第15話

ぶら下がる成田山のお守りを前にめいっぱいアクセルを踏み込む。だが巨体ゆえにかスピードに乗るまでがじれったい。

「その角、右に曲がりましたっ!」

 気持ちでカバーしそれ行けと言わんばかり、後部座席から百々は公園を指さす。従い後方を確認したストラヴィンスキーも、カーブを前に大ぶりなハンドルを全身で回した。

 スピードに乗り始めた車体が空気押しのけ、大きくカーブしてゆく。荷台も騒がしい音をたてると同じラインを描いてカーブをすり抜けていった。

 引き連れるかっこうでバイクは一帯をさらに海へ走ってゆく。

「容疑者は局前公園東側道路を海側、南へ向かい逃走中」

 睨みつけてマイクへ吹き込んだのはレフだ。

「了解。位置は捕捉できてる」

 電波掌握の修羅場から解放された曽我がようやく返してくる。

「この先はどうなってます?」

 問うストラヴィンスキーに百合草の声も聞こえていた。

「海側は周辺二キロが港湾施設だ。東が海水浴場、西が工場敷地といずれも大型車両の乗り入れは難しい袋小路になっている。かいくぐるつもりでそちらへ逃げている可能性がある」

 オフィス側で操作されているに違いない。前方で信号が黄色を点滅させた。バイクとトレーラーはその下を二つ、三つと潜り抜け、灯った赤の下もまた突っ切る。気づけば辺りは積み上げられた野ざらしのコンテナに囲まれていた。切り刻むように道路は敷かれ、疾走するバイクのエンジン音が細く響き渡る。無論、追い上げるトレーラーが排気量で負けるハズもなかった。だが草原を逃げる小動物よろしく右へ左へ角を折れるバイクを追えば、明らかにレーラーは引き離されてゆく。様子を確かめライダーも、向けた尻の奥から振り返っていた。

「この車体じゃ、どうしようもないですね」

「緊急配備は?」

 こぼすストラヴィンスキーに、レフもオフィスへ投げる。

「今やってる。海側は港湾警察にも指示を出した」

「だが本件はシコルスキー抜きだ。上空から追えない以上、一度見失えば確実性に欠く。この場で容疑者を押さえろ」

 返す曽我の後に続き百合草が言い切った。とたん、聞こえでもしたかのように正面へ向き直ったライダーが断続的とエンジンをふかせる。

「それで全開か?」

 挑発的な仕草にレフがじれったげとストラヴィンスキーへと吐いた。

「さっきからベタ踏みですよ」

「車重か」

「まったくオツさん、せっかくの出番だっていうのにアフリカだなんて、ツイてるんだかいないんだか」

 と前方、バイクの後輪が軽く傾いだ。こう何回も仕掛けられたなら、それは百々にもわかるカーブの合図だ。

「あぁっ。また曲がるよ、アイツっ!」

 瞬間、正解といわんばかり振り戻されて車体は深く反対側へ倒れてゆく。それきり吸い込まれるようにして赤い自動販売機の角を右へ折れていった。

「じゃ、このさい軽くするしかないですね」

 レフへちらり、視線を投げたのはストラヴィンスキーだ。

「無駄な荷物だ。ここで降りてもらう」

 受けてレフもまた、背後へと頭をひねった。そこに座っていたのが百々ならば、走行中のトレーラーから放り出されるスタントマン顔負けの修羅場を脳裏に過らせる。

「へっ。あたしぃっ? や、やだっ。ちょっと待ったぁっ!」

 これでもか、とシートへしがみついていた。

「ということで百々さんっ」

 ここぞでストラヴィンスキーの声は張り上げられる。

「そのまましっかり掴まっていて下さいよっ!」

「へぇっ?」

 どういうことかと問い返している暇がない。トレーラーはむしろ加速しながらバイクを追ってカーブへ突っ込んでゆく。曲がりきれない。思えばこれまでにないほどの勢いでストラヴィンスキーはハンドルを回し、サイドブレーキを引いていた。果てに生み出されたのが未曽有の遠心力だったなら、百々の悲鳴もろとも吹き飛ばされつつトレーラーは片輪、浮かせて路面を滑る。斜めと立つ赤い自動販売機がフロントガラスを舐めて右から左へ流れ去り、吹き飛ぶすんでで切り戻されたハンドルにタイヤが喉を詰めたサルのように鳴くのを百々は聞いていた。

 甲斐あって浮いていたタイヤが路面へ押しつけなおされる。容赦のなさに車体は潰れそうに跳ねて軋み、背後でガシャン、と音もまた鳴っていた。伝わる振動は思わず身をすくめるほどで、伸ばして百々はルームミラーに映る光景へ釘付けとなる。積まれていた軽自動車だ。今の勢いに荷台から振り落とされると路面へ投げ出されていた。様子はまさにバックドロップ。いや、ジャーマンスープレックスか。一回転するとさらにもう一回転。窓という窓からガラスを撒き散らせている。

「あ、断然、軽くなりましたね」

 言うストラヴィンスキーは純粋に嬉しそうでならない。

「これで追いつく」

 手段を選ばないレフも助手席の窓をおろしてみせた。

「もっ、物は大事にしようよぉっ」

 百々だけがついてゆけずに涙目となる。

 だが一瞬にして一トン近くの軽量化を図ったトレーラーは確かにぐい、とスピードを上げていた。前でライダーは振り落された軽自動車の音に振り返り、差を縮めつつあるトレーラーに気付いてその車体を仰ぎ見る。向きなおった前方には、湾岸沿いに横たわる道路が丁字を作っていた。

「左、海水浴場側、塞ぎますよ!」

 もう好きにしてください。百々は座席へしがみつく。なら遠慮なくとトレーラーも、左の路肩へ寄っていった。果たしてフォミュラーカーのノーズアンドテールか。巨体で踏み潰しそうなほどにバイクをあおる。

 バイクに勝ち目などない。やがて右へと進路を変更した。様子にトレーラーは完全に左を塞いでバイクの前へとせり出し、丁字路へ出たその時、海水浴場側を塞いで大きくハンドルを切る。

 唐突と方向転換を図った巨体にバイクが初めて減速していた。間に合わず、近づいてくるトレーラーに巻き込まれかけて自ら横転する。滑る車体から破砕されたパーツが散らばった。バイクとライダーは泣き別れ、ライダーだけがトレーラーの荷台の下へ吸い込まれてゆく。潜り抜けて丁字路の突き当りでようやく動きを止めていた。 トレーラーも丁字路のど真ん中を占領すると、とぐろを巻いて停止する。

 真っ先にレフがドアを押し開け飛び降りていた。

 熱せられ続けたトレーラーのボンネットが、カンカンと音を立てている。耳にしつつ百々も救急車と事故処理班を要請するストラヴィンスキーを車内において、レフの後を追いかけた。

 ライダーはヘルメットも重たげに、どうにか路面から身を持ち上げている。だがすぐにも駆けつけたレフに掴まれると、うつぶせと背にヒザ頭をあてがわれ押さえ込まれた。

「仲間がいたらストラヴィンスキーに預けろ」

 指示してレフは、すり下ろされてボロ雑巾のようになったツナギの脇から腰回りまでを手早く探ってゆく。この様子を他の仲間が傍観していないだろうか。百々も周囲へ視線を走らせるが、海水浴場側から走り来る車両はおろか、周囲には何も見あたらない。

 そうして何も所持していないことを確かめたレフは、やがてライダーのヘルメットへと手をかけた。剥ぎ取ると同時だ。驚いたように声をもらす。

「女か」

 聞いて百々も視線を引き戻していた。ヘルメットの中から現れた長い髪と、ツナギの襟からのぞく細い首が、百々の目にもとまっていた。

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