第7話

 狙われている可能性がある、などと聞かされていなければただ驚いていただけだった。だがそうでないなら息こそ止まり、のけぞったレフも懐へ手を伸ばす。目にしたガスマスクがそんなレフへ身を翻した。体へ煙はまといつき、制してレフは引き抜いた銃口を突き付ける。

 はずも、煙を吸って咳込む田所の暴れようこそわざとだとしか思えない。足がレフの腕を蹴り上げる。銃はレフの手を離れ高く宙へ飛び、ここぞとばかりガスマスクが身を躍らせた。

 ズタ袋と田所が投げ出される。

 渾身のタックルを食らってレフも背からテーブルへと押し倒されていた。

 さなか鳴り響くのは携帯電話の呼び出し音か。

 覆いかぶさるガスマスクとレフはもみ合いとなり、寒気のする音を立てテーブルが周囲を巻き込み床を滑る。

「イッ、た」

 目で追う百々の脳天へそのときそれは降っていた。食らって百々は首をすくめ、目の前へと落ちてきたなら受け止める。否や、抵抗するレフに蹴られた椅子が傍らを転がってゆき、百々は声を上げていた。

「これ、銃じゃんっ」

 なら同じく田所が呻き声を上げたとして、それは転がっていった椅子のせいにほかならない。ただ百々は手の中の物に跳ね上がる。遠ざけて突き出し、重なり繰り広げられている光景へ焦点を合わせ直した。胸倉を掴み合うレフとガスマスクに咄嗟とマイクを探して襟をまさぐる。ないなら泳がせ、あのときも誰一人、間に合わなかったんだと過らせた。そこに恐怖が混じるのは二度とあんな思いをしたくないからで、思いが手の中にある物の感触を蘇らせる。

 気付けばたった数歩の距離さえ縮めていた。詰めて百々はガスマスクの背へと駆け出す。

「う、動くなぁっ!」

 銃を振りかざした。だが動きを止めたのはといえば、向けられた銃口にぎょっとしたレフだけだ。

 いえ、あなたではないです。

 遅れてそろり、ガスマスクが振り返る。合った目に逃げ出しかけて、ホレソレ、振って百々は銃を見せつけた。

「ざ、残念でした。せ、背中がお留守ですよーだっ」

 しかしながらその及び腰こそいただけないものだろう。

「今すぐその手を離しなさぁいっ」

 吠えたところで見透かすガスマスクは微動だにしない。

 無視しないで下さい。

 百々こそたちまち服従しそうになれば、ガスマスクはおどけたように首なんぞをかしげてみせた。おかげで百々こそ逆上する。

「きっ、きいてんですかぁっ! でないとぉっ」

 勢いのままに言い放った。

「あ、当たるまで撃ちまくってやるからぁっ!」

 というかこの至近距離で、どれほどハズすことが前提なのか。だが百々にはしったこっちゃない。

「だいたい初めてなんだからドコ当たるかわかんないよっ。だってドコ狙っていいかも分かってないしっ。そんな超アブナイ奴が気合だけで撃つよっ。撃っちゃうよっ。死んじゃう前に死ぬような思いしちゃうよっ……。って、それもう拷問じゃん。めちゃくちゃ怖いじゃんっ。だいたいあたし、酷すぎないかな……」 

 などと先走る想像に己こそ萎えてみる。

「ほ、ほら、怖すぎて言う通りにしたくなったでしょ?」 

 いまさらえへへ、で媚びてみた。

「……ぶ、げほ」 

 通じず、吸い込んだ煙に一人、むせる。

「我々は本気だ」

 ガスマスクからのくぐもる声を聞いていた。

「たとえリーダーを失おうとも、仲間を失おうとも、志は諦めない。失ったものを取り戻し、損なった貴様らへ報復する」

 そこに滲むのは独特の湿っぽさだ。

「たとえ……」 

 誰より気づけたのは間近と触れているレフだろう。珍しくも顔色が変わる。間違いなしと明かしてガスマスクも掴んでいた手をレフから離した。

「死をもってしてもだ!」 

 吠えて腰回りに残る最後のひとつをもぎ取る。高くかざしたそれこそ映画で目にする手榴弾で間違いなく、爆発する。百々の中で本能が聞いたこともないような声を張り上げた。ままに力の限り触れていた引き金を百々は絞る。カチリ、撃鉄は落ちて爆発こそ起きず、骨と骨のぶつかる鈍い音を聞いていた。

 後で思えば腰を抜かさなかったことが不思議でならない。

 閉じていた目を開けばそこに、ガスマスクの手ごと手榴弾を握り絞め横面へと拳を振り抜いたレフの姿はあった。勢いに脱げたガスマスクは遠く床を滑っている。のされた当人はすっかりヒザを折っていた。 

「それ以上、引き金に触るなッ。床へ置いて足で踏めッ」 

 引き戻した拳の痛みを、振って散らすレフが放つ。それこそ爆音と聞いて百々は身を跳ね上げ、言われるままに銃を投げ出し、えいや、で気合もろとも踏みつけた。

「ふっ、踏んだぁっ」 

「取りに行くまでそこを動くなッ」 

 男を床へ寝かせたレフは握りしめた手もそのままに、探った男の腰回りからなんの変哲もないピンを一本、ねじ取ってみせる。屈み込むと男の腕ごと持ち上げた手榴弾の中へ、静かにそれを戻していった。

 握り絞めていた手から力を抜いてゆく。 

 あった一呼吸が全てを語っていた。 

 黒い鉄塊はこともなさげと滑り落ち、受け止めレフは宙へ放り上げる。キャッチして立ち上がった口元へ、すかさず襟を引き寄せた。

「爆発物を押収。被疑者一名を確保。担架が必要だ」 

 煙はまだ濃いもののこれ以上、濃度を増す様子はない。

 逃げるさい誰か落としていったのか携帯電話の呼び出し音はまだ鳴り止まず、やがてレフの元へ警官は駆けつけていた。

 手榴弾を預けたレフがジャケットの内ポケットへ手を伸ばす。どうやら音源はそこだったらしい。取り出した携帯電話を耳へあてがえば、呼び出し音は鳴り止んでいた。ままに返すきびすでレフは、渦巻く煙の中へと消えてゆく。

「へ? いや、あの。ちょっと」 

 様子に縮み上がったのは百々の目だろう。言わずにおれない。  

「これ、これっ。この足の下のが先じゃないんですかっ?」

 相変わらずと読めない行動がいただけなかった。そしてそれが束の間でも相方だった人の特徴であることを、いまさらのように百々は思い出す。

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