第15話 兇手
緋鞠が巨大な超高熱の塊を展開したことで数則たちの乗るモノレールは相応に暑くなっており、冷房が唸りを上げてなんとか熱を排出していた。アビィが暑さに疲れたのか座席で横になる中、数則の携帯端末が震える。
取り出して画面を見た数則は、それが見知った人物からの電話だと気づいてすぐに通話する。
「あ、おじさん? こっちは今なんとか天専行きモノレールに乗ってるとこだけど」
『おう、例のアビィって女の子の件なんだが情報が出たぞ』
電話の相手はこのアライバルエリアを管轄とする警察署異能課の長、大蔵警部だ。実はこの人は数則の叔父にあたる人物で、子供の頃から付き合いがあるために今も頼めば可能な範囲で手を貸してくれる。
アビィが事務所に転がり込んで間もなく、彼女のことを簡潔に伝えておいたのだが、わざわざ電話をかけてきたということは彼の管轄内でアビィに関連する何かを掴んだのだろう。
『うちの管轄内でどうもクサい警備会社があってな。海外からの資本が入ってる上に中からパニクった外人が湧いて出たって通報があったからウチで突入かけたんだよ。そしたら出てきたのが『AVIEシステム』ってワードとその概要だよ』
「賭けてもいいけどロクでもない内容だったろ?」
『ああ。完全に国際ベルガー人権条約違反だ。ま、犯罪組織に条約持ち出してもナンだが、言うぞ』
言葉少なめに大蔵は本題に入る。
『AVIEシステムってのはざっくり言えば人為的な手段によって異能をより強固、効率的に活用するための生体兵器だ。本来異能ってのはベルガーの技量や精神状態に左右されるが、このシステムに人間を組み込むことで異能を外部から人為的に発動させることが出来るようになる』
「……無理だろ、そんなの。前提からして破綻してないか?」
ベルガーの能力は原則、異能を持った本人にしか行使できない。この前提があるからこそ、ベルガーに対する人体実験の類は殆どが初期段階で頓挫した。
洗脳、薬物による判断能力の低下は全てが異能の能力強度をがた落ちさせ、脳の活動が低下した脳死状態のベルガーは何の実験を施しても普通の人間となんら違いがない。
結局、それらの実験も人権を確実なものにしたベルガーたちの手によって徹底的に弾劾され、検挙されていった。今でもベルガーにこのような実験をしていたという負の歴史を恨み、反社会的な活動を続ける過激派ベルガー集団も存在する。
『だがその破綻した計画を虎顎は反吐の出る方法で実現可能なものにした。まさに悪魔の狡知……連中、
仮想現実――霊素革命による技術革新によって生み出された、本当に存在するかのような仮想の世界。現実に肉体を動かすことなくプログラムで構成された世界が誕生したことで、エンターテインメント――特にゲームの世界は大いに盛り上がりを見せた。
尤もそれは『妖精症候群』を始めとする新次元の社会問題を生み出す結果にもなったが……基本的にはネットイベントやゲームでの普及がメインのシステムである。
最大の利点にして欠点は、現実世界との差異を感じるのが難しいほどのリアリティで、ベルガーの中にはVR接続中に意識せず現実で異能を暴発する事件も――。
「……ま、さか」
数則の脳裏に、アビィが読み取ったという虎顎の人間の会話が鮮明に思い起こされた。
――もうすぐあの子供の不完全性に煩わされる必要もなくなる。もうシステムそのものは完成するんだからな。
――残った身体はどうする? 若い臓器は高値で売れるが。
――いや、万一クローニングでもあの能力が別の組織に渡ったら面倒だ。遺伝情報が残らぬよう完全に処分する。
掌から汗が吹き出し、喉が鳴る。
もっと早くその仮説に行き付くべきだったろう。
人体実験の類だろうという漠然とした予測の中で、無意識にそれ以上の思考を停止してしまっていたのかもしれない。
『連中、システムの中心に組み込む人間をVRの世界に閉じ込めて、ベルガーの脳に事実を誤認させるシステムを作っていやがった。組み込まれた当人は自分がシステムの一部になった自覚もなく、機械に用意された状況に対してリアクションをすることで異能を発し、その異能の範囲や強度は外で管理する……自分がシステムに生かされる脳髄だけになってるなんて思いもしないほど、快適な世界が用意されていることだろうよ』
最大の問題である自我の崩壊を、仮想世界での自由を与えることで解消する。その上で異能を任意で発動させる手段と方法は、もはや想像したくもない。
虎顎は、アビィの生きた脳髄だけあればいいのだ。
現時点で既に強力無比な精神干渉能力を有しているアビィをシステムに組み込めば、やりようによっては相手を一切抵抗させずに無力化することさえ可能になる。その有用性は現代戦を一変させるだろう。
『いいかカズ、絶対に連中にその子を渡すな。システム自体はもう完成してるらしい。奴らはアビィを奪還し次第即座にでも手術をする気だ。最後の最後まで油断するなよ』
「……言われなくとも」
それだけ言って、数則は通話を切る。
意地でも渡してなるものか――そう感じた刹那、モノレールを舌から突き上げるような衝撃が響いた。転倒しそうになりながら手すりを掴んで、突然の衝撃にソファから落ちてしまったアビィに駆け寄る。
「カズ、ノリ? 何が――」
「怪我ないか? 残念だがもう一度戦わなきゃならなくなりそうだ。踏ん張りどころだぞ、アビィ」
「――AVIEの価値を理解できない者に、渡す訳にはいきませんねぇ」
めきめきと、金属がひしゃげ、捻じ曲がる音。それはモノレールの出入り口を不気味なほどスムーズに破壊しながら、数則とアビィの前に立ち塞がる。
顔は穏やかな表情を浮かべる初老の男。
しかし、その男が普通でないことなど、彼が背中に抱える人間大のユニットがとうの昔に否定している。背部の用途不明のユニットから伸びたカバーのようなパーツが初老の男の手足と結びつき、水中でも移動してきたのか身体からは水が滴っている。
怯えるアビィを、数則は手で制して下がらせた。
「か、カズ……!!」
「下がってろアビィ、絶対前に出るなよ」
「初めまして。虎顎革新派のリーダーを務める
部下から師父と呼ばれるその男は、慇懃無礼に名を名乗る。
場違いなまでに柔和な笑みに、計り知れない狂気を湛えて。
「私は無駄な争いをしたくありません。
「断る。これ以上彼女を勝手な争いに巻き込むな」
「困りましたねぇ……私はその『勝手な争い』の根絶のためにアビィの力を求めているのですが……」
「自分の天下の為だろうが。争いの根絶なんて青臭い台詞、マフィアの言う言葉じゃないぜ」
どの口がそのようなでまかせを、と憤りを覚える。
しかし、
「よく言われるんですよねぇ、それ。でも考えてもみてください。今の中統連は弱肉強食の理の時代。平和を手に入れるには平和を否定する人々をどうにかしないといけないでしょう? 私はその為にAVIEシステムを組み上げたんです。争いをなくすために……」
「その為にアビィを人柱にしようってか?」
「それも誤解なんですよねぇ。多少の不自由はありますけど、その少しばかりの不自由で年間何千と死んでいく母国の子どもたちを救えるのです。アビィ、それはとても素敵なことだと――」
「この子に話しかけるなサイコ野郎。いいか、生きた人間から脳髄を摘出して
「ああ、結局こうなってしまうのですねぇ」
彼は、否定しなかった。
彼は、アビィの身体から脳髄だけ取り出して機械の部品にしてしまうことに何ら良心の呵責を覚えていない。間違いなく、後で元に戻すなんてことは考えていない。部下の言葉から分かる通り、彼はアビィを死ぬまでシステムのパーツとして扱おうとしていた。
確かに彼女の能力を意図的に発動できるなら、彼女の戦いへの忌避感、争いを望まない意思を強制的に相手に与えることができる。そうなれば戦い所ではないし、結果的に『平和』の植え付けは可能だろう。
しかし、その為に子供を拉致し、ただ異能を持って生まれたというそれだけの理由で、彼女のその後全ての人生を身勝手に捨てさせる行為が許されるだろうか。否、たとえ国家元首が許したとしても――。
「俺はあんたを認めない」
「私は貴方が理解できませんよ」
次の瞬間、梦想は無造作に横薙ぎに手を振るい、咄嗟にアビィを庇いつつ床に伏せた数則の頭上にあった手すり、座席、外壁が瞬時に抉れ飛んだ。
(何……しやがった、こいつ!!)
「あ、ああ……もっと慎重に振るわないと、
「そいつはどういたしましてッ!!」
返答より早く霊素銃を発砲。
弾丸は梦想の胴体に飛来し、命中寸前に急に弾丸が萎んで割れた。当人はそれが当たり前のように、ぶつぶつ独り言を呟きながら手を縦に振り下ろした。
瞬間、目と鼻の先を『何か』が通り過ぎる空気の感触があり、床が梦想の手の形に陥没する。もし脳天から降りていたら陥没していたのは自分の頭蓋だっただろう。背筋がぞっとした。
梦想はその様子も目に入っていないのか、自分の手を見て笑顔を浮かべている。
「うん、精度が上がってきた。次は――こうかな?」
「くっ!?」
梦想が足を軽く蹴り上げるような動作をする。次の瞬間、腹部に突き上げるような衝撃が走った。内臓が裏返るような不快感と共に体が天井まで吹き飛び、肺から空気が強制的に吐き出される。
「あが……ッ!?」
咄嗟にアビィを手放していたのが幸いしたか、落ちて床を転がった数則にアビィが駆け寄る。梦想はそれを見て、手招きするような動きをした。
「カズノリ! だいじょう……う、ぐぇ……ッ!?」
「ああ、いけない!」
突然苦しんだアビィの様子を見て、慌てたように梦想は手を引く。彼女は苦悶の表情を浮かべつつも、そのまま数則の元へ駆けつけて肩をゆすった。
「カズノリ!! カズノリぃ!!」
「えほっ……はぁ、大丈夫だ……!」
「まだ力の調整が上手くいきませんねぇ。危ない危ない……生まれつき力加減が出来ないんです。わざとじゃあなくて、そういう身体なんですよ。誤解しないでくださいね、
察するに、アビィを捕まえようとしたものの、力加減を間違えて彼女を殺しそうになったから異能を解除したことを言っているらしい。
心底申し訳なさそうに謝る梦想だが、既にそんな言葉で誤魔化せるほど彼女の奴に対する不信感は小さくない。アビィは恐怖から言葉が出ず、しかし首を横に振って明確な拒絶の意思を示した。
数則は腕をついて体を起こし、なんとか梦想を睨む。
よそ見の隙にまた霊素銃を発砲するが、また弾丸は萎んで弾けた。先ほどと全く同じで、攻撃が通っていない。
(このおっさん、一体何の異能使ってやがる……! アイテールの動きが察知しきれん! 超高密度の『
先ほどから梦想の干渉は全てが不可視だ。故に攻撃の前兆が読みづらい。触れずして対象を破壊する異能と言えば代表的なのは当然、『
しかし、それでは説明し辛い不自然な点が多い。
確かに『
最初に壁ごと抉った痕は、まるで障子の紙を手で強引に破ったような痕跡が残っている。頭を潰されかけた振り下ろしの一撃に至っては、床に手が突き抜けたような痕跡となっている。
極めてピンポイントの物理的な破壊だ。
このような痕跡は『念動力』の痕跡としては不自然だった。
気になることはまだある。数則を吹き飛ばした攻撃だ。
『念動力』なら数則だけ浮かせて拘束すれば済む所を、彼はしていない。また、殺人級の威力もあの時は発揮されていなかった。しきりに力加減を気にしているのを見るに、比較的コントロールの自由度が高いとされる『念動力』とは違う異能としか思えない。
弾丸が相手に当たらないというのも謎だ。もし鎧のように力場を纏う異能ならば、当人がそのまま接近して数則を強引に排除すればいい。それをしないならば、どういう理屈で防いでいるのかが分からない。
(頭を回せ! 異能を見破るのは対ベルガーの基本……!)
「その豆鉄砲は危ないですねぇ」
「……!!」
梦想が手を振り上げると、数則が手に持っていた霊素銃の先端がひしゃげた。衝撃が腕に伝わり態勢を崩した瞬間、梦想はそっと虚空を押すような動きをする。
直後、数則の腹部が陥没し、モノレールの奥に吹き飛んだ。ただ、咄嗟に身を引いたために数メートル吹っ飛ぶ程度で済み、なんとか受け身を取って体勢を立て直す。踏みとどまっていたら内臓を押し潰されたかもしれない――そんな命の危機を、今だけは度外視する。
(……このおっさん、必ず体を動かすな。それに追従するように攻撃が起きる。イメージを固めやすくするジェスチャーってのは異能にはありがちだが……違うのか? 必要だからしているのか?)
「あまりちょこまか動いても無駄に痛い思いをするだけですよ? 私も人をいたぶって楽しむ趣味は微塵もありません。彼女を引き渡して互いに戦いをおしまいにしませんか?
「お生憎さま。プラムなんでも相談事務所に諦めの二文字はない……!!」
「なんでも屋なら私、お願いを聞いてくれたら報酬をお支払いしますよ?
「あんたの汚い金は受け取れないな。それに、同じ事項に対する重複や上書きの依頼はNGなんだ。残念だけど諦めな!」
数則は、銃身がひしゃげて使い物にならなくなった霊素銃を梦想に投げつける。梦想は顔を庇うような動きをし、銃は虚空で何かにぶつかったように弾かれて床を転がった。
その転がる角度を見て、数則は目を細める。
今ので、梦想の異能の正体に粗方の仮説が立ったからだ。
しかし、仮説が立ったことでもう一つの事実が浮かび上がる。
(このままじゃ、勝てん……!!)
遠くで、緋鞠が出現させた炎が消えるのが見えた。
彼女が相手を無力化させたのだろう。
こういう鉄火場では敏い彼女はこちらの様子がおかしいことには気付く筈だ。
緋鞠は確かに世界指折りに強いベルガーだが、彼の異能は対応が難しい上に『初見殺し』の類だ。しかも護衛対象がモノレール内にいるという状況は彼女にとって攻撃手段を限定させてしまう。
駆け寄ってきたアビィの手を取りながら、数則はどうすればこの狂人をモノレールから追い出せるのか、その思考に全霊を費やすしかなかった。
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