第14話
想定外の出費は、店側の都合で中止となったライブの補償でどうにか埋め合わされるのではないだろうか、と考える。
九時を回ったところで現れた看護師は、気分が良ければいつ帰っても大丈夫ですよと田所へ声を掛けていた。頭の中で特大の鐘を鳴らされているようだった二日酔いもだいぶましになっていたならそれ自体、もう伏せているような病でもない。乱れた寝具を気持ち程度まとめて田所は病室を後にすると、すっかり淋しくなった財布をのぞき込みながら一人、病院のロビーを歩いていた。
さなか思い出されてならないのは百々の事だ。せっかく夜通しついていてくれたのだから、帰りまで付き添ってくれてもいいんじゃないか。思うが急にヘソを曲げて帰った理由は分からず、今もなお「枕投げ」の三文字が別の痛みを引き連れ頭の芯をうずかせる。
あれは牽制の嘘だ。それともそうまでこだわる嫉妬深い自分に振り回されているだけなのか。忘れたくとも忘れられず、気にするなとひたすら己へ言い聞かせ続けた。
知らず百々は「ブライト シート」の後でするつもりだった話をせがんでいたが、そんな疑念を抱いたまま口に出すことこそできはしない。しかも体調が体調なら場所も場所だ。二人で外泊したのか、などと問いただせはせず、いや本音を明かせばたとえ笑ってはぐらかされたところで口に出す腹こそ決まらないでいた。
奴さえ現れなければ、と唇も勝手と尖ってゆく。
だがボヤ騒ぎはそのあとで起きたらしい。ハナからうまくゆく予定になかったのだと思い知らされたようで、なおさら痛む頭で田所は深くうなだれた。
持て余して顔を上げればそこにいるのは受付前に据え置かれたテレビを漠然と眺めて会計を待つ、老若男女の姿だ。ポケットの携帯電話を確かめればすむことだが、それ以上にてっとり早い。様子に田所も、ところで今は何時だろうとテレビを仰ぐ。画面の隅に刻まれた時刻は、九時四十五分。だからして人気番組のメインキャスターは田所の憂鬱などつゆ知らず、お馴染みのポーズを軽快と投げているところだった。
楽しそうでなによりだ。思い、前へ向き直りかける。がそのとき、笑顔で応じたお天気キャスターの背へ人は飛び込んできていた。どう見てもスタッフではない。見知らぬ男の乱入である。勢いに中継を囲んでいた観客が後ずさっていた。拾い上げられた鈍いどよめきがテレビから流れ出し、コーナーを仕切り始めたお天気キャスターが振り返ったのはその声を聞いたからで、すぐにも乱入者に画面の外へ押し出されている。上がる悲鳴はそこで切れていた。テレビ自体が音を流さなくなったのだ。しかしながら男はテレビカメラを独占すると、ここぞとばかり突き上げた腕で何事かを喚き続ける。
もう一部始終に釘づけとなっていた。ならさらに田所の目を釘付けにして、その姿は画面へ飛び込んでくる。半日前に会ったのだから見間違えるハズもない。昨日、本当にのされて逃げ帰ったのか。にっくきソリ引き犬こと、あのシベリアンハスキーは猛烈な勢いで男へタックルを食らわせていた。もつれて吹き飛ぶように二人は画面から消えてなくなり、すかさず眼鏡をかけた男も踊り込んでくる。追いかけとどめとクリームイエローのワンピースもまた翻って地面へとダイブした。
ブ、と田所の口から息は吹き出す。
これも見間違えようがない。
最後の一人は百々だ。
刹那、中継は切れ、白々しいほどすました顔で「しばらくお待ちください」の文字は差しこまれた。
体幹を押さえつけるレフを援護し、ストラヴィンスキーが金属塊を握る男の腕へ十字固めを決めている。観客はなおさらどよめき、それでも抵抗する男の腹へ、遅れて百々も馬乗りとなった。おっつけテレビ局のガードマンが息せき切って駆けつけてくる。ずいぶん後方を走っていたパトカーも数珠なりと路肩に停車し、中からわらわらと警官を吐き出した。
そうして全員が全員、暴漢を押さえつけるべく上から上へ折り重なってゆけば、その姿はもうラグビーか何かの試合だ。押し合いへし合いもみくちゃとなり、一体だれが犯人なのか、気づけば百々は弾き出された広場で尻もちをつく。
「ひ、ひょえ」
この光景を目にしたなら悪いことはするもんじゃないと、つくづく思えて仕方ない。呆然自失で眺め、立ち上がりかけたところで視界に入ったのは路肩に停まったままのバイクだった。この一部始終を眺めてライダーはまだそこにいる。
「あ」と口は開いていた。きつい日差し以上、瞳孔がライダーへ絞れてゆくのを感じ取る。
気づいたか、ライダーが思い出したように正面へと向き直った。アクセルを吹かせて体を上下に揺する。
仲間だ。
確信したなら笑顔で見送れる道理こそく、なんだかもうそんなシワ加工だったかもしれないワンピースをひるがえす。百々は夢中で地面を蹴り出していた。
「待てッ」
背へレフの声は飛ぶ。だが百々へ言ったのならとうに手遅れで、バイクに言ったのだとしたらなおさら止まって従いはしなかった。証拠に、マフラーからガスを吐き出したバイクはもう、ヨレるように後輪を振ると走り出している。
せめてナンバーだけでも確認したい。百々はそんなバイクと入れ替わりで道路へ飛び出す。肝心のナンバーはといえば、折り曲げられてこれがてんで読めやしない。
「それ、違反っ!」
も、何もない前歴を積み上げている最中なのだが、ともかく襟元のマイクを引っ張り上げた。
「共犯の人がにっ、逃げましたぁっ! バイク、えと、青いバイクでナンバー折られて読めませんぅっ!」
「方向は?」
不備だらけの内容にも冷静に対応するオペレーターはプロだ。
聞かれて百々は四方に頭を振る。だがいかんせんこの辺りにはうとい。東西南北すら怪しかった。
「わたしたちの来た方向ですっ!」
「了解、緊急配備、要請します」
それ以上、追及したところで無駄とオペレーターが返してくれる。言う間にもバイクはみるみる小さくなり、もう血眼だ、百々は必死で辺りを見回した。だがワゴンは広場の向こう側に停められたままと遠く、かくいう百々には免許がない。
と、迫りくる気配に咄嗟と振り返っていた。
「ストォーップっ!」
おそらく超能力と魔法の根源は眼力と気合だ。のみで百々は、路上を直進してくる車両を押し止める。
「公安ですっ。ドア開けてっ!」
慣性に放り出されてハンドルにしがみつく運転手へ駆け寄るなり、ドアを叩いた。
「な、何っ?」
けんまくに驚き運転手は窓を下ろし、その顔へ理解してもらえようがなかろうが、百々はセクションCTの身分証を突き付ける。
「公安ですっ。今すぐこの車、貸してくださいっ!」
だが身分証以前、百々自身に説得力がないこと山の如し。
「こ、公安て、おねえちゃんあんた……」
そこへレフは駆けつけていた。
「逃げたのかッ」
答える代わりだ。百々は運転手へと訴える。
「バイク、追いかけたいんです。コレ貸してくださいっ!」
そんなバイクは公園の傍らを海側へと曲がってゆく。睨んだレフが大きく舌打ち後じ去った。そうして見回すのは目の前に停まるこの車体だ。しばし眺めて眉間をうごめかせ、断ち切り回り込んだ助手席のドアを引き開けると、どっかとシートへ腰を下ろした。
「悪いが降りてくれ」
そうして投げた視線は別段スゴんだわけでもない。だが慣れない人間がこの視線に対抗することこそ至難の業だ。案の定、押し入られた運転手は転がるように逃げ出してゆく。
「ご協力、感謝しますっ!」
その背を百々はしたこともない敬礼で見送った。入れ替わりで車内へ蹴上がる。
「この身分証、役に立たないんですけど」
後部座席へ移動した。
「そいつは民間人に提示するものじゃない」
フロントガラス向こうでは、おっつけ駆けつけたストラヴィンスキーがそんな車体を見上げている。
「てこれ、トレーラーじゃないですか……」
いや、間違いない。百々が止めたのは後方上段に軽自動車らしい新車を一台積んだ車両運搬車だ。
もっと他に、とストラヴィンスキーは言いかけるが、そもそも選んでいられる状況にないのだから禁句だろう。受け入れ、その尻を運転席へ投げる。
「とにかくバイク、追跡します。しっかり掴まっていてくださいよ!」
ゾウ耳がごとしドアを引き寄せ閉めた。
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