第14話 金より優先させる欲望
「さて、些かあっけない幕切れだが、これで王手のようだ」
BFが、敗者となった三人に冷たく言い放つ。
地面に座り込んだ三人は、小声でぼそぼそと喋っては乾いた笑いを漏らした。
「王手か……くく、そうだな。王手だよなぁ」
「もう私たちに出来ること、無い」
「あーあ。行っちまったなぁあの二人……」
その声に、BFはふと違和感を覚えた。
声色に感情が籠っていない。落胆やショックが妙に薄く、むしろ言ってしまいたくてしょうがない事実を告げるのにもったいぶっているような――そう考えた刹那、三人がにやにやと歪んだ笑みを浮かべた。
「海の上で鉄の箱に閉じ込められちゃってまぁ……これで腕利きの水流操作系ベルガーにでも当たったら、もう助からねえなぁ!!」
「ッ!! まさか、橋にいたベルガー!?」
大規模な海水操作を行い、後の連絡でティアが取り逃がしてしまった男――洪水。
まさか、とBFは思考を巡らせた。
ティアのとの戦いの後に逃亡したのは、場合によっては直接モノレールを抑えるため。
つまりたった今発進したモノレールの進行通路下には――最新型モノレールでさえ容易に停止させるだけの質量の水を操るベルガーが待ち伏せしている。
そのことに気付いたBFはしまったと言わんばかりに額に手を当てる。
「あぁ……なんという事を……」
「あの男は分身しか能がねぇと見た。洪水のヤツとは最悪の相性だろうさ」
「それにモノレールは密閉空間。お得意のさかしい知恵も役に立たない」
「というわけで――確かに王手だよ。俺達の、な!」
三人は勝ち誇った表情でそう告げた。
――のだが。
「余計な事を……そんな事をしたら、オリジナルは『あいつ』を頼らなければならないじゃないか! 何故わざわざ藪をつついてアナコンダを出すようなことを……! お前の仲間、下手をすれば死ぬぞ!?」
「「「……はい?」」」
彼ら三人は全く知る余地がなかったのだが、実は数則がダメもとで連絡を送った事務所のメンバーの中に、一人だけたった今からモノレール襲撃を防ぐことのできる人間が存在したのだ。
衛に並ぶ事務所の金食い虫にして、余りに強力過ぎる力の所為で周囲に甚大な被害を及ぼす『炎壊の
= =
兄や仲間は下らない判断ミスをして素体の確保に失敗したものの、自分はあのティアというベルガーを振り切って先回りに成功している。そして万全に整った舞台で、海上を駆けるモノレールを完全に無力化して素早く素体を攫う算段まで済ませた。
相手が何者であれ、水場で自分に勝てる相手など存在しない。
水を操るエージェントとしての絶対の自信にして、自らのアイデンティティの一つとさえ言える勝算。兄の大風と双対を為す者としての矜持が、絶対の自信を抱かせていた。
イメージ通りに水を展開した。
モノレールを目視で確認した。
そして、勝利を確信した。
周辺に自分を妨害する存在はいない。船も、ベルガーも。仮に妨害を仕掛けてくるベルガーがいたとして、今の自分には逆立ちしても勝利はあり得ない、と。
その絶対の自信は――。
「ふぅん、水遊びがお得意な訳ね。……まぁ、私から言わせれば『だからどうしたの』ってハナシなんだけど」
突如空から飛来した一人の少女によってあっさりと阻まれた。
先ほど橋を封鎖した水量より遙かに膨大で、大型旅客船でさえ一撃で転覆させる膨大な質量を集めた水の巨人に、少女は追い払うように手を振った。
瞬間、眼球が焼けるような強烈な閃光と共に、自分を支えていた水の全てがバシュッ、と音を立ててた。閃光と風から顔を庇った洪水が視線を戻した時には、水の巨人は『消滅』していた。
弾けたのではない。
崩れたのでもない。
『流動経路』が媒体とする水そのものが、アイテールの支配権ごと消し飛び、洪水は今や海水を操作して会場に立つのが精いっぱいという有様だった。
それを行った少女は、今も自分の目と鼻の先で佇んでいる。
身体には紅蓮の炎を衣のように纏い、しかしその瞳に燃え盛る熱はない。小柄な体躯に、燃えるような
――彼女は炎を纏いながら、空を飛んでいた。
それも、足や腰からジェット噴射のような炎を噴き出して宙を浮くという正気を疑う方法で、だ。
空中を自在に動き回れる能力を持ったベルガーというのは全体の1%以下だ。それも元々飛行が主の能力でない場合、念動力で浮かせたり風や空気を操るなど一定以上の
そんな洪水の目線の意味に気付いた少女は、まるでファッションを教えるように炎を指さす。
「――ああ、コレ気になる? 九歳の時に思いついてやってみたら、意外と飛べたのよね。アイテールを燃料代わりに燃焼させて、その反動で飛んでいるのよ」
「出鱈目を言うな!! そんな能力の使い方、どれほどの集中力とアイテールの精密操作が必要になると――」
「別に、あたしは出来るし」
あっさりと、彼女は言い放った。
そして、彼女が炎を発生させている事実から、洪水は先ほど自分の操る水の巨人が焼失した理由に考えが及び始めた。
「炎熱……?」
先ほどから汗が止まらない。一瞬緊張によるものかとも思ったが、この纏わりつくような熱気は明らかにそれだけで説明できない。自慢の黒いコートの端からはブスブスと煙が上がっている。尋常な熱量ではない。
しかも、よく見たら体のあちこちに見覚えのない白い粉が張り付いていた。見たところ塩にも見えるが、果たしてそれはいつ、どのように付着したのか。もしも洪水の予想が正しければ、それは恐ろしい事実を示す。
魘されるように洪水は叫んだ。
「まさか……僕の水を全て蒸発させたのか!? あの一瞬で!?」
「うん、そう。ウチの依頼主とオーナーに手ぇ出そうとするんだから生きてるだけマシだと思ってよね」
髪先を指でなぞりながら、やはり熱のない平坦な声で少女は頷く。
先ほど操った水流は跡形もなく消えたように見えたが、もしそれが超高温に晒されたことで瞬時に蒸発したのだとしたら。体に付着している塩が、その時の熱によって生まれたものだったとしたら。
少女の周りを舞う紅蓮の炎から発される熱が、洪水の皮膚を加熱させ、海面を急激に蒸発させている。身体ごと焼けてしまうのではないかとさえ思える猛烈な熱に、洪水の喉が干上がる。
「あ、ちなみに塩は摂氏八〇〇度以上だと塩素とナトリウムに分解される点も踏まえて、あんたが燃え散ったり毒を吸い込まないように風向きとか温度調整とかもしてるから。体に塩が張り付いてんのはその手加減の名残ってワケ」
「馬鹿な……馬鹿な! 有り得ない……こんな膨大な熱量を操るベルガーなど母国にもいなかったッ!!」
本来、発火能力にとって風や水を操るベルガーは天敵だ。風は炎を押し返し、水は炎そのものをかき消す。かき消す、筈なのだ。まして海という巨大すぎる武器を使えば、例え水を蒸発させる超高温であっても押し通せる。
なのに――それをこの少女は『水遊び』と言った。
『洪水』の名を授けられた水の化身を――その気になれば、この少女は灰の欠片も残さず地獄の業火で消し去ることが出来たというのだ。
それこそ、目障りな虫を叩き落とすように。
「あの質量の海水をあの速度で、僕を傷付けずにだと!? そんな熱量を発生させながら僕に被害がないのも有り得ない!! あまつさえその上で飛行しているだと!? 嘘を言うな……カラクリがあるはずだ、お前の能力には!!」
現実から逃避するかのごとく叫んだ洪水の――己の存在意義とさえいえる水の操作を唯の熱だけで無力化された哀れなベルガーの叫びに、少女はつまらなそうに答える。
「そぉ? アタシ十一歳の頃にはこれくらい火力調整出来たけど。チョウチョ結びよりは簡単な事よ」
彼女は七歳の頃には既にベルガーとして覚醒していた。
――普通のベルガーは十歳前後が覚醒のタイミングであるにもかかわらず。
彼女は九歳の頃には既に世界でも数えるほどしかいない
――世界には第三どころか第二に踏み入ることも出来ないままのベルガーなど大勢いるのに。
彼女は十五歳の頃には自分の能力を成長させることを止めていた。
――既に、彼女に勝利できるベルガーなど存在しないに等しかったから。
そして今、彼女はお金と結果を得るために個人経営の何でも屋で力を振るっている。
あらゆる誘いを「面倒だ」と切り捨て、あらゆる厄介事をその力で押しのけて、彼女は今ここにいる。
他人にとっては違っていても、彼女にとってはただそれだけの話だった。強いて言うならば、その職場に金とも地位とも名声とも違う「何か」を見出したからだろう。
場を支配するような少女の眼光が身を竦ませた。
「これはあくまでカズの手伝いだからアンタたちの悪行につべこべ言う気はないけど……上には上がいるものよ。自分たちが何でもできるなんて思い上がりは、『コレ』に立ち向かう勇気を身に着けてからにしなさい?」
洪水より頭一つ以上は小さいその小柄な体躯から発される威圧感の何と大きなことか。
彼女の背中から陽炎のように炎が立ち上り、大蛇のようにうねりながら彼女の背後で橙色の球体を形成していく。遺憾なく放出される太陽の光が海面を蒸発させ、自然現象とは思えないほど大きな上昇気流が洪水の髪を薙ぐ。
太陽の化身――そんな言葉が否応なしに脳裏をよぎるほどに巨大な炎塊が、海上に顕現する。
「『
中国神話では、十あった太陽のうち九つを弓の名手が撃ち落とし、今の太陽が残ったとされている。
だが――ああ、先人は何という思い違いをしたのだろうか。
太陽とは、人が何とかしようなどと考えてはいけない程に雄大で、抵抗の如何などという人間的な視点で語れるような次元の存在ではなかったのだ。
上方を素体の乗ったモノレールが通過する。
そのことに気付いているが、体は一寸たりとも動かなかった。
洪水にとってもしも唯一幸運なことがあったとしたら、それは彼が感じた「格の違い」が、「虎顎の誇り」を上回っていた事だろう。もしも彼が無謀にもこれ以上彼女に抵抗しようとすれば、彼は夏の炎に寄せられた虫のように無意味に焼尽していただろうから。
永遠とも思える刻が、洪水の中で流れた。
かいた汗すらも蒸発させるその熱量に、指一つ動かせなかった。
洪水では、地上の太陽には勝てない。
なぜなら、それは地上にあろうとも確かに太陽なのだから。
やがて、少女は疲れたように溜息をつくと、振り返って呟く。
「さて、カズたちはもう通り過ぎたし動いていいわよ?」
「ッ!! かはっ! はぁ……はぁ……」
そこに至って洪水は漸く自分が呼吸を止めていた事に気付き、肺に酸素を送り込んだ。既に場を支配する熱は風に乗って霧散し、潮の臭いを含んだ空気が肺を満たす。
遅れて、洪水の頭上から雨が降り注いだ。先ほどの『地上の太陽』によって生じた上昇気流が雨雲を作り出したのだ。
動けなかった。
虎顎エージェントの、この僕が。
師父の為なら命をも捧げると誓った僕が、たった一人のベルガーを退ける事を完全に放棄し、ただ無意味に目標を見送った。湧き上がる屈辱が身を焦がす。
誇りを掲げながらも全うできなかった屈辱。
自身が完全なる敗北を喫した屈辱。
仲間に想いを託されながらも何もできなかった屈辱。
師父の求める理想を実現できなかった、屈辱。
その屈辱がたった一つの事実を告げていた。
敗北と、任務の失敗。
それをもたらした少女は、何でもないように方向を変えて既にその場を遠ざかろうとしている。
「――待て! お前の……お前の名前は何だ!!」
「あん? ……んー、まぁ調べりゃわかることだからいっか。
「オリビナ・ヒマリ……いいだろう。敗者として、お前の名前を心に刻んでおく……ッ!!」
手のひらに爪が突き刺さるほどに握りしめられた拳を下げ、洪水は撤退した。二度と忘れることのできない屈辱と、己の未熟を胸に秘めながら。
――しかし、虎顎はアビィを諦めない。
「では、行ってまいります」
「老師、わざわざ老師本人が赴かずとも……」
「いえいえ。どうせ普段は椅子に座ってるだけの役立たずですし、こんな時くらいは自分の身体を動かしませんとねぇ」
人一人分はあろうかという質量の機械ユニットを体に装着した初老の男はにこやかな笑みで部下たちに手を振る。彼は今、潜水艦の甲板に立っていた。そんな彼の様子を不安げな表情で見つめる部下たちだが、彼らの不安は男の身だけではない。
本当に素体を生かしたまま連れ帰れるのか、という不安だ。
極めて優秀な研究者である彼は、戦いが下手だった。下手で下手で、余りにも下手過ぎて――彼の異能は敵も味方も保護対象も全てを滅茶苦茶に破壊してしまうから。
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