第16話

 ライダーは直後に駆けつけた救急車へ担ぎ込まれていた。無論、女性であったことから付き添いは署の女性警官が務めることとなり、途中でハナにバトンされることが伝えられる。百々はさておき、つまりレフとストラヴィンスキーに出番こそない。

 そんな救急車と同着だった事故処理班の仕事ぶりは圧巻で、鑑識共々、現場を記録。あっという間に路面清掃をすませていた。おかげで昼過ぎにはもうバイクと振り落した軽自動車をレッカー移動。現場から撤収してしまっている。

 トレーラーはと言えば運転手の元へ無事、返却されたそうだが、こつ然と消えた積み荷については申し訳なくもオフィス対応とである。テレビ局前の騒動も、駆けつけたハートが爆発物を回収したことで一段落ついた様子だった。

 いいのだろうか。こんなに経費を使って。

 さびれた貧乏映画館でアルバイトする身なら、染みついた節約根性が百々に抱かせた罪悪感は大きい。

 などと交わした通信の中には百々を不安にさせる話も混じっている。電波掌握は三秒たらず間に合わなかったらしい。とはいえあっという間の出来事だ。放送された自身の姿を見たかどうかこそ確かめて回ることはできないなら、気にしたところでどうしようもないと意識の外に追いやることにする。百合草もこの画像が二度と放送されることはない、そう断言してくれていたのだから、順じて振る舞うに尽きた。

 当然である。SO WHAT 絡みの騒ぎが世に出ることはない。

 怒涛の午前はそこで一区切りがつき百々たちは、レフの運転でオフィスを目指す。何しろ現在、最も警戒せねばならないのはこのテロが失敗に終わったことで引き起こされるやもしれぬ次のテロであり、帰投はすなわち次に備えてだった。

 だからこそ途中、昼食をとってからでもかまわないか、と百合草へ尋ねた百々の脳裏にあったのは、腹がすいては戦は出来ぬと言う名言である。なら百合草も鬼ではない。後にしろ、とは言わなかった。

 しこうして三人は完売していそうな地下食堂のメニューを危惧し、かつて百々がレフにおごってもらったあの中華料理店を訪れる。注文した皿を競うようにかき込んで三十分後、膨れた腹をかかえて退店した。

 時刻はすでに十五時前。

 晴れ渡った空より高く、百々は両の腕を振り上げる。

「ぷはー。もう食べられないよ」

 並んで歩くストラヴィンスキーも別の意味で満足げだ。

「店は知っていましたけど、まさかレフと一緒なら割引価格になるなんて思っていませんでしたね」

 額のシワがサルのような店主は、確かにレフの連れだということで値段の端数を切ってくれていた。

「うんうん。前はおごってもらったから気づかなかったんだよね」

 百々もうなずき、もろともその顔をレフへと向けた。だが毎度たがわずレフが明かして語ることはない。

「もしかしてロシア軍のなんたら、で取引ですか?」

 足はもう、病院の裏口へ差しかかっている。またぎつつ思い出すのはティスティニースタジオ行きのバスで、そのしつこさにようやくレフが口を開いていた。

「ミグで成層圏へ行くにはそれなりに体力がいる。あの店主では楽しめない」

「せ、成層圏? い、一存で宇宙旅行なんて自由にできるんですかっ」

 ならそれすら否定するレフは悪党だった。

「そんなわけがない。知り合いにツアーのパンフレットを送らせた。十分だ」

 聞かされたストラヴィンスキーが、ははは、と笑う。笑えず百々は詐欺師だ、と後じさり、そこでまたもやあの音は鳴っていた。携帯電話だ。性懲りもなくレフの胸元で呼び出し音は鳴り始める。取り出してレフは、またもや無言で耳へとあてがった。

「そうそう、あたしも見とかなきゃ」

 様子に百々も自分のソレを思い出す。急ぎバックをまさぐり、掴み出したところでやおら動きを止めていた。

 前方およそ十メートル余りか。そこに女性は立っている。背まで伸びた髪はこれがプラチナブロンドか。かかるウェーブもゴージャスそのもの、まるで後光と光輝いている。しかしながら重さを感じさないスタイルこそ抜群で、ゆえに近寄りがたいのかと言えば離れていようと見て取れるキュートな童顔が、気取らぬデニム姿が、親しみを抱かせて止まなかった。そんな彼女がここが病院の裏である事も、ましてや日本であることさえ無視して、白昼に迷い込んだ妖精よろしく左右を見回し立っていたのである。

「……」

 きっと午後はいいことがあるに違いない。百々は思わずレフにストラヴィンスキーを手招いていた。

「ね、ね」

 だがストラヴィンスキーはもう駐車場へ降りてしまっており、レフはといえばよほど聞かれたくない電話らしい。返したきびすでどこぞへ向かい離れてゆく。

「ちょ」

 仕方ない。百々は改め彼女へ向き直っていた。なら彼女も前方で、百々へと不意に振り返る。そこにあけすけな笑みを浮かべ、握っていたらしい携帯電話を振り上げると、知らせてぴょこぴょこ飛び跳ねてみせた。

「へ? あ、あたし?」

 思わずにはおれない。

 めがけて彼女も走り出す。

 果たして道を聞かれるのか。なら良き日本の思い出作りを。

 どぎまぎが止まらないのは、話せない英語以上、過剰なビジュアルのせいで間違いなく。だがするりと、彼女は百々をかわしてゆく。

「れ?」

 呆気にとられた百々が振り返ったそこで、レフの腕へ飛びついてみせた。引っ張り振り返らせて、これでもかと笑みを浮かべる。

 目にして百々のアゴはずっぽり抜けて落ちていた。誰だお前は。問う素振りを見せないレフによろめき、腰を抜かしそうになったところで踏み止まる。死ぬ思いだ。ストラヴィンスキーを呼んでスロープを駆け下りていった。

「ふぉ、ふぉとだ、んんっ!」

 奇声に足を止めたその腕を掴んで引っぱり、地上へ引き上げる。これでもか、で百々はレフを指さした。

「なっ、なんかっ、レフが、ふ、ふごい美人に抱きつかれてまふけどぉっ!」

 と状況は、さらなる展開を迎えていたりする。

「ふひゃぁ。ほっぺに、チ、チューとかされてますけどぉっ!」

 どういうわけだか涙目だ。だが眼鏡のブリッジを押し上げたストラヴィンスキーに動揺はない。

「ああ、バービーさん、日本にきてたんだ」

 その呑気さに百々は目を吊り上げ、ブンと音を立てると彼女へ振り返り、違う、と再びストラヴィンスキーへ顔を向けなおした。

「あっ、あたスはバービーは人形しか知りまふぇんけどっ!」

 なら言葉は、そこで決定的と放たれる。

「はい、こちらのバービーさんはレフの彼女です」

 鼓膜の調子がおかしいのかもしれない。

 いや、それより気付けに何か下さい。

「……うっ、うそら」

 百々の目と手と魂はブレて泳ぎ、前にしてストラヴィンスキーは、ははは、と笑う。

「いや、びっくりしますよね。僕だってそうでしたから」

 当のレフはそれが彼女からのコールであったことを示し、携帯電話を胸へさし戻していた。傍らでは掴んだ腕を離さぬ彼女、バービーが、そんなレフを見上げてしきりに何事かを話している。向ける笑顔はまさに天使。月とすっぽん、猫に小判。引用を間違うほどだった。

「そういえば昨日も今朝も」

 見とれてようやくドぢは主追い出す。

「電話って……。服の色とか、油断できないって……。こういうこと?」

 いや間違いないだろう。電話で彼女が来ることを知った。だからレフは着替えたのだ。

「てっ!」

 そうしてひとつ、事実を飲み込んだせいである。

「いつっ? どこでっ? どうやってっ?」

 疑問は押し寄せ、ストラヴィンスキーへと詰め寄れば、後ずさったそのあとで立てた人差し指で詰め寄り返し、覚えてますよね、とストラヴィンスキーに教えられていた。

「ほら、レフ、アメリカで撃たれて病院へ運ばれたじゃないですか」

 確信に触れるのなら、で、ともかく百々はうなずき返す。

「被弾した場所がかなり心臓に近かったんで、骨折とはいえあのあとレフ、用心のため一週間ほど入院していたんですよ」

 それは想像だにしていなかった話だろう。

「まあ当日はなんともなくても受けた衝撃が衝撃ですから、数日後に急な発作で死んじゃうってケース、結構あるそうなんです。経過観察というわけですね」

 やはり命にかかわる一撃だったのだ。百々は眉をへこませた。ならそんな百々へ調子を合わせるように、ストラヴィンスキーは声をひそめる。

「バービーさんとは、そこで」

 つまり、と百々も声をひそめ返していた。

「撃たれた者同士」

 なぜそうなる。

 うなずき返し損ねたストラヴィンスキーが慌てて正す。

「いえ、バービーさんは看護師さんです」

 もう、のけ反るしかない。

「きゃー」

 それは絵に描いたような典型的パターンだった。しかもあの美人が白衣などと想像しただけで反則である。だからそうで、こうなったのなら、爆発的に広がる妄想を止めることなどできはしなくなっていた。だいたいレフが入院したのはたった一週間ではなかったのか。ひと月あまり後にはもうその姿を日本で見ていたりするだけに、ちょっと展開が早過ぎるのでは、と百々のレフを見る目も白く濁ってゆく。

「死にそうだったくせに。ふ……、不謹慎だ」

「あ、いえいえ、それがどうも僕のせいらしくて」

「へ?」

 鼻の頭を掻くストラヴィンスキーは所在なさげだ。

「なにしろあんな人なので、レフ、二日目には帰るってきかなかったんですよ」

 光景は目に浮かぶようでならない。

「だから僕、DVDプレイヤーと映画のソフト、唯一知っていたお気に入りが小熊のチェブだったので悩んだんですけれど、退屈しのぎになればと幾つか持って行ったんです」

 気遣いはさすがだった。

「そうしたら僕が帰った後、レフ、チェブ観たらしくて」

 つくづく好きなんだなぁと、百々は思う。

「泣いてるところをバービーさんに見られたらしいです」

「は?」

 開いた口がふさがらなかった。

「なんだかそれがきっかけで、バービーさんがレフの世話を焼くようになったらしくて。いつの間にかこんな具合です」

 最後に、ははは、と放たれたストラヴィンスキーのはにかみ笑いは意味不明で、見つめる百々も二の句が継げなくなる。ただその映画を観るのは一体、何度目なのかと胸の内でつっこみ、それでも見るたびまだ泣けるのかとブラック監督へグッジョブを送った。ようやく一つ瞬いたなら、最も解せない部分をどうにか口にしてみる。

「な、なにが良かったんだろ。ギャップ萌え、かな?」

 だとして自分ならあり過ぎて引いているところだろう。

「それとも、すんごく哀れに見えたとか」

 ただひたすら奇特な人がいたものだと思わずにおれなくなっていた。そうして改めバービーへ視線を投げたなら、うなずくストラヴィンスキーも同様にレフとバービーを眺める。

「でもまぁ、なんだかんだでうまくいってるみたいで、ハートなんかもう白いツラに色がついたってうるさいくらいですから」

「そ、なんだ」

 だがレフは盛んに話すバービーの声を片耳で聞いたままだ。携帯電話を戻して以来、動いていない。それはもう状況報告をうけているがごとく徹底していた。

「石みたいだけど」

「ええ、ああ見えて」

 とは言え電話も終始無言だったのだから、当然と言えば当然だと思えてならなかった。そうしてついさっきを思い出し、よもやバービーから逃げるつもりだったのでは、とうがる。つまり勝手に世話を焼かれて迷惑だ、などと考えていたならとんでもない身のほど知らずで、しっかり言い聞かせてやらねばならないだろうと考えもした。

 しかしながら幸せそのものと笑い続けるバービーの横顔は、意気込む百々の気持ちすら和ませて止まない。眺めれば眺めるほど次第に怒りはおさまって、言葉も自然、こぼれていた。

「でもさ。これって良かった、ってことなんだよね」

 死んだ人に振り回されるより、美人に追いかけ回されている方がよっぽどましだ。ストラヴィンスキーもニ、と唇を引き伸ばしてみせる。

「撃たれ損はなしです」

 褒められたことをした人ではなかったけれど、ならなおさらブラック監督はグッジョブだったのか。ぼんやり考えながら百々は世の中うまく回っているものだ、とつくづく感心した。

「それにしても外田さん、やたらに詳しいんですね」

 そろそろ行きましょうか、誘うストラヴィンスキーへ投げる。

「報復の件があったので、相互監視のせいで行動がわりあいと筒抜けに」

 どうやらこの数カ月間、監視されていたのは百々だけではなかったらしい。これ以上の邪魔はヤボだと、返すきびすで百々もスロープを降りてゆく。

「よかったじゃないですか」

 唐突なストラヴィンスキーの笑みに首を傾げていた。

「百々さんだけの抜けがけにならなくて」

 すぐにも付け足されてそう言うことか、と笑い返すが、自然、気持ちは複雑なものにならざるを得なくなっていた。抜けがけどころか追い越されたよ。確かめようとしていた携帯電話のこともいつしか忘れ、百々はただオフィスへと足を繰り出してゆく。

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