したレフはこうも続ける。
「そのパソコンで行った通信に関する調査はこれからだ。確保した五人が爆発物を所持していた以上、やり取りのあったIPアドレスを辿ることで南アフリカの線が浮かび上がってくる可能性は十分にある。スカンジナビア・イーグルスについては、受け取り手に利用されただけだとみていい。それ以上は何も出てきていない」
「ならぼくからもひとつ」
聞き終えたところでストラヴィンスキーが改め口を開いていた。
「ブライトシートの身元確認ですが、今のところ何ら浮上してきませんね。とはいえ今後のためにもリストはファイリング中。昼頃には渡会さんの方から転送されてくる予定です」
「じゃ、もう狙われなくてすむんだ……」
呟いたのは百々である。
「いや、ロンが支援する限りまた現れる」
「ええぇ」
レフに刺されて肩を落とした。
「フン。繰り返し、か」
こぼすハートへ視線を投げたのは、百々のみならずその場にいた全員だろう。浴びてハートは今一度、百合草を見やる。だがそれが何かを意味していたとして、百合草に答えて返す様子はなかった。おかげで何をや諦めたらしい。ハートは組んだ腕で昨日の成果をつづり始める。
「フェンダーのギターに仕込まれたC4と手榴弾二発。昨日、ガキが腹に巻いていたC4。四点の解析結果を報告しておく。防いで一日、走り回ったようだがな、四つとも作動はせん。信管のないものが二点。信管の作動しないものが二点。いずれも発火の構造が欠落していた。偶然だというヤツがいたらこの仕事は向いていない。今すぐ帰れ。いいか、これは故意だ。故意に爆発しないよう四つには細工が施されていた」
たちどころに唖然とした空気は流れていた。
「最後のC4もか」
百合草だけが確かめる。
返すハートのうなずきは重かった。
などと、やり取りの真意にレフが気づかぬはずもない。
「待て。最後の、とはどいう意味だ。他については前から知っていたのか?」
百合草へ確かめる。なにしろ海岸では最前線に立っていたのだ。聞かされてないとなれば重大な連絡ミスだろう。
ならそらみろ、と言わんばかりだった。組んだ腕の先でハートは指を弾く。
すぐに答えて返さない百合草は、握り合わせていた両手を解く間合いで落ち着け、とまずレフへ言いきかせていた。
「事前に報告は受けていた。そこから花火大会会場の爆発物もまた作動しない可能性が高いと予測。だがフタを開けるまでは五分五分だ。言ったところでお前ならタカをくくって賭けに出る可能性がある。ゆえに安全と確実性を優先。伝えることを控えた。でなければ百々は同行させない」
「う、そ」
思わず声は百々の口からもれ、前でたまりかねたレフが立ち上がる。やめておけ、とすぐさまハートにアゴを振られていた。
「
到底納得してはいないだろうが、レフがどうにかソファへ身を押し戻したなら、ぶり返さぬうちにとハートは話を進める。
「いいか。重要なのは実行犯グループがハリボテを握らされた意味だ。今までこんなことはなかったぞ」
問いかけに答えて返すことが出来る者がいるはずもない。
「……それは」
重みに部屋の空気が淀み始めたその時だ。ストラヴィンスキーは切り出していた。
「最初から僕たちを引っ掻き回すことが目的だから、じゃないですか?」
指は眼鏡のブリッジを押し上げたきりで止まり、向けてハートも目玉を裏返す。
「そうならざるを得んな。事実、抱え過ぎで手が一杯だ」
「つまり陽動作戦です。それも三カ月も前から仕込んだ」
と、ブリッジを押さえ続けていた指はそこでふい、と浮き上がっていた。
「つまり、僕らが躍らされたのは SO WHAT じゃないんだ……」
その額は正面を捉えていた。
「その実、ロンに、ってワケですよ」
「なかなか面白い見解だ」
振り返った顔へ返す百合草は、むしろその先を求めている。だからして次に口を開いたのはレフだった。
「気を逸らせている間、裏でロンは何かを進めていたということか」
言葉へハートも眠いな、と訂正をかける。
「何か、じゃないだろう。支援者ロンだ。次の支援、いや次のテロ準備以外、何がある」
響きは百々の胸にさえ鮮烈と刺さっていた。
「だとすれば何を? 最低でも準備期間は三か月よ」
ハナは問いかけ、隣で忙しく揺らした視線をレフも百合草へと跳ね上げる。
「オツから連絡は?」
なら思うところは同じらしい。百合草も立ち上がったそこから思案のままに、デスク前へ足を進めていった。
「今日、現地入りするはずだ。まだない」
「俺たちの動きは感知されている。一人で嗅ぎまわるのは危ない」
確かに、とうなずく百合草はしかしながら、こうつづりもする。
「今回の出張は、そもそも乙部の希望でもある。武器支援者の線で確かめたい人物がいると申し出を受けていた」
「あれ? 土地に覚えがあるってことでチーフの抜擢じゃなかったんですか」
言うストラヴィンスキーに百々が驚く事があるとすれば、それはアフリカに馴染みがあるとかないとか、そこではないだろう。
「ここへ来る前、オツはアフリカの紛争地を中心に飛んでいた。人脈がある。だからだ」
「へっ?」
レフに教えられ、むしろ混乱してみる。
「通称、ナイロン・デッカード」
百合草が口にしていた。
「アフリカを中心に活動する武器商人だ。この人物が支援者ロンと関わりがあるのではないかと感じているらしい。切り出した以上、乙部も何らかを想定したうえで出向いていると思われる」
言い切る百合草にはしかしながら冴えたところがなかった。ままに優先すべき事項へ思考を切り替える。
「一連の案件が陽動作戦であることに間違いがなければ続く兆候が見られない現在、支援者はすでに隠れ蓑を必要としていない可能性がある。すなわち進めていたナニカが整ったと考えることもまただ」
それは降ってわいたような事態だった。
「突き止めるべく乙部の情報には期待したいところだが、それまでに事態が発覚するようなことになれば意味がない。我々は我々で引き続き支援者の特定に当たる」
切り返す肩で再びその体をデスク向こうへと沈める。
「ただし」
そうして前のめりとなった顔の前、組み合わされた手はおそらく、百合草の思考と符合していた。
「五人を叩いたところでベガス同様、行き詰まることは予想するに容易い」
「ええ、こちらの手を煩わせて南アフリカまでご招待、ってわけでしょうね」
「なら問題は南アフリカ以外、我々はどこから攻めるかだ」
話はストラヴィンスキーの一言で一気に冒頭まで巻き戻され、うなずく百合草も一点を睨みつけたきり押し固まる。
とその時だ。
「いや」
レフが声を上げていた。向けるまなざしでお前も聞いただろう、と百々を促しもする。
「ジェット・ブラックだ」
とたん初老のロックスターは百々の脳裏へ蘇っていた。
「そうだよっ! リーダーはジェット・ブラックからギター受け取れって。じゃ、ジェットはロンにつながってるんだよ」
その通りだ、とうなずくレフは、ただTシャツのオレンジ色を映しているだけかもしれなかった。だが珍しくもその目に熱がこもるのを、百々は確かとそのとき見て取る。
「手引きした麻薬組織はロンと共謀している可能性がある。俺たちにはその線がある」
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